ずっと描こうと思っていた「近代の絶滅」動物小説『ドードー鳥と孤独鳥』(川端裕人 国書刊行会) がいよいよ書店に並びました。「日本に来ていたドードー」の取材を始めた2014年から数えてもほぼ10年近い年月を経ての堂々たる「ドードー小説」です。
自分で言うのもなんですが、かなりの「奇書」になったと思います。「近代の絶滅」が気になって仕方ない著者が、その代表たるドードー鳥、影に隠れてきた孤独鳥について、わき目も振らず掘り下げて、埋まっている物語を浮き彫りにした、というようなイメージです。エンタテインメントのパーツとして、あるいは象徴的なものとして、「近代の絶滅」を用いるのではなく、ただ、今そこにあるもの、そして、自分が切り結ぶことができる断面を提示しました。
ゆえに、「奇書」、です。
編集者がつけてくれた惹句は、
・『ドードーをめぐる堂々めぐり』著者川端裕人が贈る、スリリングで感動的な「絶滅動物小説」!
・忖度なしの〈堂々たるドードー小説〉 『ドードー鳥と孤独鳥』、堂々刊行!
といったものです。
たぶん、ドードー鳥に思い入れがある人、「近代の絶滅」が気になって仕方がない人は、ピンポイントな読者かもしれません。生き物一般に関心が強い人も楽しんでいただけるでしょう。でも、多くの人に理解してもらおうという努力をそれほどしておらず(やっても、ぼくの場合、不発に終わることが多いですし)、ドードー鳥、孤独鳥、著者が切り結ぶ範囲において、物事を深めました。
2年前にノンフィクション『ドードーをめぐる堂々めぐり』(岩波書店)をすでに上梓しているわけですが、それがなければ、ひたすら博物学的な記述が増えて、『白鯨』(ハーマン・メルヴィル)のようになったかもしれません。そういう意味では先にノンフィクションを書いて本当によかったです。現状でも『プチ白鯨』なので、「これ以上」はきつかったかな、と。
内容紹介は──
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科学記者の「タマキ」は、ゲノム研究者になった幼馴染「ケイナ」と二十年ぶりに再会した。ステラーカイギュウ、リョコウバト、オオウミガラス、そして、ドードー鳥と孤独鳥……自然豊かな房総半島南部の町で過ごした小学生の頃から、絶滅動物を偏愛してきたふたり。
カリフォルニアで最先端のゲノム研究「脱絶滅」に取り組むケイナに触発されたタマキは、江戸時代に日本の長崎に来ていたという「ドードー鳥」の謎と行方を追う旅へと乗り出した。
〈もっと知りたいと願った。ドードー鳥と孤独鳥の秘密を、ケイナちゃんとわたしを結びつける秘密を。〉
日本、アメリカ、欧州、そしてドードーの故郷モーリシャスへ。
やがてふたりの前に、生命科学と進化の歴史を塗り替える、驚愕の事件が待ち受けていた。
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書き終えて、今やっと送り出すことができて……とてもほっとしています。
ずっともやもやしていたもののカタチは、きっとこのようなものだったのだと、本作で素描することができました。地球の生命史上「絶滅」を悼むのはヒト、それも近代のヒトがはじめてです。また、去ったものを部分的にでも復活させる技術を手にしつつあるのも、やはりヒトが最初です。そこには、単純にノスタルジーでは済まない、もっと本質的な、わたしたちにとってのこの世界の成り立ちにかかわるような問いかけも含まれているのだと思います。
なんとか書き終えて肩の荷がおりた……というのとはちょっと違いますが(別に荷物というわけではなかったですし)、胸をなでおろし、一安心して、つまり、ほっとしている次第です。
そして、それと同時に、まことに勝手ながら、堂々たる気分です。
全身全霊の奇書に相応しく、「美麗函入・挿絵(博物画)多数」に仕上げていただきました。装幀は、「美しい石」の収集家で多くの著作を持つ山田英春さんが手掛けてくださって、まさに堂々たるものに仕上がったと思います。国内文芸の「函入」は、とても珍しいと思いますが、博物書のような佇まいにしたく、お願いしました。
関心を持ってくださった方は、ぜひ手にとってみてくださいね。
函入の姿はこちらを参照↓
注・一番最後になんですが、あまりの奇書ゆえに、全国津々浦々の書店に行き届く、というわけにはいかないかもしれません。書店でご覧になりたい方は、事前に入荷しているか確かめることをおすすめします。
注2・「奇書」というのは、奇跡の書籍、という意味だと思っています。この内容、このカタチの本を、現在の日本で出せるのは奇跡で、その著者が自分だというのはさらに奇跡です。