黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

父の命日・子供の日

2009-05-05 05:58:14 | 近況
 昨日(5月4日)は、47年前に53歳という年齢で亡くなった父の命日、そして今日は「子供の日」、この4,5日というのは、世の中はゴールデン・ウイークの真っ只中で、自宅から車で1時間ほどかかる生まれ故郷の墓参りには、いつも渋滞に巻き込まれ難儀してきた。国道18号線沿いにある天台宗の寺の墓へ参るのだが、観光地・軽井沢や長野へいたる1本しかない一般国道のため、この時期は例年混雑(渋滞)するのだが、今年は行きは比較的スムーズに動いており安心していたら、寺の近くに住む長姉の家に挨拶に伺い、しばらくして帰ろうとしたら、もう既に帰りのラッシュを迎えたようで、東京、埼玉、栃木、千葉といったナンバーに混じって大阪や愛知、北海道のナンバーを付けた車もあり、これが「高速道どこへ行っても1000円」効果なのかなと思い、約1年前、ガソリンの「暫定税率」問題で「エコ」が叫ばれていたのは、どうしたのか、と思わざるを得なかった。
 この国の人は、熱しやすく冷めやすく、あるいは「自分さえよければ」というジコチュウ病に罹りやすいのか、自分も渋滞の一部を形成したことを承知で(だが、毎年恒例となった墓参なので、僕が死んでも家族は励行するのではないか、と思う)、度し難いな、と思わずにはいられなかった(もちろん、この感情には墓参りぐらい渋滞とは関係なくさせてくれよ、というジコチュウ的な気持も含まれている)。というのも、帰宅してニュースを見ていたら、各高速道路の渋滞が10キロとか20キロとか、と報じていたからであった。そうまでして、長い連休を安い交通費で過ごすのは何故か。
 こんな歪な状況を直すのには、欧米並みの「バカンス」制度を生活の中に取り入れ、民主党がマニフェストに掲げる「高速料金タダ」を実現して貰うしかない、というのが僕の考えである。しかし、やっと獲得した「土曜休日」さえ、「学力低下」という大義名分によって亡くなりそうな気配を示す昨今、バカンスも「高速料金タダ」も、幻かも知れない。ゴールデン・ウイークの渋滞も当分解消されないと思っていた方が、残念ながら賢明かも知れない。
 閑話休題。
 父の墓参りをして、毎年少しずつ思いを強めているのは、「父は戦争犠牲者だったのではないか」ということである。僕と違って寡黙であった父は、二度にわたる戦争(兵士)体験を僕ら4人の子供に語ってくれた、ということはなかった。二人の姉たちはどうであったのか知らないが、少なくとも高校2年の春まで一緒に生活していた父から、一度目の「満州」の経験も、また二度目の「茨城県鹿島灘」の経験を父から直接聞いたことはない。満州時代に関しては、アルバムに防寒着を着て銃を肩に吊しスキーを履いている満州時代の父の写真が1枚貼ってあるだけで他に何もない。鹿島灘での経験については、駅の傍にあった自宅によく「父の戦友」と称する人々が寄り、その時に1小隊(20人前後)当たり、38式歩兵銃が5丁、銃剣が10本、あとは模擬銃と竹槍で武装し、役目としては鹿島灘から九十九里浜に「本土上陸」する予定のアメリカ軍汚染者を爆破するための「蛸壺」を掘るだけであったというようなことを愚痴交じりに話をしているのを、父の膝に載って聞いていた記憶しかない――考えてみれば、鹿島灘で蛸壺を掘っていた父たちは、その蛸壺が火薬を抱いて潜み、敵の戦車が上を通過したときに爆破させるというものだったようなので、さしずめ今で言うアラブでよく行われている「自爆攻撃」のようなものだったのだろう――。
 父は上等兵で除隊したが、その後は「真面目さ」を放棄し、仕事半分・博打半分の生活を十年余り行い、その後戦前のような真面目人間になったようだが、立ち直ったと思ったら急逝し、確かに父は「弱い」人間だったのかも知れないが、そのような人間を「ダメ」にしてしまった責任は戦争にある、と僕は思っている。ダメになった父親に母と僕ら子供がどれほどの辛酸をなめさせられたか、そのことの具体にについては話せるようなことではないが、「勝手だ」と言われようが、僕自身は父親のような存在もまた「戦争犠牲者」と考えることによってしか、真の「反戦」思想は成り立たないのではないか、と思っている。
 そんなことを思うと、北朝鮮の「人工衛星・ミサイル発射実験」に端を発した「先制敵基地攻撃論」やソマリア沖の自衛隊派遣には、強い怒りしか覚えない。どんな理屈を付けようが、「戦争は絶対悪」という立場を堅持すること、そのことに勝る思想はない。「先制敵基地攻撃論」を唱える自民党(民主党も)の若手政治家たちよ、戦争世代である父親(父親が亡くなっていたら叔父さんやおばさん)の話を、「戦争を知らない子供達」として、もう一度ゆっくり聞くべきである。そうすれば、自分たちが如何に「お調子者」で「アホ」であるかが分かるだろう。「子供の日」はそのような話を聞くのに、最も相応しい日だと思う。

