6月 21日

2013-06-21 01:26:28 | Weblog
                 ( 青葡萄 )


婚近き教へ子と食ぶ青葡萄                栗田やすし


孤児の歯を抜いてついばむ青葡萄            沢木欣一


青ぶだうの中に一粒青錆びて               細見綾子


子にだけは唄ふ父なり青葡萄                能村研三


一房の葉にかくれたる青ぶだう              上野 小百合


青葡萄密なりあたり暗きまで                相馬遷子


雨粒のままに雨来て青葡萄                 岡本眸


まだ誰も触れない涼気青葡萄                今瀬剛一







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6 コメント

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青葡萄 (晴夫)
2013-06-21 08:49:47
おはようございます。歳時記には「種類を云うのでなく、夏季の、熟する前の葡萄の実の意」とあり、例句には食べる
句はありません。しかし、栗田先生、沢木欣一とも食べる景の句のは面白いと思いました。
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青ぶどう (こころ)
2013-06-22 00:48:57
晴夫さん☆こんばんは

季語の解釈によって詩のイメージが膨らんできますね
沢木先生の句はその時代背景もあるのでしょうが、
孤児という言葉が現代と理解が違うように思います
掲句の裏には戦争があり、ゆえに青葡萄が瑞々しく
活きるのでしょね
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青葡萄 ()
2013-06-22 21:12:30
子にだけは唄ふ父なり青葡萄       能村研三

照れ屋のお父さんでしょうか?
普段は無口で固そうでも、本当はやさしいのです。
お父さんと子どもの楽しいひとときが「青葡萄」に
あらわされているようです。
一昔前の父親のようですね。(唄の字も)
今の若いお父さんは、カラオケで
子どもと一緒に歌いますもの。
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青葡萄 (こころ)
2013-06-23 01:37:43
能村研三さんの父上は能村登四郎先生
能村先生はもともと市川高校の教師で気さくでは
あっても昔の教師タイプでした
「沖」の主宰でありふだん回りには見せない一面
なのでしょう、唄には自信のない父上が子供にだけ
唄う歌はどんな歌だったのでしょうね
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青葡萄 ()
2013-06-23 21:08:54
やはり登四郎先生のことでしたか。
こころさんも登四郎先生に接することができて、
研三さん同様、宝物のような思い出ですね。
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青葡萄 (こころ)
2013-06-24 01:18:34
みさん、こんばんは
二十代に出会った先生ははるか遠くの人でした
振り返ってみれば、人との出会いも俳句の楽しみです
俳句では近寄りがたい俳人もお会いすればごく普通の
方々ばかり 俳句を続けてきて良かったと今は思えます
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