
1982年の春から夏の流れで、もう一つ備忘録。
1980年YMOを中心として「日本」で爆発開花した”テクノポップ”も、たった2年というのに相当濃密なうつろいをしていた。膨張一途・蜜月ばかりが渦だった。そのテクノの1つという認識だったPモデルは、1982年春・作品「パースペクティヴ」を発表する。
調べるとこの作品を雑誌「ミュージックマガジン」は1982年4月にレビューしており、雑誌は一か月前に案内をするので1982年3月あたりに発表されたものかと思う。
FM東京の夕方15分番組で一週間紹介した番組があり、録音しつつ聴いた。一日1曲か2曲。そのカセットテープはその後消してしまったので、今ここには無い。
やけに「コトバ遊び」が目立つと思うと同時に、ドラム及び録音室内反『響』音をいかにして拾うかに腐心した作品と思えた。一応曲それぞれはあるが、そこに表現されたそのものよりも『響き』をどう掬い取るか?がテーマという気がしていた。
そこからはるかかなたに来た後、この『響き』が脳に浮かんで音盤を探した。そうして、この十年のどこかの地点で、CD「パースペクティヴ」を神保町で手に入れた。
このCDを聴いて、当時も今も心に『響』くのは「のこりギリギリ」という曲。
当時は音楽に歌詞は要らないと思っていたし、平沢進先生がどこまで意識としてそれを捉えていたかは不明。しかも、歌い方がくぐもっているので、歌詞そのものは歌詞カードを視て解かるものである。今になって見るとかなり深い内容で哲学的だが、(再び言うが)その歌詞もどこまで平沢進先生が意識上で意識していたかはかなり疑わしい。
無意識が勝手に自動筆記したもののように思ってしまう。
数週間前にツイストの世良公則さんがラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」にゲスト出演した。
(その世良さんが極めてカッコよかったことは後日に送るとして)その際、ヒットした曲を創ったのはハタチそこそこであり・毎日必死で追われる日々だったが、その歌詞を見ると自分のモノとは思えないしそれを経験根拠で描いたものとも思えない、と語るくだりがあって、そこに総毛立った。
どうも、そういうもののような気がする。直感であり、論理ではない。
まるでこのアルバムは、YMOの「BGM」やPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)の「ザ・フラワーズ・オブ・ロマンス」から影響を受けたように思えるのだが、平沢進先生は否定している。私もたぶんそうだと思う。時代の流れや
■Pモデル 「のこりギリギリ」1982■

色とりどりにのこぎり鳥は メートル法の部屋を飛ぶ
愛なんぞじゃありゃしない まして正義なんぞじゃありゃしない
カガミがあるだけ カガミがあるだけ
カガミがあるだけ カガミがあるだけ
のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ
きめこまやかにのこぎり鳥は 見える角度で姿を変える
うそなんかじゃありゃしない ましてほんとうなんかじゃありゃしない
日記があるだけ 日記があるだけ
日記があるだけ 日記があるだけ
のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ
意気揚々とのこぎり鳥は チェス盤上をねりあるく
敵なんぞはいやしない まして味方なんぞはいやしない
恐怖があるだけ 恐怖があるだけ
恐怖があるだけ 恐怖があるだけ
のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ
時はやおそくのこぎり鳥は 直線上の視界の奴隷
いちぬけたいねさようなら ましていちぬけたいねさようなら
言葉があるだけ 言葉があるだけ
言葉があるだけ 言葉があるだけ
のこぎり鳥は どこ 義理欠いた
底 意地とれて のこりギリギリ


