和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

薫 風(五十)小説「新・人間革命」

2012年03月27日 15時21分39秒 | 今日の俳句
    小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)3月27日(火)より転載】
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薫風50(3/27)
 佐賀文化会館の開館記念勤行会のあと、山本伸一は庭に出た。開館を記念して楠の記念植樹などを行うためである。皆が真心を込めて作った、満開の造花の桜が微笑んでいた。

 伸一は、外にいた人たちに声をかけながら庭を一巡し、師子の像の前で足を止めた。

 「本当にすばらしい像だね。佐賀県の青年の心意気が感じられるね」 横一メートル八十センチ、高さ九十センチほどの、咆哮する百獣の王・師子のブロンズ像である。前日、ロビーに置かれていたのを伸一が見て、広々とした庭に出してはどうかと伝えたのだ。

 伸一は、楠の植樹に向かった。

 楠の前には、精悍な顔立ちの、役員の青年が立っていた。徳永明である。彼は師子の像の寄贈者で、佐賀市内で精肉店を営む男子部員であった。

 ――前年の夏、徳永は、九州の輸送班(現在の創価班)の総会と野外研修に参加するため、鹿児島県の九州総合研修所にいた。

 研修の一環として、研修所内につくったテントで、全員が宿泊することになっていた。ところが、その日の午後、激しい雨に見舞われたのである。研修棟などに避難できる態勢がつくられていたが、佐賀県の輸送班は、テントで頑張り続けた。

 「自分たちが豪雨にさらされても、会員の方々を守るのが輸送班だ。その精神を学び、訓練を受けるための研修なんだから、ぼくらは、最後までテントにいようじゃないか」

 彼らは、ずぶ濡れになり、学会歌を歌いながら、テントにとどまっていたのである。

 この夜、伸一はテント村を回った。既に雨はあがっていたが、メンバーはどうしているか、心配でならなかったのである。

 皆の安全のために、自ら行動し、常に心を砕いていくのが指導者である。その実践があってこそ、人びとは信頼を寄せるのだ。

 伸一は、男子部の幹部から、雨のなか、テントで頑張り通した輸送班がいることを聞くと、どこの県のメンバーかを尋ねた。


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/名字の言」平成24年3月27日(火)

2012年03月27日 11時03分55秒 | 今日の俳句
/名字の言」平成24年3月27日(火)

   

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【「聖教新聞」平成24年3月27日(火)より転載】
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(3/27)
 「学帽を耳に支へて入学す」(上野泰)。卒業シーズンが終わり、入学の季節がやってくる。入学祝いを選ぶのに頭を悩ます人もいるだろう。最近はアイデア商品も豊富だが、定番はやはり文房具。万年筆を贈られ、大人になった気分に浸った過ぎし日を思い出す



万年筆は、細い管を液体に浸すと、重力にかかわらず管に浸透していく「毛細管現象」という原理を応用したペン。開発したのは、ルイス・エドソン・ウォーターマンという人だ



ニューヨークの保険外交員だった彼は、大口契約を交わす際、ペンがインク漏れして契約を取り損ねた。この苦い経験から、「インク漏れしないペンを作ろう」と、制作に取り組んだ。失敗を飛躍のチャンスに変えた好例といえよう



かつて池田名誉会長は、ジャズ音楽家のハービー・ハンコックさんが失敗を乗り越えたエピソードを通し、どんな失敗や苦難も「自分が大きくなっていくバネだ」「もっと高く飛んでいけるバネだ」と捉えることの重要性を語っている



失敗しない人などいない。しかし、その経験が後退の因となるか、前進へのバネになるかは、全て自分自身で決まる。転んでも、ただでは起きない執念を持とう。フレッシュマンの、力強い新出発を望む。                 (道)


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春日傘/No.872・2012年(平成24年)3月27日(火)

2012年03月27日 06時12分28秒 | 今日の俳句
春日傘/No.872・2012年(平成24年)3月27日(火)


(3月27日)
■ 世界演劇の日(World Theatre Day)。
 ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定。
 1962年のこの日、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催した。

■ さくらの日。
 日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
 3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
 日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。

■ 赤彦忌。
  明治大正時代の歌人・島木赤彦の忌日。
 明治9(1876)年12月17日~没年: 昭和1(1926)年3月27日 。本名久保田俊彦,旧姓塚原。別号に山百合,柿の村人,柿蔭山房主人など。
 長野県諏訪郡上諏訪村(諏訪市)に塚原浅茅・さいの4男として生まれる。長野尋常師範学校卒業。
 明治36(1903)年には岩本木外らと『比牟呂』を創刊,37年には伊藤左千夫門に入った。
 38年に太田水穂と合著で刊行した詩歌集『山上湖上』には彼の新体詩が収められている。
 41年『アララギ』が創刊されると『比牟呂』をこれに合併,以来赤彦は左千夫門下の有力歌人として活躍することとなる。
 大正2(1913)年,中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』を出版,その後島木赤彦という筆名を使う。翌年上京,私立淑徳高女の講師をしながら『アララギ』の編集を担当,短歌に専念した。
 第2歌集『切火』(1915)のころには主情的な作品が多い。
 その後は『アララギ』の発行に全力を注ぎ,同人の実質的な指導者となっていく。 そのなかで『アララギ』の写実的歌風は確立された。
 教育者であった赤彦の言説には教祖的な説得力があり,そのことが『アララギ』勢力を強化拡大すると同時に,反赤彦的な気分を育てることにもなったのだろう。
 「写生道」を唱え,歌作における「鍛錬道」を説いた彼は,『氷魚』(1920),『太虚集』(1924),『柿蔭集』(1926)で質実な写生と寂寥感を詠じている。
<著作>『赤彦全集』全10巻(平石典子)
【『出典:朝日日本歴史人物事典』(株)朝日新聞出版】
http://kotobank.jp/dictionary/rekishijinbutsu/


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    今朝の一句

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 くたびれて来てたたみたる春日傘
      久保田万太郎

 春日傘まはすてふこと妻になほ
      加倉井秋を

 春日傘といふやはらかき影うまる
      坂巻 純子


■ 春日傘→春の日傘・春パラソル。
 暖かくなり日ざしが強くなると、白、淡紅、黄などの日傘をさした女性を見かける。
 「日傘」といえば夏季を指すが、早々と春日傘をさした女性に奥ゆかしさを感じたり、春らしさを覚える。
【「現代俳句歳時記・春/角川春樹」より転載】 


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   わが友に贈る/寸鉄

【「聖教新聞」平成24年3月27日(火)より転載
http://www.seikyoonline.jp/


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   わが友に贈る

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 自ら御書を学び

 語った分だけ

 人材は育つ!

 希望の大哲学を

 皆が求めている!


    ☆3月27日☆


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    【寸 鉄】

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SGIの運動は内発的な人間解放の力を引き出すー博士(インド)。平和創出の大道



新生・東北が記念月間を躍進!師弟一筋の不屈の勇者よ。福光の春を必ず



偉大な事を成し遂げるには若くなくてはならぬー文豪(ゲーテ)。青年学会の使命大


転入・転出の友に真心の励ましを。温かな心遣いが新天地で絶大な支えに



御書「全く身の為に之を申さず」。社会の為未来の為に!勇気の声響かせよ

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