まろの公園ライフ

公園から世の中を見る

なごり雪

2012年01月26日 | 日記

真冬のジョギングはなかなかつらいものがある。
昨日、東京はついに「氷点下」となった。
走っていても頬っぺたが切られるように痛い。
でも、意地のようなものがあって「今日はやめておこうか・・」とはならない。



メタボ体型のせいか夏場に大汗をかくことはあっても
冬を「つらい」と感じたことはあまりなかったのだが
最近は年のせいで寒さがめっきりこたえるようになった。
基礎代謝が低下して血行が悪くなっているせいか体が冷え切っている。



東京の雪は「一夜の夢」のように消え
公園に向かうメインストリートもご覧の通り、のどかなものだ。
ところが・・・

ちょっと日陰に入るとこんな有様。
カチカチに凍ってしまっていて、危なくてとても走れる状態ではない。



土の温もりで地表の雪は溶けてしまているのに
木の枝に残った雪が気温の上昇とともにバサバサ落ちてくる。
写真を撮っていると突然、頭を直撃!
痛ッ!冷ッ!うーん、もう、ただでさえ髪が薄くなっているのに!

公園では至るところに「なごり雪」が見られる。
私はこの「なごり」という言葉の響きが大好きだ。
余韻嫋々たる太棹三味線の音色、宴の後の寂寥、亡くなった人への惜別の念。
満開の桜より、散り果てた桜の花びらに心惹かれるのも
日本人ならではの「なごり」の美意識なのかも知れない。
そう言えば、イルカの「なごり雪」も昔はカラオケでよく歌ったなあ・・・

なごりと言えば近松門左衛門の「曽根崎心中」を思い出す。

  この世のなごり 夜もなごり 死ににいく身をたとふれば
  あだしが原の道の霜 一足づつに消えていく 夢の夢こそあはれなれ

七五調の韻律を踏んだ嫋々たる浄瑠璃の調べはゾッとするほどに美しい。
お初・徳兵衛の「道行き」の哀切が目に浮かぶ。

公園では子供たちも雪の「なごり」を楽しんでいる。

雪の量が少ないから都会の「雪だるま」はどうしてもこうなる。

これは「三段重ね」の雪だるま?

帰り道、子供たちが「なごり雪」で雪合戦をしていた。

こちらは「なごり雪」などと悠長なことを言っているが
東北・北陸地方は今冬最大の「寒波」の到来でかなりの豪雪らしい。
各自治体は「除雪費」が枯渇して悲鳴をあげているとも聞いた。
いやはや、大変なことである。
私もこれしきの雪をネタに二日も三日も
とりとめのないブログ記事を書いて申し訳ないと思う。


雪の写真展

2012年01月25日 | 日記

夜来の雪も朝にはあがった。

仕事部屋の東ベランダ風景。
すべてが白く凍りついてしまっている。

南側ベランダから石神井方面。
いつもは環八の車の音が聞こえるが今日は静かだ。

廊下側から見た富士山。
ジョギングは滑って危なそうなのでカメラ散歩へ。
登校前のピアノ小僧も同行。

パリバリ、ガリガリ。
路面は完全に凍結してしまっている。

雪原を行く孤高の少年。

ちょっとした「樹氷」のようだ。

ちょっとしたクリスマスツリー。

都内は積雪4センチの発表だったが5、6センチはありそう。

雪の上に朝の太陽が・・・
見とれていたピアノ小僧が何かひらめいたようだ。

  「ねえねえ、ちょっとカメラ貸して」

自信作「雪山のご来光」とか。
なるほど、お主なかなかやるなあ・・・

ドンドン陽が昇ってきてライトアップのようだ。

朝の出勤風景。
案の定、この日は転倒者続出だった。

鉄棒の下に「つらら」発見!
ちょっと「モヤシっ子」のようなひ弱なつららだけど・・・

池面もみごとに凍りついてしまっている。
いつも見かける「カワセミ」もどこかへ避難してしまったようだ。

固い雪玉を投げても池の氷はビクともしない。

  「ちょっと歩いて見てもいい?」
  「アホか、割れるに決まってるやろ」
  「でも、ちょっとやってみたい」
  「駄目!腹減ったから朝飯、朝飯!」

しかしまあ・・・
この程度の雪が降ったぐらいでウキウキしていては雪国の人に申し訳ない。
寒波は居座って明日から東北・北陸は大雪らしい。

 


ホームレスの冬

2012年01月24日 | 日記

風が冷たい。
上空を覆う何やら不穏な雲。
やっぱり雪雲だろうか。

テレビで予報士が珍しく「夜には雪が積もります」と歯切れよく言い切っていた。
大寒が過ぎて一年で一番寒い季節を迎えている。
そう言えば、大昔にひねったこんな短歌を思い出した。

   一年に さしたる計も見つからず 明日は雪とか 大寒は過ぐ  (杉作)

うーん、昔から人生に「計」というものがなかったんだよなあ・・・

冬はホームレスの人にとっては一年で一番つらい季節だ。
夏なら風も吹くだろうし水でも浴びて涼をとることが出来るだろうが
公園は焚火禁止だから暖をとることさえ出来ない。
とくに夜はいくら着込んでも戸外の寒さは耐えがたいものだろうと思う。

ほとんどの人が園内の休憩所で寝泊まりしている。
屋根があるから雨露こそしのげるが、冬場は吹きっ晒しの状態だ。
時には朝から寒さしのぎに酒盛りをする光景を見かけることもあるが
荷物だけで本人の姿が見えないと
「よかった、今日は仕事があったんだ」などとホッとする。

以前、ドキュメンタリーの取材で何人ものホームレスの人に話を聞いたことがある。
大半が地方出身の高齢者と呼ばれる人たちだった。
「家なき人生」に至るまでの事情と流転の道のりは実に数奇なもので
生半可な放送作家の想像力をはるかに超えるさまざまな体験談を聞かせてもらった。
腕のいい友禅職人さんもいたし、上場企業の重役だった人もいた。
それぞれの経緯を紹介する余裕はないが
いずれも人間として(男として)の矜持はいささかも失っておられず
行政の「セーフティーネット」の世話になることをキッパリと拒否しておられた。

人間としての「尊厳」と「福祉」の相克。
などというと大げさになるけれど、何とかならないものかと、いつも思う。
ホームレスの人を見て常にある種の「痛み」に似た感情を覚えるのは
決して「他人事ではない」という怖れである。
よるべないフリーランサーの足元など実に脆弱かつ頼りないもので
何かの拍子に自分がホームレスになるのは
目の前の水たまりを飛び越えるより容易いものなのだ。

案の定、夜になって雪が降り始めた。
横なぐりのボタン雪で見る見る団地も銀世界となった。
公園は、ホームレスの人はどうなっているのだろうかと思う。
縁起でもなく「凍死」などという言葉が浮かんだ。



ドンドン降り積もる雪。
ぬくぬくとした部屋の窓からじっと降る雪を見ていた。


マイペース

2012年01月23日 | 日記

ひと月以上も雨がなくてカラカラだった東京に
久しぶりに雪やみぞれが降って乾燥注意報も解除された。

公園の街路も木立もしっとりと濡れている。
湿度があるせいか走っていても呼吸がとても楽だ。
まさに「慈雨」と言うべきか・・・

トコトコとマイペースで走る。
誰かが追い越して行っても我関せず、あくまでもマイペースでトコトコ。
見ようによってはトボトボと映るかも知れないが気にしない。
ジョギングを始めてもうずいぶんになるが
最近、ようやく自分のペースがつかめて来たように思う。



公園を走っている人もそれぞれ独自のペースがあってまさに千差万別だ。
ものすごいスピードなのに涼しい顔をして走る人もいれば
私とどっこいどっこいなのに身も世もないといった苦悶の表情で走る人もいる。
そんなに苦しいならやめたら・・・と気の毒になる。

若者ランナーが軽快なスピードで私を追い抜いていく。
「フン、勢いで通用するのは若いうちだけだからな」と憎まれ口を叩いてみる。
でも、ちょっと悔しい。思わずスピードを上げるがすぐに苦しくなる。
マイペースと言いつつも、要するに「根性無し」なのだろうか。
そのせいで常に人の後塵を拝し、人生は早くも周回遅れの体たらくだ。

先日、本年度の芥川賞が発表になった。
この時期、月刊誌に掲載される受賞作を買って読むのが恒例なのだが
最近は買っても読まずじまいということが多くなった。
石原慎太郎氏が言うほど「バカみたいな作品ばっかり」とは思わないけれど
確かに圧倒されるようなインパクトを持った受賞作が減ったと思う。
読後感も「うん、なるほど、そうか」と想定内の感想しか浮かばないものが多い。

この人の「不機嫌さ」がずいぶん話題になっている。
田中慎弥さん、39歳。
考えてみればこの人もかなりの「マイペース人間」ではなかろうか。
何度も受賞を逃し、五度目の正直で芥川賞に輝いた。
「私がもらって当然」「もらっておいてやる」などという発言を
傲慢、不遜、大人げないと非難するムキもあるがそうだが
私は久々に面白い人が出て来たなあと思った。
だいたい小説家にはそういうシニカルなタイプの人間が多いし
テレビ向けの「いい子ばっかり」が多い昨今、いっそ爽やかな印象さえ持った。

