( 青葡萄 )
婚近き教へ子と食ぶ青葡萄 栗田やすし
孤児の歯を抜いてついばむ青葡萄 沢木欣一
青ぶだうの中に一粒青錆びて 細見綾子
子にだけは唄ふ父なり青葡萄 能村研三
一房の葉にかくれたる青ぶだう 上野 小百合
青葡萄密なりあたり暗きまで 相馬遷子
雨粒のままに雨来て青葡萄 岡本眸
まだ誰も触れない涼気青葡萄 今瀬剛一
婚近き教へ子と食ぶ青葡萄 栗田やすし
孤児の歯を抜いてついばむ青葡萄 沢木欣一
青ぶだうの中に一粒青錆びて 細見綾子
子にだけは唄ふ父なり青葡萄 能村研三
一房の葉にかくれたる青ぶだう 上野 小百合
青葡萄密なりあたり暗きまで 相馬遷子
雨粒のままに雨来て青葡萄 岡本眸
まだ誰も触れない涼気青葡萄 今瀬剛一
句はありません。しかし、栗田先生、沢木欣一とも食べる景の句のは面白いと思いました。
季語の解釈によって詩のイメージが膨らんできますね
沢木先生の句はその時代背景もあるのでしょうが、
孤児という言葉が現代と理解が違うように思います
掲句の裏には戦争があり、ゆえに青葡萄が瑞々しく
活きるのでしょね
照れ屋のお父さんでしょうか?
普段は無口で固そうでも、本当はやさしいのです。
お父さんと子どもの楽しいひとときが「青葡萄」に
あらわされているようです。
一昔前の父親のようですね。(唄の字も)
今の若いお父さんは、カラオケで
子どもと一緒に歌いますもの。
能村先生はもともと市川高校の教師で気さくでは
あっても昔の教師タイプでした
「沖」の主宰でありふだん回りには見せない一面
なのでしょう、唄には自信のない父上が子供にだけ
唄う歌はどんな歌だったのでしょうね
こころさんも登四郎先生に接することができて、
研三さん同様、宝物のような思い出ですね。
二十代に出会った先生ははるか遠くの人でした
振り返ってみれば、人との出会いも俳句の楽しみです
俳句では近寄りがたい俳人もお会いすればごく普通の
方々ばかり 俳句を続けてきて良かったと今は思えます