(まるばるこうそう)
今日でころころの夏休みは終り
長かったようでそうでもなくて・・・
長寿と長命・・そんな事を考えさせられた9日間
でした
昨日の朝はあまりの涼しさにいつもの時間を待たずに
散歩へでかける こんな日は遠回りになっても違う道
を通ってみたくなる
子供の頃の夏休みは、秋田か浜松の親戚の家に
預けられることが嬉しかった
そんな時、知らない町の知らない道はまさに探検のよう
10日間いれば5日は迷子になる
浜松の小父は「お前は台風みたいな子だったよ」なんて
亡くなるまで聞かされた
秋田では近所に同世代の子供がいたので、すぐに意気
投合したつもり、下町の子はその辺の小回りがきく
朝から、山へ川へ 家に着くころに、藪蚊、虻、蛭、の餌食
となっている それでも居れば居るだけ遊びまわって
挙句のはては、宿題の漢字書き取り、日記帳を忘れた
まま帰京・・・
夏休みの思い出は、人それぞれに深く懐かしい
ふと曲がった散歩の道の縷紅草が初秋を思わせた
数日前まではひまわりの道、少しの間縷紅草の道を
楽しめそうだ
縷紅草垣にはづれて吹かれ居り 津田清子
(ポーチュラカ)
尾長なる飛行機雲や終戦日
今日は終戦の日、子供の頃の両国界隈にはまだ
防空壕の後があった
戦後5年生れのころころの記憶に有るのだから
下町の復興は遅かったのかも知れない
姉は昭和20年3月の生れだが、余りにも激しい
空襲で産婆も逃げ出し、祖母がとりあげたと言う
出生届も役所が焼かれ、結局5月になってから提出
できたそうです
姉の小学生の集合写真を見ると姉だけが一人飛び抜
けて背が高く写っている、届けの関係で
21年生れの子供達に交じっているからで、学芸会では
姉はお母さんやおばあさんの役ばかりだった
私の通っていた墨田区立二葉小学校も戦災時には
戦災の炎を逃れて多くに人が逃げ込んだらしいが
火のついた荷物から中でも火事が起こり、校庭や校舎を
問わず焼死者の山だったらしい
8月15日小学校は登校日になっており、全校で黙祷を
した事が記憶にはっきりとある
亀戸や深川や向島の親戚もこの戦災で亡くなった
私にとってこの日は忘れがたい思い出の日でもある
(ひまわり)
向日葵の乾ききったる瞳かな
多くの画家が描いたひまわり、この青空と暑さのキャンバス
には負けるでしょうね
昨日はお盆の入り、父を病院に見舞ってから実家へ
盆棚の仕度は姉に頼んでおいたもの、千屈菜を買い忘れ
たと電話があり、途中花屋へ寄る、そこら中の庭や畑に
咲いていても、まさかパクル(無断拝借)わけもいかず
一束250円・・・うわぁ高い!
出る前に言ってくれれば友人の家の畑から貰ったのに・・
などと姉のスローペースに苛立つ
しかし普段の姉の献身的な介護に免じて弟は我慢をした
いつもは何かと出来なかった魂迎を今年は
亡兄のごと差配はできず魂迎
であった
( かぶら )
いよいよ夏期休暇に入る、連日の猛暑を避けての
一週間 夏篭り ならば良いのだが・・・
父母入院中のため 実家の盆用意などなど普段の
生活より忙しいかもしれない
数年前までは、休みの前日から一人旅に出かけて
いた 愛車を駆って1回 1500キロ位走る
兄が亡くなった年には月山へ行ったが地元の人に
出羽三山は神の山なので喪があけないと入っては
いけないと教えられた
天の川が見たくて秋田の錦秋湖、螢が見たくて
新潟の内野、岩牡蠣が食べたくて富山へと
自分の時間を満喫できていた
それもこれもまわりが健在であったからで
長男として生れていればそれなりの自覚は備わって
育ってきたのだろうが、「長男の如く」とはいかない
ものだ
生身魂旅のはなしを喜べり