荒川公民館での「9条の会・熊谷」主催の学習会に参加しました。
講師の下山紀夫さんより、
東京新聞の「平和の俳句」から
「荒南風(あらはえ)や天気予報のある平和」
句の紹介がありました。
「戦争と天気予報」天気予報は平和のシンボル
クリミヤ戦争でイギリス海軍とフランス海軍の連合艦隊が猛烈な暴風雨で壊滅的な被害を受けて、フランス政府が原因調査をルヴェリエパリ天文台長に出す。
ルヴェリエ台あ長は、ヨーロッパ各地から測候所の気象観測データを取り寄せ解析を行い、急速に発達した低気圧が原因と解明した。
各地で観測された気象データをもとに定期的に天気図を作成し、その変化を追跡することによって暴風や雨の進路が予測が可能で、それにより被害を防ぐことができるということを証明し、天気予報の必要性を進言した。
フランスでは1858年から天気図が毎日作成され、天気予報を開始した。毎日の天気図作成が可能になったのは、モールスの発明電信網のネットワーク、さらにガリレイによる湿温計、トリチェリの気圧計(晴雨計)が背景にあります。
日本では、1941年12月8日 陸・海軍大臣の命令「気象報道管制令」により、ラジオ・新聞等で国民に天気予報は伝えられなくなった。
1945年8月15日、敗戦。
1945年8月22日、天気予報の報道再開。
天気予報が秘密になる世を再び作ってはならない!
東京新聞に載った平和の俳句から。
荒南風(あらはえ)や天気予報のある平和(安藤勝志・73歳)
天気予報がある日々は、平和なのだ。戦時には軍事情報として秘密にされたのだという。なんでもない日常のありがたさに気づかされた。
「戦火の熊谷」空襲の記録(熊谷市制作)DVDを鑑賞。