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この「Biomutanten」という曲を初めて知ったのは、1982年始まったFM東京の深夜3時の番組「スタジオテクノポリス27」の第1回目の放送だった。
「スタジオテクノポリス27」は、ピーター・バラカンさんと矢野顕子さんの2人ののんびりした雰囲気の中で、選曲は鷲巣功さんとピーター・バラカンさんがほとんど行い、その音楽をいろいろかけながら、2人のおしゃべりで進行していた。
このレイ・バンヴィレットの12インチ・シングルは「ミュージック・マガジン」で1981年のベスト・レコードとして、ヒューが挙げていた。
ヒューは、コニー・プランクのプロデュースを受けていて、当時、ベルリンの東西冷戦の境界線に立つ「バイ・ザ・ウォール」と呼ばれるスタジオに居たという稀有な経験の持ち主だった。
このレイ・バンヴィレットは、実質は、ホルガー・シューカイとエンジニアのコニー・プランク2人で作られたものだった。
とてつも無く暗い曲だったが、えらい衝撃を受けたものだった。
これを聴いた矢野顕子さんが、かなり嫌悪感を覚えた発言をしていた記憶がある。
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「バイ・ザ・ウォール」でのコニー・プランクの仕事は名盤を多く作り出した。
外を見れば、その東西冷戦のベルリンの壁に拳銃を持った兵隊が常に居る緊張感の中、この名12インチ・シングルも生み出された。
しかし、このレコードは探し続けても30年経っても手に入れられない。
あるのは、当時のカセット・テープのみだった。
YOUTUBEにアップされているのには、正直驚いた。
アップした人に感謝である。
とにかく深きヨーロッパの暗さに憧れた中学・高校時代、この曲は、自分の中でも「名作」だった。
回転数を落としたヴォイス「ヴィオウムタンテン・・・」という悪魔のような声、ホルガー得意の様々なSE、当時のベルリンの空気を伝えるかのような、この曲を自分は愛している。
残念ながら、コニー・プランクは数年前に亡くなったが、彼が関わった偉大なる仕事の数々は、歴史に残るものである。