こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年10月18日 火曜日 大貫妙子&坂本龍一 「ひまわり」'97.10

2011-10-18 22:01:19 | 音楽帳

【映画「東京日和」テーマ曲 /1997年10月18日公開】



遠くで 聞こえる ひぐらしの音が
どこかで 呼んでる 懐かしい声が

まぶしい微笑みは あの夏のひまわり
振り向く その髪を風になびかせ

いつまでも そばで 
見つめ続け ていた
肌に 触れるよりも 近くで・・・・


心に 降り続く 雨音のように
あなたの つぶやきを 抱きしめていた

追いかける ように あなたといた 日々を
愛と 呼ぶことさえ できずに

いつまでも そばで 
見つめ続け ていた
心に 触れるよりも 近くで・・・・

(作詞・作曲:大貫妙子 コ・プロデュース: 大貫妙子&坂本龍一)

***


ボクが生まれ育った家の通りにあった下駄屋さん。
それが、アラーキーこと荒木経惟の実家だった。
大きな2メートル以上ある下駄の模型がマークの下駄屋さん。
自分には記憶が無いが、お袋さんから聞く話では、よくアラーキーのお母さんに遊んでもらったという。

電通に勤めていた際に見染めた妻・陽子さんとの出会い。
2人はその実家の下駄屋さんから100メートルもしない、南千住よりの銭湯に行く途中にあったアパートに住んでいた。
近所では「下駄屋のノブちゃん、奥さんのハダカ写真撮ってばっかりいるらしいよ」そういうウワサ話がされていた。
ボクの家の斜め前で、タバコ屋をしていたばあちゃんの所にも、よくタバコを買いに陽子さんは来ていたという。

電通をやめて独りで写真家になったアラーキーを支えたのは、妻・陽子さんだった。
ろくに食えない時代、迷走の時代。
次第に、ヌードと東京の街とを絡めた作品が話題になるなか、よく警察にヘアや女性の陰部を載せては捕まった時代。

一方でボクは、親の都合で引き裂かれるように、生まれ育った三ノ輪を1981年夏に去る。

***

話せば長い話になるので、途中は省略する。
次第にオトナになっていく過程で、アラーキーの写真集を集めるようになる。
「センチメンタルな旅」。
このコトバに沿うように語り続けられるアラーキーの写真。

特に、アラーキーの写真が語りかけてくる豊穣さに熱を感じたのが、バブルと再開発に飲み込まれ荒廃していく東京、そして、昭和の終焉と陽子さんの死に向かう姿を、全てダブらせて、かなりな構想と計算の元に出来上がった写真集「東京物語」。
タイトルは小津安二郎の映画「東京物語」へのオマージュ。


80~90年代、NHK教育テレビでは、写真をめぐった素晴らしい番組をよくやっていて、そこでアラーキーの回に感激した記憶がある。
1996年になると、アラーキーの全集が20巻出版される。

自分が撮れなかった昔の三ノ輪の風景写真は、心に刺さった。
アラーキーが三ノ輪を去る際に、数日で撮ったモノクロームの写真。
自分が見慣れていた三ノ輪という小さな街の一角の風景。
もう戻らない時と街とそこに住む人の有り様・・・・・。

写真家とは、止まったある瞬間を、写真という形で切り取り・定着させる役割。
二度と同じ時空は繰り返さない。
撮った瞬間に過去になる。

***

妻・陽子さんを亡くした前後の写真も素晴らしく啓示的であるが、その後一人に戻ったアラーキーは愛ネコ・チロちゃんと、さらに大爆発したように多様な写真集をこれでもかというほど出し続けた。

彼の写真の素晴らしさに影響を受けた竹中直人。
ボクは、彼がお笑いで始まり、ラジカル・ガジベリビンバ・システムでの活動や、94年深夜番組「恋のバカンス」と・・・ファンであった。一方で、役者俳優・映画監督と幅を広げていく。

映画監督としては、これまたファンである漫画家つげ義春さんの「無能の人」を初めて映画化し見に行った。2作目「119」も鈴木京香さんの美しい盛りで良い映画だった。

そして、1997年10月公開された映画監督3作目作品が「東京日和」。日比谷の映画館で見た。

陽子さんの残した生活の匂いの残る暖かい文章に、アラーキーがコンパクトカメラで陽子さんが好きだった東京のカラー写真を組み合わせて出版された「東京日和」。
このタイトルは、永井荷風の「日和下駄」からの影響。

「命」というのはなんだろうか?

そう思わざるを得ないアラーキーと竹中直人の「東京日和」。
映画は、事実そのものではない竹中流のエッセンスが脚色として加えられている。

陽子さんと2人だけの新婚旅行の写真が自費出版「センチメンタルな旅」には収められている。
映画はそこでの描写を含めつつ、静かな田舎の地での出来事の下りの部分に、とある駅の駅員に扮してアラーキー本人が出るが、その撮影風景でアラーキーがいつものように周囲を笑わせるように明るく振舞う中、竹中直人がその様を見て泣き崩れる場面に、こちらの涙腺もだだ漏れとなった。



***

この映画「東京日和」のテーマ曲を大貫妙子さんが歌っていた。
陽子さんが好きだった「ひまわり」。
久方振りに大貫&教授コンビで創ったこの曲。
ゆるやかな流れのもと、優しさとさりげない形で深い愛が語られている。

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2 コメント

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リンク切れだよ (ah)
2013-12-14 21:15:30
こっちのURLなら生きてるよ。
http://youtu.be/qccn_FaYQrs
いい曲だよね。懐かしい。
二十歳すぎで、高円寺に住んでた女の子の家にころがりこんで、はじめて実家を出た。初デートはアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真展だったな、背伸びしてたな。彼女のうちにアラーキー全集があって、陽子さんとの初デートもブレッソンだったって書いてあった気がする。彼女の名前も陽子だった。その子と観たよこの映画。彼女もう2児の母だよ、父親は知らない人だけど、元気なのかな。
アラーキー悲しかっただろうね。
素敵なブログだね、ありがとう。
返信する
まだ2年前なんですね (かたちんば→ahさんへ)
2013-12-15 17:54:36
ありがとうございます。
YouTubeを貼る、というのは、こういうことが多いですね。
自分の持つ音源を貼りたいところですが。。。

まだ書いたのが2年前なのが、自分でも不思議な時間感覚です。
思うに、まだ3・11の余波がリアルな頃ゆえに、荒木さんのことを書いた気がします。

ahさんの想い出は、うらやましい限りです。
自分が荒木さんの全集を集めた頃は、すでに結婚相手に挫折していました。

不思議な因縁で、漢字は違いますが、自分の相手も同じ名前でした。
今どうしているかは、まったくわかりません。

荒木さんの写真。
実生活と虚構の「世間」をない混ぜにしながら、視えない文脈を浮き上がらせる。
そこに、とても惹かれます。
返信する

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