2月 19日

2011-02-18 23:45:39 | Weblog

         ( 菫 )

高館の崖のもろさよ花菫            沢木欣一

 

花すみれ吾に佛のあにいもと         木附沢麦青

 

掘返す難波の宮や花菫                           阿部月山子

 

看とるとは見守ることか花すみれ               中嶋秀子


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2月 18日

2011-02-18 00:02:43 | Weblog

          ( 迎春花・黄梅 )

魁けし花は黄光迎春花               阿波野青畝

 

黄梅の刈込みすぎて花少な             田中としこ

 

雪靄のたつ朝市の迎春花                            石原八束

 

はつとある紅梅ほつとある黄梅                      矢島渚男

   独り言 

 昨夜遅くからの激しい雨は明け方まで続き雨音に目覚めたのは,久しぶりの事
 立春後の雨だから春雨に違いないが、昨年2月に春雨に記載があるので再掲します

 

これも何かの本で読んでいたことを、ふと思い出して書きます。
「春雨」と「春の雨」 同じようで全くちがう表現の俳句になります。
季語には本意が有るという事です。そのことは「三冊子」にも書かれていて
本意とは漢詩、和歌の時代以来伝統的に公認されてきた最も相応しい状態の事。
春雨は晩春にしとしとと降り続くの雨の事で、春の季語であってもザーザー降る強い雨
などそう言わない。

「春雨は小止みなく、いつまでも降り続くやうにする、三月をいふ。二月末より用ふるなり、
正月、二月始めを春の雨となり」    三冊子 より

 いかがでしょうか?今ではここまで五月蝿く言う人も少ないとは思いますが
 知っているのといないのとは大違い。ころころも目からウロコでした




 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする