新刊『空よりも遠く、のびやかに』(川端裕人 集英社文庫)が書店に並びましたので紹介いたします。
高校時代、ぼくは地学部に入っていました。その後、子育てを通じてスポーツクライミングのコミュニティにも少し出入りさせてもらっていた時期があり、その頃いつも思っていたんです。上を見るとクライマーが登ってるけど、この石灰岩にはフズリナ、入ってるよね。あ、下を見ると地質屋さんたちが巡検してるよ!って。
同じところにいるのに見ている方向、見ているものが、空間的にも時間的にも違うんですよね。でもそれ一緒にしちゃったらどうなるだろうかと考えてきました。
地学は「理科の王」です。地球のなりたちや生命の起源、きょうあしたの天気予報から宇宙のはじまりとおわりまで、すべてを視野に収めます。高校地学の教科書は、固体地球、地球の歴史(古生物学含む)、海洋と気象、宇宙の4ジャンルが基本です。これらを解明するためには、物理学、化学、生物学、数学、ありとあらゆる道具を使う、理科の総合格闘技にして十種競技なのです。
一方、重力に逆らうクライミングには独特なカルチャーがあります。安全を確保するビレイヤーやスポッターに全幅の信頼を寄せて登ること、つまり「互いに認め合う」「互いに信じ合う」ことなしに成り立たない面があるんです。それゆえか、競技になっても単にライバル関係ではなく「仲間」の要素が強くなります。だって、仲間がいないと練習すらできないんですよ。競技が始まる前に、その日の壁を観察する「オブザベーション」で、ライバル同士が意見交換をするのはよく見る光景であり、ものすごく「クライミングらしい」部分だと感じてきました。
そんなこんなで、高校地学部とクライマーがお互いに「見つけ合って」くっついてしまったらどうなるか描きたいと思っておりまして、出来上がったのが「空よりも遠く、のびやかに」です。
本作は、2020年1月に書き始めました。お察しのように、もともと東京五輪に向けた書き下ろしのはずでした。しかし、新型コロナ感染症のパンデミックによる五輪の延期で、執筆を一時中断し、その後、登場人物たちに、コロナの時代を一緒に生きてもらうことにして書き直すことになりました。青春小説の体裁を取りつつも、かなりフリースタイルなものに仕上がったと自負しており、ぜひご賞味いただければと思います。
思えば、この5年ほどは「ノンフィクションの季節」だったんです。
2016年の『青い海の宇宙港』(ハヤカワ文庫)の前後から、「いつか書く」はずのまま放置していたノンフィクションのテーマをひとつひとつ本にしてきました。『宇宙のはじまり、そして終わり』(日経プレミア新書 小松英一郎と共著 2015年)、『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス 監修海部陽介 2017年)、『動物園から未来を変える──ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』(亜紀書房 本田公生と共著 2019年)、『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚』原論』(筑摩書房 2020年)、『ドードーをめぐる堂々めぐり(仮題)』(岩波書店、今年11月)などを書き上げることができ、一定の評価も得ることができました。また、昨年は、期せずして『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』を共著として上梓することができました。
これにて、当面、書くべきノンフィクションはすべて書いたことになり、今後、再び、小説の季節が始まりそうです。そこで、本作『空よりも遠く、のびやかに』をもって、新しい小説の時代の始まりを告げる、ということにいたします。
それでは引き続きよろしくお願いいたします!
2021.5.30 川端裕人
テキストDaisyと音声デイジーの着手をしました。
【エピデミック】は、よくお読みいただいております。