憲法記念日に

2009-05-03 09:57:32 | 文学
 今日5月3日は、憲法記念日。「改憲」やら「集団的自衛権」やら、はたまた戦前の「朝鮮植民地支配公平だった」「正当だった」発言やらが目立つ昨今、もう一度「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」といった日本国憲法を支える根本的な思想について、その意味を考えてもいいのではないか、と思う。
 もちろん、日本が「無謀な」「狂気」としか今では思えないアジア・太平洋戦争(15年戦争、だが実は明治維新直後から海外侵略を考えていた明治国家=日本は、日清・日露戦争を皮切りに戦前はずっと戦争ばかりしていたおり、そのためにアジア諸国・民族を苦しめてきたという事実がある)に敗北し、「勝者」であったアメリカによって「民主主義」思想の実践地として、あるいは再び他国を侵略しないようにということで日本国憲法が(強制的であるか自主的であるか、などとは関係なく)制定されるということがあり、戦後の64年間の間に国際情勢(アジア情勢)が大幅に変化するということがあったから、その意味では「改正」しなければならないような条項もあるかも知れない。
 しかし、「憲法第9条」に違反して軍隊(自衛隊)を保持したとしても、何よりも64年間「対外戦争」を行ってこなかった事実の重み、それは即ち憲法の「前文」及び「第9条」の思想をこの国の誰もが認めてきた結果であること、そのことを僕らは忘れるべきではないのではないか、と思う。今の若い人たちは(ということを書くと嫌われることを閣議で書けば)、アジア・太平洋戦争はもちろん、日本が深く関わった朝鮮戦争やベトナム戦争についてよく知らない人が多く、戦争と言えばハイテクを駆使した湾岸戦争からアフガン戦争・イラク戦争を思い浮かべる人が多いようだが、父親が戦場から帰還し、母親も苦しかった「銃後の生活」を語る幼児期を過ごした僕らの世代にしてみると、憲法の「前文」及び「第9条」は絶対「改正」してはならないことであり、どのような美辞麗句を並べられても、絶対譲れない僕らにとっての「最低綱領」である。
 その意味で、僕にとって「5月3日」は、以上のような日本国憲法の精神(思想)を改めて確認する日になっている。しかし、誰が仕掛け人になっているのかは知らないが、「先のアジア・太平洋戦争は正しかった。侵略戦争ではなかった」とか、「日本は核武装すべきである」などと公言して憚らない前航空幕僚長田母神俊雄の講演会が、開けば常に満員だという。そのような講演会に行く人の気持ちは、僕には全く理解できない。しかし、先日偶然手にした靖国神社(正確には「靖国神社崇敬奉賛会事務局、だが事務局は靖国神社内にある)発行のパンフレットに「T]というしばらく前にカソリックの洗礼を受けたという文芸評論家(彼は、中国からの招きでシンポジウムに出席し、日本の現代文学について発言している)が、「南京大虐殺はなかった」という石原慎太郎などと同じ言辞を書き連ねているのを見たが、どこにも「マヌーバー」は存在するのだなと改めて思うと同時に、これからの僕らは「ブレない」ことの潔さについて考えなければ行けないのではないかと思った。
 閑話休題。
 昨日(2日)は、休みになる前から「農作業の日」と決めていたので、朝から畑の「土作り」に始まって、サニーレタス、混合サラダ菜、蔓なしインゲン、水菜の種まき、とホームセンターで買ってきた「ナス」(5本)、「キュウリ」(10本)、「ピーマン」(5本)、「シシトウ」(2本)、「鷹の爪(唐辛子)」(3本)、「パプリカ」(初めてなので2本)の苗を植え、それぞれに支柱を立てる作業を行った。最近は土作りが如何に重要かが分かってきたので、それなりに時間を掛けて作業したのだが、終わったら体の節々が痛く、年を感じてしまった。先に蒔いた「ラデッシュ」と「かぶ」「にんじん」が芽を出し、成長しだしたので、もうしばらくすれば新鮮な野菜が食べられるようになる。楽しみである。

