春日傘/No.872・2012年(平成24年)3月27日(火)
(3月27日)
■ 世界演劇の日(World Theatre Day)。
ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定。
1962年のこの日、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催した。
■ さくらの日。
日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
■ 赤彦忌。
明治大正時代の歌人・島木赤彦の忌日。
明治9(1876)年12月17日~没年: 昭和1(1926)年3月27日 。本名久保田俊彦,旧姓塚原。別号に山百合,柿の村人,柿蔭山房主人など。
長野県諏訪郡上諏訪村(諏訪市)に塚原浅茅・さいの4男として生まれる。長野尋常師範学校卒業。
明治36(1903)年には岩本木外らと『比牟呂』を創刊,37年には伊藤左千夫門に入った。
38年に太田水穂と合著で刊行した詩歌集『山上湖上』には彼の新体詩が収められている。
41年『アララギ』が創刊されると『比牟呂』をこれに合併,以来赤彦は左千夫門下の有力歌人として活躍することとなる。
大正2(1913)年,中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』を出版,その後島木赤彦という筆名を使う。翌年上京,私立淑徳高女の講師をしながら『アララギ』の編集を担当,短歌に専念した。
第2歌集『切火』(1915)のころには主情的な作品が多い。
その後は『アララギ』の発行に全力を注ぎ,同人の実質的な指導者となっていく。 そのなかで『アララギ』の写実的歌風は確立された。
教育者であった赤彦の言説には教祖的な説得力があり,そのことが『アララギ』勢力を強化拡大すると同時に,反赤彦的な気分を育てることにもなったのだろう。
「写生道」を唱え,歌作における「鍛錬道」を説いた彼は,『氷魚』(1920),『太虚集』(1924),『柿蔭集』(1926)で質実な写生と寂寥感を詠じている。
<著作>『赤彦全集』全10巻(平石典子)
【『出典:朝日日本歴史人物事典』(株)朝日新聞出版】
http://kotobank.jp/dictionary/rekishijinbutsu/
☆☆※☆☆※
今朝の一句
☆☆※☆☆※
くたびれて来てたたみたる春日傘
久保田万太郎
春日傘まはすてふこと妻になほ
加倉井秋を
春日傘といふやはらかき影うまる
坂巻 純子
■ 春日傘→春の日傘・春パラソル。
暖かくなり日ざしが強くなると、白、淡紅、黄などの日傘をさした女性を見かける。
「日傘」といえば夏季を指すが、早々と春日傘をさした女性に奥ゆかしさを感じたり、春らしさを覚える。
【「現代俳句歳時記・春/角川春樹」より転載】
☆:*:.♪o☆:*:.☆:*♪☆:☆
わが友に贈る/寸鉄
【「聖教新聞」平成24年3月27日(火)より転載
http://www.seikyoonline.jp/
☆☆※☆☆※
わが友に贈る
☆☆※☆☆※
自ら御書を学び
語った分だけ
人材は育つ!
希望の大哲学を
皆が求めている!
☆3月27日☆
☆☆※☆☆※☆
【寸 鉄】
☆☆※☆☆※☆
SGIの運動は内発的な人間解放の力を引き出すー博士(インド)。平和創出の大道
◇
新生・東北が記念月間を躍進!師弟一筋の不屈の勇者よ。福光の春を必ず
◇
偉大な事を成し遂げるには若くなくてはならぬー文豪(ゲーテ)。青年学会の使命大
◇
転入・転出の友に真心の励ましを。温かな心遣いが新天地で絶大な支えに
◇
御書「全く身の為に之を申さず」。社会の為未来の為に!勇気の声響かせよ
☆:*:.♪o☆:*:.☆:*♪☆:☆
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(3月27日)
■ 世界演劇の日(World Theatre Day)。
ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定。
1962年のこの日、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催した。
■ さくらの日。
日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。
3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
■ 赤彦忌。
明治大正時代の歌人・島木赤彦の忌日。
明治9(1876)年12月17日~没年: 昭和1(1926)年3月27日 。本名久保田俊彦,旧姓塚原。別号に山百合,柿の村人,柿蔭山房主人など。
長野県諏訪郡上諏訪村(諏訪市)に塚原浅茅・さいの4男として生まれる。長野尋常師範学校卒業。
明治36(1903)年には岩本木外らと『比牟呂』を創刊,37年には伊藤左千夫門に入った。
38年に太田水穂と合著で刊行した詩歌集『山上湖上』には彼の新体詩が収められている。
41年『アララギ』が創刊されると『比牟呂』をこれに合併,以来赤彦は左千夫門下の有力歌人として活躍することとなる。
大正2(1913)年,中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』を出版,その後島木赤彦という筆名を使う。翌年上京,私立淑徳高女の講師をしながら『アララギ』の編集を担当,短歌に専念した。
第2歌集『切火』(1915)のころには主情的な作品が多い。
その後は『アララギ』の発行に全力を注ぎ,同人の実質的な指導者となっていく。 そのなかで『アララギ』の写実的歌風は確立された。
教育者であった赤彦の言説には教祖的な説得力があり,そのことが『アララギ』勢力を強化拡大すると同時に,反赤彦的な気分を育てることにもなったのだろう。
「写生道」を唱え,歌作における「鍛錬道」を説いた彼は,『氷魚』(1920),『太虚集』(1924),『柿蔭集』(1926)で質実な写生と寂寥感を詠じている。
<著作>『赤彦全集』全10巻(平石典子)
【『出典:朝日日本歴史人物事典』(株)朝日新聞出版】
http://kotobank.jp/dictionary/rekishijinbutsu/
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今朝の一句
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くたびれて来てたたみたる春日傘
久保田万太郎
春日傘まはすてふこと妻になほ
加倉井秋を
春日傘といふやはらかき影うまる
坂巻 純子
■ 春日傘→春の日傘・春パラソル。
暖かくなり日ざしが強くなると、白、淡紅、黄などの日傘をさした女性を見かける。
「日傘」といえば夏季を指すが、早々と春日傘をさした女性に奥ゆかしさを感じたり、春らしさを覚える。
【「現代俳句歳時記・春/角川春樹」より転載】
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わが友に贈る/寸鉄
【「聖教新聞」平成24年3月27日(火)より転載
http://www.seikyoonline.jp/
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わが友に贈る
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自ら御書を学び
語った分だけ
人材は育つ!
希望の大哲学を
皆が求めている!
☆3月27日☆
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【寸 鉄】
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SGIの運動は内発的な人間解放の力を引き出すー博士(インド)。平和創出の大道
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新生・東北が記念月間を躍進!師弟一筋の不屈の勇者よ。福光の春を必ず
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偉大な事を成し遂げるには若くなくてはならぬー文豪(ゲーテ)。青年学会の使命大
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転入・転出の友に真心の励ましを。温かな心遣いが新天地で絶大な支えに
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御書「全く身の為に之を申さず」。社会の為未来の為に!勇気の声響かせよ
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