日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

「歌枕」白河の関

2012-11-04 03:35:13 | 大正時代
先日の中間考査で、古典の試験監督をしていたら、私の実家である福島県白河市にある「白河の関」のことが試験問題になっていたのに気が付きました。
松尾芭蕉が行きたくて焦がれた「奥の細道」の玄関口です。古くは、能因法師が

「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」

と詠んだ場所です。京の都を出発した時には、春だったのに、白河の関に着いた時には、秋になっていた、というわけですね。それだけ白河の関は遠いという。
しかし、現代では白河から京都まで、修学旅行でも新幹線で行けば数時間で着いてしまいます。
白河から東京まで毎日新幹線通勤している人もいます。

とにかく、おそらく授業で白河の関のことをやったのでしょうが、多くの人が白河の関を歌に詠んでいると。そういう場所を漢字二文字で?何というか、という設問があったと思います。私は、ちょっと考えて、ああそうか、と答えがわかり、皆さんの答案をざっと見たのですが、ちゃんと答えられている人があまり多くなかったようです。答えは、たぶん「歌枕」ですよね。覚えてくださいよ~。

白河は小さい地方都市ですが、史跡がたくさんあります。日本史の教科書にも、これから学習する部分で「白河」は出てきます。




この写真は、白河駅です。あまりいいお天気ではない日に撮ったのでさえませんが。大正時代に建てられた駅舎がそのまま残っています。これだけ古い駅舎は日本中でもなかなかありません。だいたい、建て替えられてしまいますからね。

今、東京駅では改修を終えて、大々的にイベントが行われ、見学するお客さんがたくさん押しかけているようです。東京駅舎は来年2013年で100周年となるそうです。1914年に竣工したので東京駅も大正時代の建物になります。白河駅は、東京駅よりも6年ほど遅い1920年にできたようですが、同じく大正時代で、東京駅と白河駅は同時代の建物ということになります。

白河駅舎は、ステンドグラスがはめ込んであって、木組みが美しく、しっかりした造りをしています。
大正ロマンを感じる駅としてファンも多いようです。

この駅には新幹線は停車せず、隣の新白河駅が新幹線の駅になっています。地理的な問題などさまざまな理由から、新幹線の駅は新白河になり、市街地にある白河駅は在来線の駅のまま、駅舎を改築されることをのがれて、今に至っているのです。白河駅が新幹線の駅にならなくて本当によかったと思います。奇跡的に、今、ひっそりと白河の街にたたずんでいます。
これからも、火災で失われたりすることがないように、しっかり建物を保存してほしいと願っています。

ちなみに、私の実家は、この駅から歩いて15分くらいの所にあります。

白河も、震災でお城の石垣が崩壊したりして、沿岸部ほどではないにしても、さまざまな被害を受けました。今も、石垣は崩れたままです。白河の話は、また後日。