こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一のサウンドストリート 1982年1月12日

2006-01-14 16:17:06 | 坂本龍一のサウンドストリート
YMOのウィンターライブも終わり1981年が終わり、年が明けて1982年、第1回目の放送。

1・坂本龍一 フォトムジーク(生ピアノ)
生ピアノで弾く「フォトムジーク」ではじまった1982年。
今日はちょっとテーマ曲のテープを持って来るのを忘れたということで、生ピアノでテーマ曲を弾いて始まった。

2・ジャパン カントニーズ・ボーイ
12月28日にデヴィッド以外のジャパンのメンバーが、渋谷の某ファッションビルで彫刻展があり、来日したという。
教授「今度のアルバムは、何だか全体にチャイニーズっぽくて、矢野顕子のファンみたいな匂いがびしびしになりまして・・・。まあ実際、ファンのようですが・・。カントンボーイ(在広東少年)が好きだ好きだと2年前に言っていたんですが、ちゃっかりカントニーズ・ボーイなんて曲をやっていたりして・・。」

この曲はオリジナルラストアルバム「ブリキの太鼓」の最後の曲だが、最後、デヴィッドの語りで唐突に終わるのが実に不気味だった記憶が自分にはある。YMOファミリーの影響大の1枚。
正直、ジャパンは矢野顕子・YMOに出会わなければ、こういう解散の仕方はしなかったんじゃないかと思ったりもする。全ては終わったことだが・・。

「他にもカントンなんて曲もあるし・・。よっぽど矢野顕子が好きなんですね。(と少々嫌味な言い方の教授)」

3・矢野顕子 相合傘
「本人の希望がありましてですね・・。ちょっとこれラジオでかけてよ。」と矢野顕子さんに言われたといって、この曲をかける。
この曲は、元々は細野さんの曲だが、そういえば、矢野さん自身「世界で一番細野さんの曲をカバーしているのはわたし」と言っていたな。アルバム「いろはにこんぺいとう」よりの曲。

去年の暮れにやったYMOのウィンター・ライブのコマ劇場で、幸宏が投げたスティックが、眉間に当たって、救急車を呼んだという事件があったという。本人にサインをプレゼントしたりしたというが、教授は、事態が事態というのに、その人を「よっぽどぼうっとしていた人がいて」「目に、もしスティック入ったら大変ですよね」などと半ばふざけて言う。

女の子のハガキで「質問があります。坂本さん個人の好みで答えてください。サンディとスーザンと矢野顕子とシーナ、誰が好みですか?」というものがあり、教授は「・・・んん~。好みで言ったらスーザンですかね」
と答えた後、「・・後で殴られるね」とぼそぼそつぶやく。

同じように女の子のハガキで「山下達郎の隠れ妻」という人から達郎さんと仲が良いのか?との質問。
昔は3日くらい泊まって麻雀なんかやった仲、今でもスタジオで遭うとおっと声は掛け合う仲だという。
「竹内まりやとの結婚式には招待してもらってるの?」との質問には、
「さあ、呼んでくれるんじゃないかなあ」との答え。

一方、大滝詠一氏については、昔仕事を一緒にしたことはあるが「決して仲が悪い訳では無いが、良くも無い」という。

4・デヴィッド・バーン ビッグ・ビジネス
この曲は1981年にD.バーンがトワイラ・サープのバレエ・パフォーマンスのために作った「回転花火(ザ・キャサリン・ホイール)」というアルバム【写真】から。
「ブッシュ・オブ・ゴースツ」「リメイン・イン・ライト」後の初めてのアルバムということで、自分は82年4月頃に買い、興味深く聴いた、思い入れ深い1枚だ。ブライアン・イーノも数曲参加しており、エイドリアン・ブリューも参加している!
のちのち、本ちゃんの72分のカセット、CDが発売されたが、私は40分程度のLPレコードが余計なものが入っておらず好きだ。前述の2枚の延長線上にあり、エスニックな色の曲も多くあり、イーノ&バーン2人でのベースの掛け合う曲やグラスハーブを使ったアンビエントな曲もあり、オススメの1枚でやんす。

