デジカメぶらりぶらり

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番付け

2010-07-11 07:07:27 | Weblog
欠陥番付けを相撲協会は出したくなかっただろう。解雇された大関名や謹慎処分者、退職予定者の力士名も載っているのである。

が、皮肉なファンもいる。希少価値があるからと、番付け入手に意欲を見せている。場所が始まれば、これも希少な空白だらけの星取表が紙面に登場する。

空白は角界の黒星を意味し、後世に残るのである。番付は日本社会が生み出した独特の総合評価システムである。

明治・大正期の新聞には色々な番付が登場する。「資産家」「雄弁家」や、地域の「老舗」「料亭」「人気芸者」等々。

今見ると、様々な評価と世の栄枯盛衰を示していて面白い。昔も今も、番付けの評価は点数でなく理由の説明もない。強いてあげれば大衆の人気と選者の好みだろうか。

いわく言い難い総合力で、だれもが納得する順位が出され、勧進元の信頼もまた、この格付けで問われるのである。「番付表」と「選挙結果」は同じとまでは言わないが、似ていなくもない。

政治家が大衆にこびても冷厳な目でふるい落とされ、総合点で納得できる結果になる。ということを前提にしての話だが・・・。

赤ちゃん

2010-07-09 06:56:07 | Weblog
赤ちゃんの名前が年々難しく、読めなくなっている。画の多い漢字で、芸能人や外国人のような名前も珍しくない。

外国人名を使うのは「なんちゃって外国人名型」。「音や響きから漢字を当てはめるのを「イメージ先行型」と。時代を反映するのが名前だが、変わらぬ社会性を大切にしたいと説く。

名前が時代を反映するなら名字は地域を映す。方言の特徴を示す東西分布図と名字の東西境界線とは富山県で「ピタリと一致する」。富山、石川は名字の多さで全国有数の県だという。

名字ほどではないが、名前にも戦後しばらくまで地域性があった。「~子」という女性名は西日本に多く、東京には少なかった。流行が東京から広がり、地方を画一化したように、名前の地域性消滅も東京にその始まりがあった。

日本中がW杯サッカーに熱狂した。もはや社会現象である。武史や圭佑クンが増えてもおかしくはない。「闘莉王」登場までは分からないが、後々に不便を感じないように、というのが願いである

賭け事

2010-07-07 07:53:58 | Weblog
サッカーW杯1次リーグで自国同士が対戦したオバマ米大統領とキャメロン英首相が、勝敗にビールをかけていたという。

「証拠写真」まで載ったが、笑ってすむ話である。賭け事の最初はいつもこの程度の好例だろう。古今東西、射幸心や賭け事の本能はだれにもあった。

だから公権力で、「枠」をはめるのだ、その前提があっての笑いである。「イッセー・森田の人生芝居」は、酒場でイカサマ博打のカモになるサラリーマンが描かれている。

「1回だけ」と賭けたのは500円。それが次々と重なり最後は「バカヤロー」と叫んで刃傷沙汰に、身は破滅、最初から大金は動かない。

賭ける者の心理であり、賭けさせる側の作戦でもある「最初は少額」。大相撲大獄親方のザンゲはこの法則通りである。遊ぶつもりが、もてあそばれた。

米英首相の賭けは2人だけのお遊びだったが、角界が遊んだ大掛かりな野球賭博に暴力団が介在していないはずはない。正式な処分が決まった、が、複数の親方や力士にとって相撲人生の破滅となろう。身から出たサビと言うしかあるまい。

ドジョウ

2010-07-05 06:45:26 | Weblog
さばくときに、ドジョウは「キュ」という音を出す。命を絶たれた悲鳴のように聞こえる。あれは腸の空気がお尻から出る音だという。

悲鳴ではなく、おならみたいなものか。とんだ勘違いに拍子抜けする。こんなことは、たまにある。角界から聞こえてきた神妙な「謹慎」の声も、その正体はどうなのだろう。

謹慎とは門戸を閉ざして出入りを控える、と辞書にある。時代劇でおなじみの刑罰がいまもまかり通る伝統社会である。

不謹慎な振る舞いなら、街のあちこちでいやでも目にし、耳にする。謹慎という潔い掛け声も、時流に流されてしまえば逆の結果になりかなない。

同じ柳の木の下に、そう何匹もおいしいドジョウがいるはずもない。いくら何でも、もうそれに気付いていいころである。

博徒

2010-07-03 08:00:21 | Weblog
博徒(ばくと)とは「博を打つ人」を指し、バクチウチと言うのは「馬から落ちて落馬した」に等しい重言だという。

博徒は禁止されながらもはびこり、江戸時代に全盛となった。その背景を「秩序立って物事をするより乾坤一擲の快挙を欲し」あるいは「細かい計算でわずかの金を得るより博徒が近道」と考える悪しき国民性にあると分析する。

射幸心はいつの時代だれにもある。が、大相撲の力士は猛げいこで土俵に埋まっているお金を掘り出す努力の仕事と言われた。博徒の一攫千金で出世より金儲けを夢とするなら、別の仕事に就いたほうがいい。

「一本刀土俵入り」のように博徒と因縁浅からぬ角界だった。今も、江戸時代かと錯覚する現状が次々露呈する。賭博で脅され、裏社会に貢ぐのは落馬どころではない。

底なし沼に落ちてはい上がれない醜く太った馬に等しい。

氷室

2010-07-01 07:56:31 | Weblog
氷室(ひむろ)のまんじゅうの販売開始が、年々早まっているという。7月1日の「一日勝負」だったのは遠い昔の話で最近は6月末あたりがピークである。

加賀の殿様が将軍家に雪を献上したそうだ、だが、この暑さの中で北陸の雪が解けずに江戸に届いたと考えるのは無理だ。

江戸の加賀藩邸にあった氷室の雪を届けたのが真相らしい。金沢では湯涌温泉の氷室開きが恒例である。雪の少ない年には消滅していることもある。

藩政期、氷室は城内や街中にいくらもあった。尾山神社や兼六園裏にも藩政期の氷室の跡が残っている。当時は周囲を戸室石で囲んで地下室だったという、

本当の「氷室」を造ればどうか。上越市の山里で現役の氷室があるそうだ。小体育館ほどで内壁に断熱材を張った穴蔵があるだけ、電気で冷やすのと違って湿気が保て、農作物はすばらしい保存状態になるという。

各地で城郭の復元が人気である。それならば、氷室の復元があってもいい。安く造って実利もある。雪国の先人の知恵も思い出す。