郷里の下関で母親と二人暮らしだと言う。
高校卒業後、一切の職業にはつかずに小説を書き続けて来たと聞く。
そこに浮かぶのはいかにもひ弱な「文学青年」の典型だが
それでも書き続けて来たということは、生半なことではないと思う。
社会経験がなくて本当の小説が書けるのか・・・などという指摘もあるが
そんなことは関係ない、要はイマジネーションの問題なのだから。



この受賞によって田中さんの人生の環境は激変する。
それにとらわれることなく「マイペース」で書き続けられるかどうかが勝負なのだろう。
あまり食指をそそられない「タイトル」だけれど(笑)
書き手が面白そうなので久しぶりに受賞作を読んでみようかなと思う。

若い女性の一団が軽やかに走って行く。
私は相変わらずトコトコ、トボトボ。
私にとって「人生のマイペース」とはどんなスピードなのだろう。
このままでいいのか、それとももっと焦るべきなのか・・・
心は千々に乱れるのであった。


水戸黄門様の庭園

2012年01月22日 | 日記

東京ドームと言えば都内を代表する観光施設だが
そのすぐ隣にもう一つの知られざる「名所」があるのを知っていますか?
東京に初雪が降った日、所用を終えた後、ちょっと足を延ばしてみた。

延々と続く白壁がかつての「大名屋敷」を彷彿とさせる。
なんと東京ドームの倍以上の広さがあると言うから驚いてしまう。

東京都の特別名勝「小石川後楽園」だ。
水戸徳川藩の始祖・頼房の中屋敷だった場所を
後に二代目藩主・光圀が回遊式築山泉水庭園として整備したと言う。

とにかく広いなあ・・・というのが第一印象。
この季節の風物詩である「雪吊り」も他の庭園に比べてデカイ!

茅葺きの屋根に降り落ちた名残りの紅葉も風情タップリ。
黄門様もこの東屋の縁台に腰掛けて紅葉を楽しんだのだろうか。
光圀は「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」
という意味で後楽園と名付けたと言う。
まさに天下国家を考え続けた副将軍だった訳だなあ・・・

そう言えば・・・亡くなった私の父も「天下国家」を論じるのが大好きだった。
国民学校の教師で応召、陸軍予備士官学校を出て満州から南方戦線へと従軍。
ボルネオの端っこの孤島で終戦を迎えた根っからの軍人だった。
階級は大尉だったから軍人としてはかなりのエリートだったと思うのだが
戦後は自衛隊からの誘いもキッパリと断り、ふたたび教壇に戻ることもなく
一介のサラリーマンとして平々凡々の人生を生きた。
実はその親爺の口癖が「先憂後楽」だった。
これは「先に苦労をすれば後に楽ができる」という意味でもあるのだが
結局、貧乏サラリーマンで終わってしまった自分の人生をどう思っていたのだろうか。
不肖の息子だが、私はそんな父を心から尊敬している。

池の向こうに見えるのが東京ドームの屋根。
ふたたび雪まじりの氷雨が降り始めてとにかく寒い。

そんな中で「フユザクラ」が健気に咲いている。

へえ!「寒ボタン」も咲いている。
藁づくりの囲いで寒さから守ってやるのが定番なんだよねえ。

奥まったところに西行法師の歌碑があった。

   道のへに しみづながるる 柳かげ しばしとてこそ 立ち止まりつれ

西行法師は全国津々浦々を旅して歩いたデラシネの歌人だった。
もともとは北面の武士の家柄で相当なエリートだったのに
すべてを捨てて「漂泊」の人生に身を投じた姿は、ちょっと親爺に似ているような・・・

   願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月の頃

降りしきる霙(みぞれ)の中で立ちすくむ女性。
カメラが見えたから写真を撮っているのだと思うのだが
その思いつめたような後ろ姿にちょっと鬼気迫るものがあった。

ちょうど昼時になったので
冷え切った体を温めようと園内の「涵徳亭」という料亭へ。
いかにも由緒ありそうな古い木造の建物で和室の窓からは冬木立が眺められる。

注文したのが630円の「後楽園定食」。
生ビール320円を合わせても1000円しないというリーズナブルさがスゴイ!
お弁当もビールも大変美味しくて大満足。

出口でしっかりスタンプも押して家路についた。
冬の日の小石川後楽園、人も少なくてなかなかおすすめですよ!