暮れにキング・クリムソンを見に行った際に、エイドリアン・ブリューに再開し、抱き合ったという。
4月にはトーキング・ヘッズのツアーでまた日本に来るので、その際に、2ndのソロアルバムを作るので、「YOUたちとまた作りたいな」と言っていたという。(これまた実現しなかったですが)

5・坂本龍一+鈴木慶一+スーザン パーキージーンのテーマ曲(TypeB)
春の化粧品キャンペーンソング。教授の泉のように湧き出るメロディーメーカーの一端を垣間見せる名曲。
慶一さんとスーザンはヴォーカル、というか語りで参加。

このもう1つの企画として立ち上がったのが、忌野清志郎と2人で作ろうという話になっているという話→例のシングル・・です。
明日からレコーディングに入るという。
教授「忌野清志郎+坂本龍一、これは衝撃なんじゃないでしょうか。と個人的には思っているんですが。」

6・ダンスリー グラスホッパーズ
「千のナイフ」に入っている名曲を古い楽器で演奏したダンスリーのアルバム「TheEndOfAsia」より。

7・坂本龍一(YMO) エピローグ(後奏)(生ピアノ)
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8 コメント

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フォトムジーク (しず)
2006-01-15 02:21:37
私はどちらかと言うと ピアノの方が好きです。

ピアノの音色の方が断然 胸に沁みます。

サンストでエアチェックしたテープを すりきれるほど 何度も何度も聴きました。

曲の終わりの方で 「えーと」っていう教授の声がかぶっていたような記憶が(笑)



細野さんの曲で 一番好きな曲は「恋は桃色」です。

二人で一緒に歌った時の 細野さんの少年のように はにかんだ姿が とっても印象的でした。

「終りの季節」や「風を集めて」も いい曲ですよね♪



質問があります。

かたちんばさん個人の好みで答えてください。

サンディとスーザンと矢野顕子とシーナ、誰が好みですか?(笑)
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しずさんへ (かたちんば)
2006-01-15 02:48:02
ピアノという楽器の良さは教授に教わったようなものです。



「恋は桃色」はソリトンSide-Bのことですね。



しずさんの質問、ん~、難しいですなあ。



当時なら、矢野顕子さん。

現在は、矢野顕子さんです。
返信する
Unknown (イーゴ)
2006-01-16 03:02:21
改めて、奇才D・バーンの「キャサリン・ホウィール」を聴き返してました。

CDしか持ってないもので、LPで当時買ったとは、さすがっすね。

10代の頃、バーンがカッコイイと思ってた時期があって(笑)ヘッズの「ネイキッド」とか聴いてたり、ソロの「レイ・モモ」(笑)には驚きました。

映画なんかも撮って、プロモ・ビデオなんかも凝ってましたよね。



それとちょっと前に、達郎氏がラジオで「意外と思われるかも知れませんが昔、坂本君とは親友と言える一人だった」のような事を言ってました。

「お互いが売れ出してから、疎遠になった」みたいな事も、言ってました。



返信する
イーゴさんへ (かたちんば)
2006-01-16 23:06:46
僕は初めてヘッズを聴いたのが「ボーン・アンダー・パンチズ」だったのですが、バーンのファンだったのは極めて短い時期でした。

