こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

如月小春との想い出  '85

2009-03-19 23:47:18 | 想い出かたちんば


1984~1985年、当時、朝日ジャーナルの編集長だった筑紫哲也さんが、「新人類」と呼び、「若者たちの神々」という特集を始めた。

この中にも、納まっているが、劇作家、如月小春を知ったのは、高校生の友人、藤森くんの影響だった。
多くが、「オトコ」という色を出した男子校において、彼だけは、親が本の編集の仕事をしていた影響もあるが、音楽や、サブカルチャー全般において、話せる少ない友人だった。

彼との交流は、この高校3年生の冬、多かったように思う。
もはや、自分は、浪人が決定的だった頃、彼に誘われ、自分も興味があった芝居を見に行った。
自分が見た芝居と言えば、スーパー・エキセントリック・シアターしかなかったが、彼が誘ってくれたのは、如月小春の劇団「NOISE」の「MORAL」という芝居だった。

***

如月小春のことは、まず第一印象が、「なんて美人なひとなんだろう」ということだった。



藤森くんと、渋谷の劇場で見た「MORAL」。
地球を抱いた仮面を付けたヒトが椅子に座る中、女性の数人が出てきて、不思議な文字遊びのようなせりふをくり返し、踊りながらしゃべる。



退屈なヒトにはこれほど退屈なものもなかったろうが、自分には、その初めて見る如月小春の作り出す、世紀末的な恐怖を感じさせる「場」に、絶望を抱きながら、引き込まれていた。

***

如月さんは、坂本龍一との交流の中から、1枚「都会の生活」というアルバムも作ったり、丁度、1986年岡田有希子が自殺した頃だったか、「アイランド (それは、次第にあおむけに狂っていったのだった・・・・)」という芝居を作ったりしたが・・・・・・・



それから時間を経て、彼女の存在を、自分はすっかり忘れていた。

そんな頃。
2000年の12月、突然の訃報で、彼女の存在と、あの1985年がフラッシュバックした。
彼女は、突然の「くも膜下出血」で、44歳という若さで亡くなったのだった。

80年代という特殊な当時の時代空間を語れるヒトが、また1人消えたと思った。
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