泉涌寺境内に、来迎院の看板があるので、行ってみることにしました。
紅葉谷のある山中にあり、一帯は紅葉の名所とのことです。
来迎院内は、山中にあるような、静寂満ちた寺で、高所に建つ広幅殿荒神堂には、
木像荒神坐像一躯・木像護法神立像五躯(共に重文)が奉祀され、
古くは皇后宮の安産祈願所となり、今も安産祈願に、お参りされているとのことです。
庫裏の受付で、ベルを鳴らすと係の方が出てきて、拝観料300円を支払い、
お庭を拝観しました。
中は、庭? ただの山中? 首をかしげるような庭でした。
大石内蔵助が山科に居を構え、叔父が住職をしている、来迎院の檀家になり、
書院を再建し、茶室含翠軒(がんすいけん)を建立しました。
この茶室で、茶を親しみ、仇討の策を練り、同士と密会したと言われています。
明治維新になり、廃仏毀釈と、泉涌寺への皇室からの援助が途絶え、来迎院も荒廃し、
大正時代に、玄暁和尚により、今のかたちに再建されたとのことです。
途中にある善能寺 (泉涌寺山内寺院の1つです)
看板
境内にある看板
山中にある境内
紅葉の名所 今は新緑がみずみずしい! 奥の建物は本堂
庫裏
庭の中のある、客殿茶室、含翠軒(がんすいけん)
お庭を拝観しましたが、中は、庭? ただの山中? 首をかしげるような庭でした。
客殿 質素な客殿です
茶室含翠軒(がんすいけん)
大石内蔵助が山科に居を構え、叔父が住職をしている、来迎院の檀家になり、
書院を再建し、茶室含翠軒(がんすいけん)を建立しました。
この茶室で、茶を親しみ、仇討の策を練り、同士と密会したと言われています。
紅葉谷のある山中にあり、一帯は紅葉の名所とのことです。
来迎院内は、山中にあるような、静寂満ちた寺で、高所に建つ広幅殿荒神堂には、
木像荒神坐像一躯・木像護法神立像五躯(共に重文)が奉祀され、
古くは皇后宮の安産祈願所となり、今も安産祈願に、お参りされているとのことです。
庫裏の受付で、ベルを鳴らすと係の方が出てきて、拝観料300円を支払い、
お庭を拝観しました。
中は、庭? ただの山中? 首をかしげるような庭でした。
大石内蔵助が山科に居を構え、叔父が住職をしている、来迎院の檀家になり、
書院を再建し、茶室含翠軒(がんすいけん)を建立しました。
この茶室で、茶を親しみ、仇討の策を練り、同士と密会したと言われています。
明治維新になり、廃仏毀釈と、泉涌寺への皇室からの援助が途絶え、来迎院も荒廃し、
大正時代に、玄暁和尚により、今のかたちに再建されたとのことです。
途中にある善能寺 (泉涌寺山内寺院の1つです)
看板
境内にある看板
山中にある境内
紅葉の名所 今は新緑がみずみずしい! 奥の建物は本堂
庫裏
庭の中のある、客殿茶室、含翠軒(がんすいけん)
お庭を拝観しましたが、中は、庭? ただの山中? 首をかしげるような庭でした。
客殿 質素な客殿です
茶室含翠軒(がんすいけん)
大石内蔵助が山科に居を構え、叔父が住職をしている、来迎院の檀家になり、
書院を再建し、茶室含翠軒(がんすいけん)を建立しました。
この茶室で、茶を親しみ、仇討の策を練り、同士と密会したと言われています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます