こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年9月17日 土曜日 アラニス・モリセット「サンキュー」'98

2011-09-17 09:39:07 | 音楽帳

大阪で濃厚という単純な言葉では済まない、私の今の生きる核である5年を過ごし、愛する人と街を残し去ることの郷愁に髪引かれながら、1996年4月に再度東京に戻る。

そこから1年、茅場町で仕事をしたら、今後は赤坂に引越し。
荷物をほどく間も無く、1年経ったら、再度茅場町へ。
再度荷物をまとめて移動・・・。

1998年4月、再び茅場町に戻る。
そこでは、ラジカセから日中ラジオが流れていた。
自分が回したのか周囲が回したのかは不明だが、インターFMを流していた。

1987年以降、NHKとFM東京しか無かったFMは多局化に進む。
やたらと「JーWAVE」を持ち上げる人が多かったように思う。

自分は、どの局でも良いが、FMは次第にひたすらだらだらした放送に変わっていった印象が深かった。
誰も期待していないのに、DJ男女2人のくだらない会話が流れるFMは、自分には聴くに値しなかった。
「そんなくだらない会話は聴きたくねえよ」。

***


1998年4月から新しい場所で流れるインターFMに、次第に惹かれていく自分。
無駄な会話は一切なく、良質な音楽を流していた。
毎日毎日、仕事のかたわらで流れる放送。
このインターFMが良かったのが、いくらしつこいと言われても、良い曲は何度も何度も掛けていたところ。

仕事をしつつ、英語を聞き分けながら、当時インターネットは今ほどでも無い頃、次第に好きになっていった曲をメモし出す。

自分がインターFMを聴き込んでいたのは1998年4〜12月の9箇月間のみ。
メモした曲は、どんどんと溜まっていった。
1998年年末には、集大成としてのインターFMベスト40みたいな放送があって、それを録音したが、良質の曲に満ちていた。


その中の1曲だが、アラニス・モリセットの「サンキュー」。
この曲でのアラニスの歌い込みの力には正直参った。

自宅でこの曲を聴く際には、大音量で聴いた。
この曲の素晴らしさを体感するには、ヒビ割れる位に大音量で聴くことが、この曲の良さをより引き出せる。

「サンキュー」というタイトルには、今まであったことを様々思い出す隠喩を思わせた。
秋から冬へ。
新たに2万程度する、持ち歩けるFM付きのカセットレコーダーを購入して、街を歩き、公園に佇みながら、好きな曲を聴いた。
身に染みる「サンキュー」は、1998年という自分にとって稀有な年の記憶と強烈に結びついている。

■アラニス・モリセット「サンキュー」」 1998年■
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2011年9月16日 金曜日  保坂和志 「猫に時間の流れる」

2011-09-16 07:43:47 | 雑記帳


小宮山書店のセールで拾い上げた宝物の1つは、猫に関する本だった。
自分の本の選び方は、いっつもおんなじ。

まずは表紙に惹かれ、拾い上げてパラパラとめくる。
その字の並び方、それに数行読んで、自分の心にひっかかりがあると、即購入。


この小説との出会いは、良き出会い。
買って帰って、即読んだ。

表紙のオビに記載された大島弓子さんとは映画「グーグーだってネコである」の原作者であり、事実天才漫画家の人。
知見の広い兄に話したら「大島弓子は、まさに天才。ただ、映画は少し脚色しているけどね。」などと言いながらも映画「グーグー」に胸打たれて、自分に教えてくれた兄。


このオビに書かれた大島さんのセリフ。
ネコと長年付き合った者にしか書けないセリフを見事なまでに表現している。

ネコが好きで、大好きなネコと一緒に居るのに、自分との永遠の距離がある。
その切なさ。
自分とネコとの関係もまさにそうである。

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2011年9月15日 木曜日 写真日和 : 東京を歩く旅(8月27日の写真より)その2

2011-09-15 07:32:12 | 写真日和
その2である。


御茶ノ水橋から後楽園方向に撮影。


順天堂病院で診察、会計、お薬をもらうと、御茶ノ水の坂を下っていく。








ジャニスに到着。
2時間ほどCDを探索して購入。




アイスコーヒーを飲んで一息。
さらに街を歩く。


浪人の頃、よく行きお世話になったニューポートは、営業していない。
ごはんを大盛りにしてもらったおばさんは、今どうしているだろうか。


らーめん屋「伊峡」は相変わらず営業しているが、数十年食べていない。
頑固おじさんは、如何にして安くしてフル回転で若いカネの無い若造に食わしてやるかを考えているおじさんだった。
水を飲むと「らーめんを食え。水なんか飲むな。」
おしゃべりでもしようものなら「出てってくれ。」と言われる。
本当の優しさを持ったおじさんは、元気でやっているんだろうか。

古本屋をめぐっていく。
いつものコース。











現代「文房具」と呼んでいる呼称の発祥である文房堂で小物を見る。


並びの薬局の店頭でサトちゃんは暑いので、麦わら帽子をかぶる。


キントト文庫にも寄る。


三省堂に寄り、西部邁さんの本を探し、その裏口を出ると喫茶ミロンガの細道。
そこを抜けていくと小宮山書店のセールにぶつかる。


時間を掛けて、3冊ほど、貴重な本を拾い上げる。


鶴屋洋服店も元気でやっている。




城戸真亜子さんが壁画を描いた喫茶店「古瀬戸」も素晴らしい隠れ家。




相当長い間、神保町をうろつき、荷物が重くなった段階で、神保町を後にする。
小川町から辿って、再度、旅を続ける。
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2011年9月14日 水曜日 Madonna 「Has To Be」’98

2011-09-14 08:01:17 | 音楽帳


1998年は、自分にとって「目からウロコ」。
とてつもなく、良い曲がたくさん発掘出来た稀有な年だった。

というのも、そこいらじゅうに仕事場を引越し引越し引越しする中、この年は、仕事場でインターFMが一日中流れても良い年だった。
ガービッツ、ローリン・ヒル、アラニス・モリセット、レニー・クラビッツ、ロビー・ウィリアムス、東京NO.1ソウルセット・・・・
とにかく毎日色んな素晴らしい曲を聴きながら、メモをしつつ、夜になれば、細野さんの「デイジー・ワールド」を聴いていた。

その中の1曲。
マドンナの「レイ・オブ・ライト」はよく聴いた。
マドンナの生命力の凄さは別で語るとして「レイ・オブ・ライト」のかっこよさには参った。

アルバム、CDシングル共に持っている。
写真左がアルバム、右がCDシングル。
「レイ・オブ・ライト」も素晴らしい曲だが、やはり静かな音楽に惹かれる自分は、このCDシングルのカップリングになっている」「ハズ・トゥ・ビー」という曲が大好きでよく聴いた。

音1つ1つが美しいのは、制作にウィリアム・オービットが参加している所以。

ヒット・チューンに着目するのも良いが、音楽ファンとしては、こういった隠れた名曲を聴きこみたい。

■Madonna  「Has To Be」 1998年
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2011年9月13日 火曜日 細野晴臣 「悲しみのラッキースター」'11

2011-09-13 07:37:18 | 音楽帳

YMOの3人、細野さん・教授・幸宏。
何を言おうが、自分のいわば親替わりであり、当然尊敬もし、それぞれへの思い入れがある。

たぶん、ビートルズのファンもそうだったのだろうが、自分は時期時期に依って、3人への愛し方が変わっていっている。
ある時は細野さんに心酔し、教授も幸宏も同様。

細野さんが手をたずさえることで復活再生を果たした幸宏の若さは、逆に安心感を持っていて、音の求道を突き進む教授のことはかなり心配ではあるが・・・。
親兄弟、仕事の連中、そういった者とは別に、いつも3人の姿を確認している。

随時、自分の中では、3人それぞれへのマイブームが30有余年繰り返されて来ている。

そして、今は、細野さんの音楽に惹きつけられている。
音楽もそうだし、生き方も含めて。
今年日比谷夜音で見た細野さんが、最初歌詞を忘れて、みんな大爆笑の中「・・さっきまで寝てたから、忘れちゃった」という細野さんらしい姿が、実に愛らしかった。
永六輔さんの介護を外山恵理ちゃんがしているように、細野さんには、細野さんが相思相愛のコシミハルさんがいつも寄り添って、サポートしている。

「音楽の神様」というとおおげさに・・・という人がいるが、事実、日本の音楽史を裏で数十年支えてきた、ボスは細野晴臣さんであることは事実である。
ボスなどと言ったら細野さんに失礼かも。
やっぱり神様なのだ。

今、細野さんがどんなことを考え、これから何をしようとしているのか。。。
自分は、最近細野さんのことばかり考えている。

そして、そういうことが自分の支えであり、同じ時代を今でも共に生きている。
そういうことを想っているときだけ、自分には幸福が訪れる。

細野晴臣 「悲しみのラッキースター」(「ホソノヴァ」より)


もしかして きみはラッキースター?
ねえ 今までどこにいたの

髪を切り 紅(べに)を差せば 小鳥たちも幸せ

この日から きみはラッキースター
雨の中 どこに行こう

靴を履き 傘を差せば
木も街も輝く

これから きみのために歌うよ
ぼくの家に 来てくれたら
とてもできないと思ってた メロディーが生まれそう


悲しみを 運ぶラッキースター
ねえ あれからどこにいたの?

今からでも 明日からでも
星が落ちる時まで 一緒に


これから きみのために歌うよ
ぼくの家に 来てくれたら
とてもできないと思ってた メロディーが生まれそう

悲しみを 運ぶラッキースター
ねえ あれからどこにいたの?

今からでも 明日からでも
星が落ちる時まで 一緒に
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2011年9月12日 月曜日 ザ・ビートニクス「6、000、000、000の天国」'11

2011-09-12 07:38:30 | 音楽帳
8月7日、炎天下の中の「ワールド・ハピネス2011」。
ビートニクスの1曲目には驚いた。


と同時に、その骨太な演奏に感動を通り過ぎて、神の啓示のような何かを感じた。
気がつかない間に、その歌詞を自分が歌っていると共に、目から涙が出ていた。


あえて、この3・11後に、この1990年発表の「ブロードキャスト・フロム・ヘヴン」(天国からの中継)の「60億の天国」を1曲目にしたのは明らかだった。
混迷を極める時代に、幸宏が発表したこの作品は、とある映画を見て、ある種の啓示的な「この世では無いどこか」があるのでは無いか?ということを見い出して創った作品だった。


明日には、WOWOWで「ワールド・ハピネス2011」が放映される。
そこでの放送がどうなるかは知らないが、現場で聴いた1曲目の「60億の天国」の力強さには、めまいを覚えるような何かが秘められていた。

YOUTUBEに誰かがその場で録音したものがアップされているが、すぐにこれも消えるだろう。
また、その録音ではとても弱い音に聴こえるが、実際に演奏されたこの曲は、どんな他の曲からも離れて、後光が差すような輝きを持っていた。
論理では無い世界で、あるメッセージを伝えることが出来る「音楽」。
その音楽という素晴らしい人間に与えられた最大の武器。
その武器が輝いた瞬間だった。

***

「6、000、000、000の天国」高橋幸宏

作詞:鈴木慶一
作曲:ビートニクス(高橋幸宏&鈴木慶一)

風が吹いている 天国から
さむけが カラダをかけぬける

友達がおりてくる 天国から
あふれる 愛を 空いっぱいに 広げて

地表の上の60億が とまどっている
それは天使か それともルシファー

空に穴があき 天国から
みえない光が さしている

暗闇がおりてくる 天国から
果てしない 夜を 空いっぱいに 広げて

地表の上の60億が とまどっている
それは天使か それともルシファー

誰にミサイアが 石を投げるか
誰がミサイアに 石を投げつけれるか

地表の上の60億が とまどっている
犬や天使のように 生きれるか

友達がおりてくる 天国から
あふれる 愛を 空いっぱいに 広げて

暗闇がおりてくる 天国から
果てしない 夜を 空いっぱいに 広げて

■world happiness 2011より■
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2011年9月11日 日曜日 写真日和 : 東京を歩く旅(8月27日の写真より)その1

2011-09-11 13:42:37 | 写真日和
8月27日、土曜日、順天堂病院で朝早くから予約。
実家に金曜日に泊まるが、眠れない中、朝早くに起きてしまい、早々に出掛けて秋葉原から歩いて、写真を撮りながらの旅に出る。


朝の静かな庭をコチャコが眺めている。
鼻がひくひくしている。
耳がいろんな方向に動いて、音を聞き分けている。


ネコはカゴが好き。
かつてまみちゃんが大好きだったカゴに、今はコチャコが入っている。


おはよう、パンダちゃん。


クロちゃんも、おはよう。


秋葉原を降りて、和泉橋を渡ると北原ビルを撮る。
ここにもノラネコちゃんが居たのだが、今日は見当たらず。


味のある北原ビルの入口。


自分が生まれ育った三ノ輪を思い出す海老原商店と並ぶ古い家。
ここはかつてバブルの頃、地上げ屋が嫌がらせをして土地買収を行なった場所。
何とかそういう嫌がらせを逃れて海老原商店のこの眺めはある。
当然、地上げ屋のバックには、カネしか興味の無い多くのクズ人間が居る。
まだそういう連中は生き残り、政治家、建設業者含み・ある者はTVにすら写り、いにしえの東京を潰そうと企んでいる。


しだれ柳。


旅の一服は、自分の隠れ家、柳原神社で。


おたぬきさんも、おはよう。


柳原神社に住み着くネコちゃん。
いつもなかなか触らせてくれないネコちゃん。
早く来すぎたせいか、まだおやすみ中。
死んでいるんじゃないか?と心配になり近づくと、ちゃんと寝息が聞こえてひと安心。
かなりの熟睡状態。


岡昌裏地ボタン店も元気。
自分のお袋さんは、かつて洋裁をやっていたのでよく聴いたが、このへんには、生地やボタンなど洋裁の道具を置いたお店がたくさんある。
だんだんと消えつつあるが。


この角っこのお店もそういう店だったが、今は自動販売機を置く場所になってしまった。


また1つ建物が潰されている場面に出会う。
写真を撮っていると、潰し屋に声を掛けられるが、眼光鋭く睨み無視する。


ガソリンスタンドの隣のこの家は無事。


既にさいたまに移転してしまった交通博物館の横に今でもある、ラジオ部品を売る「ラジオ・ガアデン」。




御成道を歩く。


交通博物館は潰されてしまい、再開発が進む。


万世橋からの眺め。


神田郵便局と消防署のある交差点にまで来ると、次なる再開発エリアにデカいビルが見える。


淡路坂を登る。
再開発地区の向かいに、それでも季節はめぐり、美しい花が咲く。


坂を登り切り、御茶ノ水へと。


JR御茶ノ水駅の聖橋口の出たすぐ横にある立ち食いそば屋さん。
風情が素晴らしくイイ。


画材を売る「レモン」もまだ開いていない。


秋葉原から歩き、坂を登り切ると汗だく。一服付ける。


御茶ノ水橋から、この日も大好きな聖橋を撮る。
東京の風景の中でも、自分の中では特にこの景色の美しさは特別。
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2011年9月10日 土曜日 竹内まりや 「駅・・・」'87.11

2011-09-10 08:47:16 | 音楽帳

毎日毎日、からだじゅうが痒い。
飲み薬と塗り薬だけが頼りで、日々を送っていたが。。。目に見えて血が出る・傷を負う、そういうことではないせいか?
いくら叫んでも、誰の耳にも響かない。
今週、どうにもならずに順天堂病院に、他の科の受診もあり、2日も御茶ノ水を降り通院したが、ラチがあかない。