どこかがおかしい

2009-05-02 07:03:00 | 近況
 人にはそれぞれ「好み」というのがあるから、他人の嗜好にとやかく言っても仕方がないことだが、どうも「100年に一度の大不況」とか「平成の大不況」に対応する「景気・不況対策」などという見映えのいい(格好いい)言葉=政策が罷り通っている間に、基本的と言っていい「大事なこと」が蔑ろにされ、気が付いたら「こんなはずではなかった」という状況を迎えるようになるのではないか、と危惧している。「郵政改革」に象徴される諸「改革」が、結果的に「改革」に価しない弱者切り捨ての愚作であったのと同じように、である。あの「小泉マジック」に踊らされ、「郵政選挙」において与党に1票を投じた人の如何に多くの人がいま臍をかんでいるか?
 「不況」「不況」の大合唱の中で、同じようなことが起こらないとは限らない。
 そんな危惧を抱くのも、しばらく前から気になっていたのだが、コメントしようと思っている間に、別な原稿書きや「村上龍論」の著者校やらで忙しくなってしまって黙っていたら、あれよあれよという間に、このまま放置しておけばとんでもないことになるのではないかと思うようなことが、いくつか出来したからである。
 まず、その①、このことについては前にも「仮想敵国」というキーワードを使っ て書いたことだが、北朝鮮の「人工衛星・ミサイル打ち上げ実験」という壮大な パフォーマンスが挙行されたことを受けて、自民党の山本一太などという「跳ね 上がり屋」ばかりでなく、民主党などからも北朝鮮を仮想敵国とする「先制敵基 地攻撃論」が声だかに叫ばれるようになって、「日本国憲法」(前文・第9条) の精神はどうなっているのか、僕も戦後生まれだけれど、実際の戦争は「WAR G AME」とは違うんだぞ、と思いたくなるような事態が進行していた、ということ がある。この「先制敵基地攻撃論」を唱えている政治家が「若手」(もちろん、 若手だけでなく若手に悪乗りして持論を展開する老獪な連中もいないわけではな い)であることを考えると、「歴史教育」(特に近現代史)を怠ってきた(ある いは、意図的に学習させてこなかった)ツケが回ってきているのではないか、と 思わざるを得なかった。先の東京オリンピック招致に関して、戦前の朝鮮植民地 政策は「公平だった」と発言した石原慎太郎東京都知事のような人間も、自民党(民主党)の若手政治家たちと同じ文脈から派生してきたことを、僕らはもっと真 剣に考えるべきではないか、と思った。
その②、もう既に国会を通って、ソマリア沖の「海賊対策」という形で自衛艦が 「海外派兵」されているが、これなどもアフガン戦争・イラク戦争への自衛隊出動 と同じように、明らかに「憲法違反」にもかかわらず、国会でもろくな議論が行 われなかったのと同様に、マスコミ・ジャーナリズムも含めて何故こうも「音無 しの構え」なのか。「国益」(貿易に従事している船舶を守る)という「大義」 の前には国権の根底を支えるはずの憲法も、その存在意義が認められないという のか。本当におかしくないか。自衛隊の海外派兵という点では、歴代の内閣が 「憲法違反」だと言い続けてきた「集団的自衛権の行使」に関して、麻生首相はそ れが可能かどうか検討するように指示を出したという。小泉純一郎―安倍晋三― (間に福田康夫を挟んで)麻生太郎、こう並べてくると、自民党総裁(内閣総理 大臣)は、この10年ほど「タカ派」(ネオ・ナショナリスト、ネオ・ファシス ト的な思想の持ち主)が続いてきている。小泉人気などがそうであるように、時 の政治は「国民(意識)の鏡」と言われることを考えると、国民の側にそのよう な人物を歓迎する風潮があるのかも知れないが、これは相当まずいのではない  か、と思えてならない。
その③、アメリカのオバマ大統領が「核廃絶」の演説を行い、世界に向かって 「核」を無くそう、と呼びかけたにもかかわらず、日頃は「緊密な日米同盟」を謳 っている人々(政治家たち)は、何故かオバマに同調するような発言を表立って する人がいないのは、どういうことなのか。このことは、彼らの本音が「核保  有」を認め、「核武装」をも辞さないということの現れなのか。もしそうだとし たら、例え北朝鮮の「核実験」「核ミサイル装備」などに触発されたとしたもの であっても、「ヒロシマ・ナガサキ」の体験を持つ日本の在り方に対する根源的 な「否定」であること、このことは肝に銘じておかなければならないのではない か。
その④、麻生内閣の支持率が10パーセント台から20パ-セント台の後半にまで 持ち直してきたという。これも不思議である。1万2000円(2万円)の特別 給付金をもらったからか。それとも、渋滞しか誘発しない「期間限定」(2年  間)の「高速道路料金1000円」が功を奏したのか、それとも小沢民主党党首 の「献金問題」によって、棚からぼた餅人気を得たのか知らないが、「年金問  題」や「不況対策」、「福祉・教育」「公務員改革」、「税金の無駄遣い」、  等々、麻生政権になって「改善」されたものは何一つなく彼が行ったのは「不況 対策」という名の「借金財政」の容認だけだ、と僕は思っているのだけど、それ なのに何故麻生内閣の支持率が上がるのか。僕には分からない。彼は今度の補正 予算で国立の「アニメ・漫画・映画図書館」を117億円掛けて作るということ だが、あくまでも「経営者」(麻生財閥の総帥)の感覚で政治をやろうとしてい るようだが、いい加減にして欲しい、と思うのは僕だけだろうか。

 と、ここまで書いてきて、このようなことに腹を立てている自分が嫌になってきた。なので、もう止めるが、僕らは自分の城に閉じ籠もることなく、アンテナをピ―ンと張って、世の中(政治や経済、その他)の動きを監視しなければいけないのではないか、と改めて思った。そして、それこそ「炭坑のカナリア」としての役割を持つはずの文学者の責務なのではないか、とも思った。