3月16日(土)ダイヤが改正され、東武東上線や西武有楽町線・池袋線から東京メトロ副都心線、東急東横線を経由し、横浜高速みなとみらい線の元町・中華街まで相互直通運転が始まりました。
埼玉から乗り換えなしで横浜方面に移動が可能となりました。
大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」から転載しました。
まったく役人の力は恐しい
先週、東急東横線が渋谷から地下鉄副都心線に入り、池袋にまで通じたことの功罪が盛んに報じられている。
この東急東横線の延長の話を最初に聞いたのは、2000年、二度目のパシフィコ横浜に出向していた頃だった。
パシフィコに元大蔵省のOBの方がいて、その人と、さいたま新都心にある大蔵省関東財務局に財産管理のことでお願いに行った時のことだった。
その人は、大蔵のノン・キャリア組だったが、財産管理等の専門家ということで、パシフィコ横浜にきて頂いていた。
そして、関東財務局と同じ場所にあった関東運輸局の話になり、その時
「東急東横線は、いずれ池袋まで行くのですよ」と聞いた。
「そんなこと本当かな」と思ったが、国や関係企業は着々と進めて来たわけである。
数年前に国会で問題になった道路特定財源も多額、この工事に注ぎ込まれたはずである。
それはそれで良いが、ともかく一度計画され審議会で了承され、国で予算がつき、動き出した事業は役人の主導の下に、必ずやり遂げられてしまう。
まるで日本の集団主義的行動の凄さだが、それにしても国の官僚の力の強さには改めて驚く。
東急東横線の延長工事で、それに対し何らかの形で支援した「政策投資銀行」の役員が、東急に「天下り」されたのだろうと思うと余り愉快ではないが。
もうひとつ「飛鳥田一雄につて」も読んでほしい。
市長時代の飛鳥田氏の功績は大なるものがある。
みなとみらい21事業をはじめ、港北ニュータウン、高速道路と地下鉄、金沢埋立て、横浜ベイブリッジ等は、すべて飛鳥田時代の計画「6大事業」である。そこに田村明、鳴海正泰氏らブレーンの力があったことも事実である。
だが、多くの事業は飛鳥田時代には実現できなかった。金も力もなかったからだ。
それは、飛鳥田氏の後の細郷道一市長の手に委ねられた。
細郷氏は、自治省事務次官で、退官後の職としては、当時はやや「役不足」と見られたが、横浜市長に喜んでなり、飛鳥田時代の計画の実施に当たった。その意味では、大変公平で無私な高潔な人だったと思う。
みなとみらい21の区画整理事業の住都公団(現UR)による施工、みなとみらい会社社長への高木文雄氏の就任など、中央の金と人脈を導入することに大きな功績があった。
次の高秀秀信氏は、道路整備にはご功績があったと言うべきだろう。
また、現日産スタジアムの横浜国際競技場建設は彼の力だと言ってよい。国費、公園建設の補助金を獲得して来て、スタジアムを作った。
総じて、飛鳥田氏は、市長時代は歴史残る功績を挙げたと言える。
<以下省略>
埼玉から乗り換えなしで横浜方面に移動が可能となりました。
大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」から転載しました。
まったく役人の力は恐しい
先週、東急東横線が渋谷から地下鉄副都心線に入り、池袋にまで通じたことの功罪が盛んに報じられている。
この東急東横線の延長の話を最初に聞いたのは、2000年、二度目のパシフィコ横浜に出向していた頃だった。
パシフィコに元大蔵省のOBの方がいて、その人と、さいたま新都心にある大蔵省関東財務局に財産管理のことでお願いに行った時のことだった。
その人は、大蔵のノン・キャリア組だったが、財産管理等の専門家ということで、パシフィコ横浜にきて頂いていた。
そして、関東財務局と同じ場所にあった関東運輸局の話になり、その時
「東急東横線は、いずれ池袋まで行くのですよ」と聞いた。
「そんなこと本当かな」と思ったが、国や関係企業は着々と進めて来たわけである。
数年前に国会で問題になった道路特定財源も多額、この工事に注ぎ込まれたはずである。
それはそれで良いが、ともかく一度計画され審議会で了承され、国で予算がつき、動き出した事業は役人の主導の下に、必ずやり遂げられてしまう。
まるで日本の集団主義的行動の凄さだが、それにしても国の官僚の力の強さには改めて驚く。
東急東横線の延長工事で、それに対し何らかの形で支援した「政策投資銀行」の役員が、東急に「天下り」されたのだろうと思うと余り愉快ではないが。
もうひとつ「飛鳥田一雄につて」も読んでほしい。
市長時代の飛鳥田氏の功績は大なるものがある。
みなとみらい21事業をはじめ、港北ニュータウン、高速道路と地下鉄、金沢埋立て、横浜ベイブリッジ等は、すべて飛鳥田時代の計画「6大事業」である。そこに田村明、鳴海正泰氏らブレーンの力があったことも事実である。
だが、多くの事業は飛鳥田時代には実現できなかった。金も力もなかったからだ。
それは、飛鳥田氏の後の細郷道一市長の手に委ねられた。
細郷氏は、自治省事務次官で、退官後の職としては、当時はやや「役不足」と見られたが、横浜市長に喜んでなり、飛鳥田時代の計画の実施に当たった。その意味では、大変公平で無私な高潔な人だったと思う。
みなとみらい21の区画整理事業の住都公団(現UR)による施工、みなとみらい会社社長への高木文雄氏の就任など、中央の金と人脈を導入することに大きな功績があった。
次の高秀秀信氏は、道路整備にはご功績があったと言うべきだろう。
また、現日産スタジアムの横浜国際競技場建設は彼の力だと言ってよい。国費、公園建設の補助金を獲得して来て、スタジアムを作った。
総じて、飛鳥田氏は、市長時代は歴史残る功績を挙げたと言える。
<以下省略>