先日縁あって京都妙光寺へ伺い、ご住職のお話を興味深く聞きました。弘安8年(1285)開山のお寺。開祖「覚心禅師」は、味噌・醤油伝来による日本食文化への功績大の由、お像も魅力的でした。後醍醐天皇が「三種の神器」と共に逃れていたこともあり、そのゆかりのお部屋や、広い境内には、仁清の墓、勤皇の志士の抜穴も、庭の入り口、山上の出口も残っており、村上天皇御陵や豪商「打它家」の変わった形のお墓など、京を一望できる見晴らしの良い所でした。「仁清」はネットによると、【京焼色絵陶器を完成。正保年間(1644~1648)仁和寺の門前に御室窯を開く。それまでの陶工は無名の職人に過ぎなかったのを、自分の作品に「仁清」の印を捺した。現存の作品は国宝、重要文化財。】京都は歴史上の事柄が身近に感じられて、今更のように知らないことが多いことに気付きます。京都駅から乗ったタクシーの運転手さん、「20年タクシー乗ってますが、此のお寺は始めてです。」京都は奥が深いのですね。
何時だったか国立博物館で見た「風神雷神の図」が妙光寺ゆかりとは!懐かしく感じられるのは何故でしょう。右の写真は「打它家」のお墓です。俵の形はお金持ち?