こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年10月16日 日曜日 スケッチブック「うたかたの世に」'88.2・・・【未完】

2011-10-16 09:39:40 | スケッチブック


大学時代1988年2月にこの絵を描き出した。
アクリル絵の具と色鉛筆という当時の自分の主要道具で、筆を入れては止め、時間を置いては止め・・・そういうことを繰り返すうちに、うまく行かずに、完成せずに投げてしまった絵である。

頭には、イーノの「アナザー・グリーン・ワールド」に収まった『 オーヴァー・ファイアー・アイランド』があった。

投げ出したものの、この構図をトレースしたものは、別でもいくつか同時並行して描いていて、当時の自分の脳の中にある「なにがしか」が投影されている。

■Brian Eno 「Over Fire Island」■

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9 コメント

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未完もまた真なり (さくりん)
2011-10-16 21:05:43
絵、音楽、写真…
人が創るものには当然、好き嫌いがあり
時により心持ちにより印象・影響が変わるものですが、
だからこそ面白みがあり、いつまでも輝き続けるものなのでしょうね。

「うたかたの世に」
今の私には今の私を映すもののようにも感じます。
(ただいま、今日の闘いを終えてぐったり中)
吹く・噴くもの、なびくもの、抗うもの。
食い入るように見てしまいます。

お金がないのでパトロンにはなれませんが(笑)
かたちんばさんの表すものは、いいですね。
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妖しい月夜の晩に (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-10-16 21:47:38
パトロンなんて(笑)。
お仕事、お疲れ様です。

ピーター・バラカンが教授と一緒に仕事してきて「トレースの状態が一番良くて、いじる程に劣化していく」というコトバが再度よぎりました。
どこで筆を置くかは本人だけのカン。
おっしゃる通り本人は道具と画面と戦っているので次第に客観視出来なくなってくる。
ただ、そうやって放り出したものが、時間を経て浮かび上がってくるモノがあります。

むしろ出来損ないやちぐはぐなエラーにこそ、リアリティが生まれたりもします。
化学変化を起こす。

「うたかたの世に」とはポロッと頭に浮かんだコトバで、裏に走り書きされていました。
宙に浮いた自分のままで、日々絵の中で格闘していました。

さくりんさん
疲れたらぐったりしましょう。
リラックスして。。

癒しになる絵ではありませんが、何かが伝わるならば幸いです。
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作品また楽しみにしています (さくりん)
2011-10-18 15:04:14
「疲れたらぐったり」のススメ、ありがとうございます
昨日は代休でしたが、できるだけ遠くへ遠くへ行こうと思い、
イーノも「アヴァロン」も聴きました。
聴いてだらだら、ディスクを替えてはだらだら…
こんな時にチェンジャーがあると便利なのでしょうが、
さて何をチェンジャーに入れるかを迷うのは確実なので、
今のように1枚1枚選ぶのが性に合っています。

だらだらの結果は残念ながらあまり寝た気もせず、
充填前に消耗の日々だから当たり前なのですが
半期報告も控えているので今週は小出しにしようと思います。

今から会議で三軒茶屋に移動ですが、
戻ってまた会議なので、ちょっと気になるCDショップにも寄れません。


今日は爽やかですが、一度暑くなるとなかなか涼しくなりませんね(+_+)
かゆみがぶり返したとのことで(いつも気持ちだけで申し訳ありませんが)心配です。
かたちんばさんも半期決算など忙しさ増量期間かと思いますが
どうか「だらりんちょん」をやりくりなさってくださいね。
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セーブ出来たら100点 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-10-18 21:56:34
代休取れたのですね。
イーノ、ロキシー…良いことじゃないですか。
自分は、ついジャニスやらタクトでCD買うものの、帰ると『積んでおく』に留まってしまいがち。
『いつか』と言いながら、自分も結果YMO周辺・80年代イギリスと、いつもの定位置に戻ってしまいます。
あとは外付けハードディスクに入ったラジオ番組のMP3。
伊集院さん、みうらじゅん兄貴のもの。

自分も過去i‐tunesでシャッフル再生していた時期ありましたが、ついにそれも起動しなくなりましたよ。
ホントは新しいパソコンにしようとも思ってるのですが、エプソン等一部業務用除いて『一体型』。
それは買うつもりないので思いあぐねてます。

「残念ながらあまり寝た気もせず、充填前に消耗の…」
自分も時間数はとてつもなく寝ますが、何か逆に疲れることが多いです。
MZ師は「寝過ぎだから疲れるんだ」という。
わかっちゃいるけどやめられずに土日をほとんど寝て過ごしてます。