皮膚科の先生は予約制では無いので、毎度毎度異なるのだが、毎度毎度異なる所見を言う。
前回、毛膿症だと言っていたが、
今週の先生は「別に毛膿症では無くて、湿疹が悪循環で抑えられなくなっている。薬が合わなかったんでしょう。
今回は別の薬に変えて見ますので、それで飲んで塗って直しましょう。」

かたちんば「先生、自分も蕁麻疹含めてこういった類の病気は、原因を辿ること自体が難しくて、そんなことをするより、目の前のことを抑えるのが先決だし、合う合わないがあって、1つづつ試して、薬を変えながら、最適なものを探していく。。。
それは理解してます。
ただ、じゃあ、どこでその収束を見るのかがわからず、非常に不安と徒労感ばかりが膨らみます。
7月19日あたりに自覚してから、既に50日近く苦しんでいます。
何か糸口はないですか?
抵抗力が弱っているんじゃないですか?」

先生「単純な湿疹です。
だから、日々薬を飲み、日々塗り薬で抑えていくしかないです。
(なぜかどの女医も同じことを言うが)私らだってなる、そういうごく普通の症状ですよ。」

***

そうだとしても。

日々、毎夜、シャワーでカラダの汗や余計なものをキレイに落とす。
せっけんであわあわにして優しくカラダを全て自分の手で触れて、汚れを取る程度に洗い流す。
タオルもそっと水気を取る程度にしか拭かない。
お風呂から上がれば、痒い箇所に塗り薬を塗る。

汗をかかないように、弱の扇風機を回しながら電気を消す。
睡眠薬ハルシオンを服用。

眠りにはコテッと落ちるが、ハルシオンという薬は、睡眠薬といっても正確には睡眠導入剤。
2時間ぴったりしか効かず、あとにも変な寝起きのだるさ等も残さない。

しかし、毎夜、2時間経てば、からだじゅうを掻きむしって起きる自分。
夜中の2時過ぎ頃に起きて、再度塗り薬を塗り眠る。

こういうことを繰り返していくうちに、断続睡眠で睡眠不足と疲労が蓄積し出し、普段仕事をしながら、とてつもない疲れの塊に出会う。

どうにもならない、と分かっていても、次第に生きる力が削がれていく。

言い訳になるが、どうも最近こんな具合で、音楽を聴く注力に至らず、そのことで空を飛ぶという世界に旅立てずに、内省的になり、ブログを書く気力すら無くなっている。
それが、今の状況であり、今の私である。

***

朝というものは、自分が抑鬱症を抱えているからでもあるが、ふらふらになりながらも、一杯の緑茶と一曲の音楽、それが社会活動が始まる前の隙間にすっと入ってきて、とてつも無く、いとおしい。
たった、この朝の静かな数分に、もっとたくさんの悟りや示唆が含まれていて、他の時間では代用の効かない真理に近づく永遠を感じる。

昨日の朝にかけた、愛する竹内まりやさんの「駅」。
朝から聴く音楽では無い。
あまりの中身の重さ。
心奥まで見事に到達する逃げようの無い「生きる」ことのリアリティある曲。

誰の心にもある、ある人生の断面が見事に表現されていて、ひたすら黙って虚空を見上げる。

大学1年生の時に出会ったこの曲に、我が変人の巣窟、美術研究会には、我々レベルとも違うもっと病んで性格がひん曲がってみんなから嫌がられていたTさん。
彼が、珍しく、部室のFMから流れた竹内まりやさんの「駅」を聴きながら、「この曲は素晴らしいよね。良い曲だよ。。。。」と自分に声を掛けたのを、やけに印象深く覚えている。
意外に思った瞬間でもあった。

ただ、社会の荒波にも揉まれていないハタチそこそこの学生が聴くには、この曲は背伸びしすぎている。

音楽というのは、その出会いの時から、あたかも同じ曲を聴いている気になっているが、そうではない。
それを30歳で聴く、31歳で聴く・・・
日に日に、その音楽は変化し続ける。

