川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

J-POPジャンキー

2008-05-27 21:58:03 | ソングライン、ぼくらの音楽のこと
これも2000年頃に、どういういきさつか「現代」に書いたエッセイ。
J-POPについて熱く語っています。

言及されるのは、こういうもの。
NOW AND THEN~失われた時を求めて
NOW AND THEN~失われた時を求めて
価格:¥ 1,020(税込)
発売日:1996-10-28

勝訴ストリップ勝訴ストリップ
価格:¥ 3,059(税込)
発売日:2000-03-31

J-POPジャンキー
 
 「歌の言葉」が気になって仕方がない。10代の頃聞いていたニューミュージックや和製ロックの言葉が、ある時、なんとも不自由だと感じるようになった。特定のモチーフを、特定の言葉の順列組み合わせで表現しているような貧しさ。サビの部分では、必ず意味の通らない英語が入って「格好良さ」の記号として機能する。それを聞いて陶酔する自分を冷笑しつつ、いつも違和感を抱いていた。
 
 当時、歌の言葉に自覚的だったミュージシャンといえば、まず挙げられるのが、The Blue Hearts 。彼らはほとんど外国語を使わなかったし、常套句を排し、徹底的に自分の言葉で歌おうと試みた。また、ぼく自身は熱中しなかったけれど、多くの同世代にとって尾崎豊もそうだったかもしれない。
 
 ただ、彼らは歌で使われる語彙を増やしたけれど、「歌われる内容」については、相変わらず不自由きわまりなかった。ブルハも尾崎も、「社会」「学校」「既存の価値観」といった制度を批判、相対化してみせる。そして、聴き手に対して、「自分らしくあれ」、「そのままの君でいいんだ」と語りかけるのが常套手段。しかし、この "be yourself"系のモチーフは、なんとも素朴で、時として欺瞞に満ちていることか。
 
 「自分らしくあれ」などと言われても、多くの若者にとって「自分らしさ」が何なのか分からない。「そのままでいい」という現状追認には、一瞬、安堵を覚えるかもしれないが、実は「そのまま」の状態が不安だったのだと、歌がもたらす陶酔が終わると気付かざるを得ない。彼らの歌は、表向きのメッセージ性とは別に、むしろ、現実から目を背けたい時に役に立つ、退行的なところがあった。近代的な制度は批判できても、近代的な個のあり方を疑ったりしない。やはり違和感を覚えつつも、相変わらず、和製ロックやポップスに耳を傾けた80年代だった。
 
 純粋に「歌の言葉」を楽しむことができるようになったのは、比較的、最近のことだ。ぼくがリアルタイムで聴いていた範囲内では、まず、Mr. Childrenが、あけすけな言葉で、「個」の問題を歌うことに成功した。彼らは、「自分らしさ」を見つける処方箋を提供しようとはしないし、「隠蔽」にも荷担しない。そして、My Little Loverが、"now and then" という曲の中で、「自分らしく生きることさえ、何の意味もない朝焼け」と歌った時、近代的な個の問題が、はじめて流行歌の言葉の中で相対化されたと感じた。
 
 以来、ぼくはJ-POPジャンキーである。「歌の言葉」は、以前に比べて本当に自由になった。新しい人たちが歌う、思いもよらないような言葉が楽しくて仕方ない。
 
 たとえば、Dragon Ashが、「父への尊敬、母への敬意、あやまちを繰り返さないための努力」と歌った時、ただ「大人」や「制度」に対して頑なになるしかなかったかつてのロック系の歌詞は無効化した。また、宇多田ヒカルの歌う言葉は、日本で流通する曲の中で英語が歌われる必然性をはじめて感じさせるものだとぼくには感じられた。歌えるところまでぎりぎり日本語で歌って、それでは歌いきれない思いを、英語に乗せる時、「一曲の中に複数の国の言葉がまざる」という、世界的にも希で、ある意味、不自然な形式が、逆に歌の言葉の新たな可能性として聞こえてきた。椎名林檎、aikoのような、いつの時代にいた「ちょっと壊れた女性シンガー」の言葉も、以前よりずっと研ぎ澄まされたものになっているように思う。日本人によって、日本人のために歌われるロック、ポップスがようやく、ぼくたちのリアリティに届いた。そういう気がしてならない。
 
 あとは、曲のタイトルやグループの名前が、横文字だらけっていうのを、どうにかしてほしいな、などと思いつつ、きょうもJ-POPを聴いている。このエッセイのBGMは「勝訴ストリップ」。

***********
追記@2008
今のBGMは、こちら。
HEART STATIONHEART STATION
価格:¥ 3,059(税込)
発売日:2008-03-19

宇多田ヒカルも、ずいぶん「オトナ」になったようなあ、と感じるのです。
まあ、それは悪くない。

 

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
洋楽ばかりだったFMラジオで椎名林檎がかかった... (ささがに)
2008-05-27 22:35:20
あれはターニングポイント。
それ以後、面白いように邦楽がかかるようになりました。


バンド名・曲名英語問題はありますよね。
どっちがどっちなのやら。
カウンターとしての「凜として時雨」か。
そういや、ビジュアル系バンドのネーミングは、聖闘士星矢の必殺技の影響が大きかったような気がします。

あ、音楽つながりで。
「BECK」終わってしまうのですね。しばらく読んでないので、あらためて追っかけようかと考えてます。
返信する
はじめましてー (ウメ子)
2008-05-28 14:04:27
ガッツリ読ませていただきました。するごい考察ですね、なるほどです。
最近の宇多田ヒカルは脅威ですね、歌詞の切実さがもはや悲壮!
ここのところ気になっているのは阿部芙蓉美というシンガーソングライターです。
女の子が恋するとこうなってしまうのか、といった印象というか、共感というか・・・
返信する
BECKは、この何ヵ月かずっと、エンディングロール... (カワバタヒロト)
2008-05-29 09:00:52
ウメ子さん、ちわっす。阿部芙蓉美さんですね。こりゃまたいいこと聞きました。聴いてみます。
返信する
どうも。元ミサキです(覚えてないかも知れないけど... (砂糖B子)
2008-05-30 03:02:08
「勝訴ストリップ」は、夫も私も買ったり借りた覚えないけど、なぜかケースと歌詞カード抜きでCDだけあります。笑
最後の曲「依存性」の歌詞は最近起きたショックなニュース(わかりますよね。。私のブログの26日のところに書いたけど。。。)のこと思ってしまいます。
「覚醒を要する今日という厳しい矛盾に惑うのです」とかいう歌詞は誰でも共鳴するところ、が、ありそう。。。な~ンて。。歌いやすいからカラオケで絶対入れる曲でも、あるンですけど(>_<)
最近ブログ移転しました。(このコメントのURL欄のとこから飛べます)ここのリンク張らせていただきました。
返信する
おぼえてますとも。 (カワバタヒロト)
2008-05-30 10:28:07
新垣ゆいちゃんを紹介してくれた方ですよね。もともとぼくにとってはレアなお客様だけど、しかし、なんともまあ、さらにレアな環境になられらたようでうれしいかぎり。

ちなみに、

?「覚醒を要する今日という厳しい矛盾に惑うのです」とかいう歌詞は誰でも共鳴するところ

って,思うに、誰もは共鳴するってわけでもないと思いまする。
共鳴する人はきっと、タマシイの友ってほどではないけれど、仲間です。
返信する
お、ここにもお仲間が。 (カワバタヒロト)
2008-06-01 07:53:01
昔、ぼくはかなりはまっておりましたです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。