「小出しに」
それが出来たら上等ですよ。
100点です。
必要以上の「サーヴィス」は要らないっすよ。
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100点なんていつ以来でしょう (さくりん)
2011-10-20 18:09:30
ありがとうございます(^.^)
言っているほど小出しにできたら、の話ですが…


『いつもの定位置に戻ってしまいます』
私も同じです。
懐古主義と言われようが(個人的にはそんなことは思いもしませんが)
血肉であり免疫になっているものの欠乏は堪えますね。
むしろ食よりも定期的に補充しているかもしれません。


私の「東京日和」の1ページ。
ママの存在は欠かせません。
夕べは何を思ったのか私の足の親指に、猫パンチにも満たない優しいちょいちょい。
靴下をはいた指が、虫に見えたのでしょうか(笑)
先日から初めて鳴き声も聴かせてくれています。
ビビり屋らしく、立派な体に似合わない小さな小さな声…
怪我ひとつしてこないのは、喧嘩が強いのではなく、逃げ足が速いのでしょう。


竹中直人さんは自然に三枚目になれる本物の二枚目ですね。
つくづく、男性は素敵に歳を重ねられることを羨ましく思います。

「東京日和」や「恋のためらい」のお話を伺い、映画「珈琲時光」が想い浮かびました。
こちらも同様に、「東京物語」のオマージュ。
コーヒーと古書と身近にある人の優しさが淡々と綴られています。
神保町や喫茶エリカ、お茶の水、かたちんばさんにはきっと想い出深いであろう荒川線が登場します。


昼はなお生温い日々ですが、夕方からはやはり着実に秋。
お風邪を召しませんように。
返信する
その1 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-10-20 19:38:22
今日はつくばに打ち合わせに行き、直帰。
たまには早く帰らせて貰おうと思って。

今さらですが、改めて「なぜ鬱なのか?」「鬱からのエグゾダスは何か?」を今週冷静に考えていました。
とある方のサイトでのセリフにCUEがありました。
もしくは、カンサンジュンさんの本を読み返しながら…。

今のクレーマー日本社会への対応の疲弊も含めて「サービス過剰」世界。
そこに自分の持つ性格、限界値までやらないと「気が済まない」強迫神経症的な、心身が覚えてしまった慣れ。その相互作用と悪循環。

大事なのは、100やれる所を60、70で「寸止め」すること。
今日、虫がなく帰り道、20年来同期の女性に車で駅まで送ってもらいました。
彼女は高卒ですから6つ位離れていますが、別の同期と結婚し、今は仕事上で助けて貰っている一人。
彼女は不思議なほんわかした人に見えて、よく人を見抜いている。
「…さん。一瞬、無心になることですよ。
どこででも。」

何も言ってないのに、いきなり瀬戸内寂静みたいなことをさりげなく言う。

それは保身では無くて制御に近い感覚。
さくりんさんの言ったコトバにもラップすること。
鬼畜親父が言った「お前は自分の持つモノより大きく見せようと気を張り過ぎている」ともリンクしてくる。
…お前がそれを俺に要求し続けた癖に、と想いながら。
(続く)
返信する
その2 (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-10-20 20:34:06
最近、楽をする意味ではなく、沢山のことにカタを付けるための工夫に傾注しています。
3時間掛けないと超えられないと思い込む仕事を、3分でカタを付けること。

うまく行ったこと、そうはならなかったこと…
様々ですが。

或いは、打ち合わせ時「発言しよう」とする勢い、一方で判っていても堪えて「黙る」こと。

***

音楽。
「血肉であり免疫になっているものの欠乏」
やはり時代を超えてYMO・80年代ニューウェイヴの方が圧倒的に身近なのは、一生変えようない。

***

ママさんの存在。
次第に慣れ出したのか、承認されたか。
私はコチャコに承認されるには15年かかりましたが(笑)。

コチャコもビビり。
だから、長生きなんですが。
正ちゃんのようにフロンティア精神に溢れていると、事故死してしまうし。

ネコは、走っていたら、車が来ても「寸止め」せず渡る方を選ぶ生き物です。
ママさんは珍しく、ある意味賢い。
正ちゃんのような生き方もあるが、かけがえの無い存在には危険であって欲しくない。

