こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一  「エスペラント」'85年10月5日発売

2009-10-07 01:32:04 | 音楽帳


とにかく時間が無い地獄のような状態が続いている。
仕事もパンパンで毎晩帰れば0時近いし、独り者だからあれやこれやと細々とせなあかんこともあるし、家の中はしっちゃかめっちゃかだし、まみちゃんの命も短いけど近くに居られない状態だしで、余計に焦り、身が引き裂かれる思いだ。

1日でゆっくり「自分」に戻れるのは、帰ってから寝に落ちるまでの1時間ちょっとしかない。
今夜は、ストレスが溜まって特にいらいらしており、誰にも接しないほうが良い夜だ。

缶ビールとおにぎりと冷奴という妙な夕食だろうが、これが、自分の流儀なのだ。

タバコをふかしながら、いらいらしながら、一筆書きのように書きなぐりたい気分にピッタリのものが、このアルバム「エスペラント」である。

***

再び、時代は素浪人時代のことに戻る。
シングル「ステッピン・イントゥ・エイジア」と同時期に、坂本龍一が作っていたのが、前衛舞踏家モリサ・フェンレイのダンス・パフォーマンスの為に創ったアルバム「エスペラント」である。



この「エスペラント」は、実にひさびさに、坂本龍一の過激さ、暗黒面全開のアルバムで、「B-2UNIT」以来の、突き抜けるような悪意に満ちた快感のあるアルバムである。

1984年の「音楽図鑑」が余りにも、まとめようとして出来たアルバムであり、個人的には、A面1曲目の「チベタン・ダンス」などかなり「あざとさ」が目立って聴くに耐えなかった。
(この曲は、正直、未だに好きになれない。)
かなり、妥協した上の産物という事を感じたものだが・・・・長い仲間の画家の大竹伸朗や元DNAのアート・リンゼイにも「最近のお前はまっとうすぎてつまらない」と言われたとか言われないとか・・・。

そこで奮起した、と言うことでもないのだろうが、「フィールド・ワーク」「ステッピン・イントゥ・エイジア」と盛り上がり、そして、このアルバム「エスペラント」は、デヴィッド・バーンの「キャサリーン・ホイール」同様、舞台のバックに流れることを前提とした、いわば「サントラ」にも関わらず、舞台を見ていなくとも、アルバムとして独立して聴くに値する名盤である。

ニューヨーク・パンクの血を引くアート・リンゼイの過激な暴走するギターに、バリ島で採取した音のサンプリング、ヤスカズのパーカッション等を交えながら、「B-2UNIT」と双璧をなすかのような、坂本龍一の真骨頂が展開しているのが痛快である。

***

この暴発寸前の坂本龍一は、翌年の「未来派野郎」という自己崩壊的アルバムへの前兆(まえぶれ)だったのかもしれない。

自分の持っている「ミュージック・マガジン」の1985年10月号の「アルバム・レビュー」では、真保みゆきという大馬鹿「音楽評論家」なる、しょーもない(誰でも書ける程度の)「自称」売文家が「・・・・サンプリングという鉄骨で汲まれたレプリカ・ジャングル見ているようで、”ダンス・パフォーマンスの為の音楽”の有難味がわからぬ自分がつらい・・・と言いつつ、ついトム・ウルフ『現代美術コテンパン』に手が伸びる。点数は興味の度合いとして。」と書いて、「3点」を付けている。

何が「3点」だ。お前は、耳をそぎ落としてしまえ、と言いたくなる。

そりゃそうだ。
坂本龍一は、「俺のやりたいようにアルバムを創らせなかったら、YMOを脱退する」という交換条件の下、アルファ・レコードとYMOへの反逆として創った「B-2UNIT」同様の「悪意剥き出し」の状態で、このアルバムを創ったのだから。

その悪意に満ちたフェアライト・バンバンで構成された音のジャングルが、とてもギラギラしたナイフのように美しい。

***

正直言って、「B-2UNIT」と「エスペラント」を評価出来ない人間というのは、金輪際、音楽に関わる必要の無い人であり、坂本龍一のファンをやめた方がいい人である、と僕は思う。

「まあ~、癒しなのねぇ~」と、「エナジー・フロー」(’99)などという、極めて「甘い(=軽い)」曲ごときに、いちころにされて数十万枚のヒット曲になってしまう日本人の音楽を聴く耳の悪さというのは、実に軽く・ふけば飛ぶような存在なのだろう。

上部のYOUTUBEは「ADELIC PENGUINS」という曲だが、これは「アデリー・ペンギン」を教授がてっきり「アデリック・ペンギン」と勘違いして命名した表記の曲名だが、良い曲である。
教授の薄笑いの表情に、良い意味の「悪意」を感じて快感である。


アルバム「ESPERANT」

1. A WONGGA DANCE SONG
2. THE ”DREAMING”
3. A RAIN SONG
4. DOLPHINS
5. A HUMAN TUBE
6. ADELIC PENGUINS
7. A CARVED STONE
8. ULU WATO

「ダンス・パフォーマンスの為の音楽」という事など関係なく、先入観無く聴いてもらうと、アルバムの良さがわかる1枚である。
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2 コメント

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Unknown (くもお)
2009-10-07 08:10:13
このアルバムは2回買いました。
なぜなら1枚目は昔の彼女が勝手に持って行って返してくれないまま別れたから。
しかし彼女を引き付ける何かがあったのでしょう。
2枚目は3年前。そのときに久々に聴いて一番印象的だった曲がアデリーペンギンでした。ギコギコとエフェクトの効いたギターサウンドがB2-UNITの曲を思い出させます。この曲を聴くとき、ペンギンの姿は陸上ではなく、水中をすいすい泳ぐ群れを想像します。葛西臨海公園にデートで行ったときそれを見たのですが、そのイメージがかぶります。
そういう思い出のあるアルバムです。
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返事遅くなりました。 (かたちんば→くもおさんへ)
2009-10-09 13:56:51
くもおさん

返事遅くなってすみません。
今日は、過労がたたって、激しい頭痛とだるさ・風邪のようなノドの痛み等々あって、それに負けて、休む事にしました。

だから、こんな時間にメール書いています。

くもおさんの想い出は、想い出として振り返られる程、にまでなったので、幸いです。
僕の場合は、いつまで続くかわからない独り旅を続けているので、曲それぞれに対する思いいれと同時に、その頃付き合っていた彼女の姿も焼きついたままの状態にあるので、そういう曲を避けている傾向はあります。

しかし「エスペラント」は、久々に教授の昔の過激さが覗かれる面があって、当時、喜んだような気がします。
しかし、「ADELIC PENGUINS」でのアート・リンセイのギターの変調具合は、良いですね。
「B-2UNIT」でのXTCのアンディ・パートリッジのギターと確かに(意識的に)かぶる部分がありますね。

曲の出来・不出来では無く、決して世間に迎合しない反逆児としての教授の姿は、晩年を迎えた今でも持ち続けていて欲しいと思います。
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