フラッシュバックのように、40歳を過ぎてから改めて聴いた、竹内まりやさんの「駅」には心臓をえぐられるような想いがしている。
たぶん、50歳にまで生きられたら、この曲は更に輝きを増すのであろう。
ある人生経験を踏んだ上で聴く「駅」は、より一層に、この曲はそういう意味だったのか、と思い知る。
実に深い。
深すぎる。

竹内まりやさんの「駅」
(YOUTUBEには、間が省略されたヴァージョンしかないが、相変わらず美しいまりやさんの歌う、想いの深さの一面が垣間見れる姿をアップする)


見覚えのある レインコート 黄昏の駅で 胸が震えた

はやい足どり まぎれもなく 昔愛してた あの人なのね

懐かしさの一歩 手前で
こみあげる 苦い思い出に 言葉がとても見つからないわ

あなたがいなくても こうして 元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに


二年の時が 変えたものは 彼のまなざしと 私のこの髪

それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね 気づきもせずに

ひとつ隣の車両に 乗り うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう

今になって あなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも


ラッシュの人波にのまれて 消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る

改札口を出る頃には 雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る・・・・・
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2011年9月6日 火曜日 マイアミ・サウンド・マシーン「words get in the way」'87

2011-09-06 21:32:56 | 音楽帳
1985年4月から1987年3月までの二年の浪人の放浪は、悲惨を極めた。
その長い長い2年の最後のころ、とうに精神破綻を越え、廃人と未来無き死と間近に添い寝していた。
自分は、当時のウォークマン等々、今で言うモバイルのグッズを持たないために、いつも小学生以来のラジオだけを持ち歩いていた。
「2011年の方々」がケータイを持つように。
電車に乗るだけで、周囲が迫ってくる恐怖と戦いつつ、場合によってはひと駅ごとに降りつつ、冷や汗をかきながら、乗らざるを得ない場面では電車に乗った。

イヤホンでしがみつくように聴いていたのは、英語放送の810KHZ「FEN」(極東放送)。

東武伊勢崎線というのは、北千住から小菅刑務所のある小菅を超えた所で、円を描くような走行になる。
そのぐるっと回るときに、遠くにある新宿のビル群、池袋サンシャイン60、東京タワーが空気が澄んだ日には見えた。
ボクは未だにここの電車の走るポイントと風景が好きである。

当時、必死に冷や汗をかく中、ここでアメリカのヒット曲をかけてくれていたFENでマイアミ・サウンド・マシーンの「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」というメロウな優しい曲が掛かり救われた日があった。

***

小林克也さんの「ベストヒットUSA」でもマイアミ・サウンド・マシーンは知っていたが、自分の救いと興味は、ヴォーカルであるグロリア・エステファンだった。
文武両道の右傾化した男子校での高校、2年の浪人、大学と恋人と無縁であった自分は、キレイな女性のヴォーカルにせめてと思い、身をゆだねて来た。

それは社会人になって右も左も分からない大阪に放り込まれた孤独の時代もそうだった。
自死を損ない分裂病との格闘をする中、自分は女性ヴォーカルに自分がくるまれる時間を愛した。

そういう中、グロリア・エステファンの容姿と顔が、どうにもこうにも、たまらなく自分を惹きつけた。
こういう顔が好きなのは(ほくろの位置を含めて)、たぶん、自分が幼児から育った過程で、親では無い、かわりの育ての親だったお姉さんたちに可愛がられた経験からのものであろう。
ただ、そのなかの誰の顔がそこに投影されていたのかは、自分の無意識下から、未だ引っ張り出せていない。

幼い頃に可愛がってくれたお姉さんというのは、本人には意識は無いだろうが、その愛を受ける側の私には、淡い恋を抱かせた。
グロリア・エステファンが好きなのも、そこに起因する。