まあ、今の人間の母子の在り方は見るに絶えませんが。

***

竹中直人は、ホントに良い歳の取り方をしていますね。
「四谷怪談」という芝居で間近に見ましたが、その人間臭い狂気の様には自由な感情の発露と気迫を感じました。

映画「珈琲時光」は知りませんでした。
『コーヒーと古書と身近にある人』
よく神保町に流れている刻のムード。
この街を愛する人だけが来る場所だから良いのでしょう。
谷中は、カルチャーばばあや雑誌片手のヨソモノが、千葉でずにーらんどと並列にして、沢山押し寄せて来だしてから、不愉快な光景の街になってしまいました。
荒川線は、今既にその持つ雰囲気は去ってしまいましたが、幼い頃からの記憶の中のチンチン電車は、自分の三ノ輪には欠かせない世界の一部でした。

みうらじゅん兄貴も言っていましたが『ゆるキャラ』が世間で流行ってしまったが為に、『ゆるキャラ』で無くなってしまった。
今は「本キャラ」ですよ。

経済主義の進行に伴い街が均質化し終えてしまった中、すき間になりうる少ない場所を見つけて、そこに自分は漂っていたいですね。
返信する
お便りしたいなと思いつつ。 (さくりん)
2011-10-24 19:47:25
『恋は桃色』に『希望の路』、『君に星が降る』、『鈴木茂、機関車』、『リハビリ・どうぶつ写真』…
既にそれだけで癒しのあるタイトルが並び、感謝感謝。

お便りしたいなと思いつつ、ぐったりがどっぷりに変る現在、
傍らでかたちんばさんに「ありがとう」をつぶやいて、始まり~終る日々です。

一時期はお菓子が主食の不健康な健康マニアでしたが、年齢とともに、食べきれずいつまでも残るようになりました。
それでもやめられない唯一のお菓子はグミ(笑)
今日は「ガツガツ食っていやな気分を吹き飛ばせ!」という硬いグミを購入し、
(半ば本気だったものの、)こんなもので吹き飛ばせるなら訳ないよな~と自嘲。

〆切りや面談がどんどんやってきて、単なる段取りできない「がんばりましょう」な子の週明けです(-“-)
『大事なのは、100やれる所を60、70で「寸止め」すること。』
本屋には、80:20~70:30の法則がずらり並んでいますね。
いつかヒントを得よう、読んでいる間に仕事した方が今は早い、そんな刹那的なやり方の打破だけが必要なのかもしれません。
『3時間を3分で』という心積もりが、結果を生むのだと思います。


そんなこんなでも写真を拝見。
『ハゲおやじさんとノラネコの距離感。』
猫の方が一枚上手に見えますね。

トルコの旅から帰ったばかりのボランティアさんと、今回の大地震について話していた時のこと、
ワン地方のワン猫という種と、その原種は絶滅しているであろうことを知りました。
左右の目の色が違う魅力的な個性と、彼らは絶滅に瀕していて、今は狭い研究所に閉じ込められていることを同時に知り、ただただ申し訳なく思います。
自由はないけれど、せめて、健やかに過ごして欲しいものです。
(自由がないことが健やかさをもたらすかどうか、猫基準からすると矛盾していますね…)
「寸止め」せず渡る生き方は憧れもしますが、
おっしゃる通り、『かけがえの無い存在には危険であって欲しくない。』
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ゴロゴロゴロ (かたちんば→さくりんさんへ)
2011-10-24 23:19:44
昨夜はほとんど眠れず。
タイ水害、トルコ地震と、親しい隣人国の有事には悼みを覚えます。
しかし、自分には何も出来ない距離。
何が遠い仲間にとって、一番望むことなのだろうか、と暗闇で身を横にしつつ居ました。
今は祈る事しか出来ない。

***

「ぐったりがどっぷり」
一分でも休むことです。

こちら、月曜日からフル稼動のボロ雑巾。
サーモスタットの切れた機械。

こちらは甘いものを口に仕事中しないのに、朝、板チョコを買って食べました。
グミではないですが。
カラータイマーの危ない証拠。

***

「本屋には、80:20~70:30の法則がずらり並んでいますね」

知りませんでした。
自分は交渉術に関する本で、如何にムダなことに時間を割く事無く「かわすか」「すーっと」超えて行くかを学びました。
3分で、というのはそんな意味。
全部の馬鹿にまともに取り合っていたら、本来のミッションは果たせない。

***

「猫の方が一枚上手」
ハハハッ!
そうですね。

左右の目の色が違うネコちゃんはトルコのネコだったんですね。
ネコが神様だった国がどこだったか忘れてしまいましたが、ネコの持つ優美さ・チャーミングな感じを愛し魅了される人々が、昔から今に至るまで如何に多いことでしょうか。

今回の震災でも、亡くしたネコへの虚無感から、残ったネコたちの保護に努めている人々が多いこと。
自分も最近はよく遊ぶ、というより撫でだり身を寄せながら、ゴロゴロ言う音に、こちらが癒されることが多いです。
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