アルバムで言えば、「ブッシュ・オブ・ゴースツ」「リメイン・イン・ライト」とこの「回転花火」だけかもしれません。

その世界こそをバーン=ヘッズと思い込んでいたので、「スピーキング・イン・タングス」には大いに失望をしました。



あくまで好きになれたのはイーノが絡んだほんの一時期なのだと気づきます。

正直、この時期が逆に異例のであって、それを除いたバーン=ヘッズの全体像は、僕には駄目でした。

そういう意味では、好みではない人までを巻き込んだイーノのすごさを改めて思います。

<まあ、自分にとってイーノが神様のようなものなので、そういう見方になってしまうのですが>



多分、バーン=ヘッズの本当のファンとの違いは、極めて単純な生理的な好みの違いと思います。

あくまで「好き・嫌い」のレベルで自分には合わなかったんだと思ってます。



何だか、この3枚以外のアルバムにしっくりいかなさを感じずにはいられなかったんです。



若さゆえ、この「しっくりいくか否か」が当時の自分の価値基準を左右していました。

「聴く耳を持つ努力」を常に自分に強いながらも、その努力では解消しえない「生理的居心地悪さ」「超えられない・理解出来ない壁」をこの時期以外のバーン=ヘッズに感じていたのも事実です。



凡庸で「まっすぐなロック」が吐き気がする程嫌いな気難しい極端なニューウェイビー少年だったせいで、この3枚の強いインパクトに値するものをそれ以外のものから感じることが出来なかったのです。



この感覚はいまだに変わりません。

当時、同じような違和感をエルビス・コステロやスミスのモリッシーのボーカルに感じていましたが、こちらは年と共に理解出来るようにはなったのですが・・・。



***



達郎さんと教授はどうやら本当に親友だったみたいですね。

確かに音楽の方向性が次第に分かれると共に疎遠になっていったようですね。

でもこの'82年には達郎さんが、ゲストでサンストに出ますので、そのテープ起こしはいずれまた・・・。

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Unknown (たま社長)
2006-01-25 00:40:38
僕もイーノとバーンがいっしょにやった3作

とっても好きです。



『ひだりうでの夢』はブッシュ・オブ~を

多分に彷彿させます。



三作ともとっても好きですが

やっぱりベストは『リメイン・イン・ライト』ですね。

個々の曲の完成度は言うまでもないですが

アルバム全体の

コンセンプチュアルなトータリティに惹かれます。



僕は『スピーク・イン・タンズ』も好きです。

というのはアレックス・サドキンが大好きだから

緊張感は抜けたとは言え

あの音作りとリズムはやっぱり惹かれます。





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たま社長へ (かたちんば)
2006-01-28 10:54:20
たま社長、元気ですか。

ごぶさたしています。かたちんばです。



年明けはいかがですか?仕事のほうは。



「左うでの夢」は確かに、「ブッシュ~」の影響は大、

というか、坂本さんそのものが、イーノの影響だらけなので。。



イーノといっても今の人は知らないでしょうが、この手の音楽の元祖であり、やっぱり神様なのです。



「スピーキング・イン・タングス」も、たま社長にそう言われると、改めて聴いてみようかなと思ってしまいます。

実はレコード持っています。

しかし、ほとんどかけずにほこりかぶって眠っていますが。。



実は、こういいながらも毎回期待して追跡していたので、トーキングヘッズは全部<当然>聴いています。



そういえば、バーンが86年当たりに作った何かのバック音楽で「何とか OnTheKnees」とかいうアルバムも持ってます。それは好きです。好きな割にはタイトルが思い出せませんが(笑)。
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こんにちわ。 (サブ刈太郎ver.2)
2006-03-29 12:58:06
はじめまして。パーキージーンのTypeBの原稿を書いていて、音源の年代特定をするのにこのサンストの記録は大変役にたちました。ぼくもこのオンエアーは録音したのですが、ラベルに放送日時を書いてなかったので、わからなかったのです。テープの書き起こしは大変だと思います。ほんとにご苦労様ですが、こうしてここに訪れて読むものにとっては楽しみでもあります。頑張ってください。

上記で、この記事をリンクさせていただきました。ご迷惑であればおっしゃってくださいね。

誠にありがとうございました。
返信する
かたちんば (サブ刈太郎さんへ)
2006-04-01 15:30:03
リンクありがとうございます。

刈太郎さんみたいに、すばらしいブログとは違って、だらだらだらりんちょんのかたちんばのブログですが、是非、たま~の更新を見に来ては、コメント入れてくださいね。



同士を求めていますので、こちらこそよろしく。
返信する

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