***


大阪で聴いた、彼女のソロ・アルバム「カッツ・ボス・ウェイ」のジャケット写真。
この写真のまなざしにもドキッとした。
当然、中身の音楽も良くなければ、自分の興味は引かないのだが、マイアミ・サウンド・マシーン以来、メロウでスローな曲が常にあって、自分はそういう曲を常愛し、彼女の優しいヴォーカルを聴きながら、彼女に包まれているような気持ちになれた。
それが、自分のある部分での癒やしであり、救いだった。

■マイアミ・サウンド・マシーン「ワーズ・ゲット・イン・ザ・ウェイ」■
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2011年9月5日 月曜日 「ホンネ日和」なる番組に細野晴臣さん出演。

2011-09-05 20:35:22 | 音楽帳


細野さんが出る、と目星を付けていた「ホンネ日和」を昨夜見ました。
普段TVは見ないのもありますが、ひさしぶりにTVを見て、こんな良い話しが聴ける貴重な番組もあるんだな。
と認識。

いとうせいこうさんと細野さんが、上野公園、しのばずの池という、ボクの庭の1つを歩きながら、2人が語り合う。

番組宣伝には『・・・・年を重ねた“今”だからこそわかる「自分なりの生き方」。
誰しも逃げられない“老い”に対し、2人はどんな答えをだすのか?
そして誰しもが経験する「老い」について本音で語り合う』とある。

30分番組とは短い!
もっともっと話しを聴きたかった。

***

いとうせいこうさんは1961年生まれの50歳。
細野さんは1947年生まれの64歳。

せいこうさんは、勉強の好きな少年で試験・受験がどうこうではなく勉強をしていたが、早稲田大学に入ったとたんに、生きる目的をなくし、毎日「死のうかな」と想っていたという。
そんなときに出会ったのが、細野さんの「はらいそ」。

せいこうさん曰く「ジャケットにもレコードの中身にも、とにかく色んな世界の音楽がきらびやかにあって、それを聴くうちに、死ぬ想いが消えてしまった」という。

一方で、その「はらいそ」の頃の細野さんも悩んでいた。
その時、その時で興味のおもむくままに影響を受けた音楽を取り入れながら、自分なりに真剣に音楽に取り組んできたのに、誰にも相手にされず・・・。
これは、前々から細野さんがよく言っていたことだが「はらいそ」で自分の音楽を終えて、どこかに行ってしまおうと思っていた。
「サヨナラ」という言葉が、このアルバムの随所に出てくるのは、細野さんのホンネだった。

■細野さん「はらいそ」■


昨日の放送では、細野さんはこう言っていた。
「はらいその段階で、道は2つしか考えていなかった。
1つは、音楽をやめて高野山にこもること。
もう1つは(村井さんの誘いで取り掛かった)イエロー・マジック・オーケストラ。
もし反応が自分の想いと違ったならば、その時点で音楽をやめる。
どっちでも良かったが、サイコロを転がしてみた。」

その後、イエロー・マジック・オーケストラがご存知の通り、1つの時代を創る。

人生と言うのは、どこでどう転がるか分からない。

***

2人が「歳を取ることによって、過去気付かなかった観点に気付き、歳を取るということでの広がり」を話していて、同じ想いをしている自分とシンクロした。

細野さん「なんで、日本のポップスは20代ばっかりなの?
おかしいよね。完全に、音楽は引き裂かれた状態にある。」

私は、80年代のYMOも好きだが、そこから円熟の年月を経て、今、改めて演奏するYMOは異なる音楽。
曲は同じでも、新しい解釈と新しい響きを、ボクは自分の中に感じている。

細野さんが「悲しみのラッキースター」の中で、「何か新しい音が生まれそうな感じ」と語っている、前ぶれと予感への気持ちの変化。
ボクの中でも、40を越えてから、改めて音楽を再発見することが多い。

音楽は若者だけのものでは無いし、そういう若い年齢のためだけにあるのではない。
生涯、同じ曲でさえ音楽が意味すること・聴こえてくる響きは変化していく。

ボクも細野さんも同じ事を考えているんだなあ、と昨日の夜、再確認した。

■細野さん 「ラモナ」■
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