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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年6月8日 月曜日 「初夏のサウンド15 永遠は今もここに光り続ける永遠」

2015-06-08 22:36:02 | 音楽帳

土曜も日曜も歩いた。あてどなく。
オムロンの歩数計は、土曜29,401歩、日曜22,348歩を告げている。目の前に現れる瞬間を謳歌するうち、過度な歩きは身体のあちこちに不具合を生じさせた。公園などでクツを脱いで足を揉んだりしたが疲労に追い付かず、タイ式マッサージで施術を受けた。施術者のおかげでヘルニアから来る首の痛みなどは軽減した。

ただ、まだ苦しさは消えない。週の始めというのに、おかしなだるさと発熱と眠気に包まれる。
なんでもかんでもやりすぎてしまう自分。
気がついて我に帰って反省もするけど、目の前の楽しさが何よりだ。反省すれども後悔などクソ喰らえである。

***

目ざとく興味ある鳥さんを追い掛けたネコのまみちゃんが、巨体のくせして木に登り2階まで上がった。鳥は逃げていき、そのときになって初めて彼は「はっ」と我に戻る。
「ああ、こんな高い場所に来ちゃったよぉ。どうしよう。。。」
上述の話しから、あの風景・あの困った顔を想い出した。

自分の2階の部屋で音楽を聴いていると、やけに騒がしい。
気が付くと屋根のある窓ガラスの外から、彼がこちらを見て必死の形相で鳴き続けている。
「まみちゃん、なあにやってんだい。」と窓を開けて抱き上げる。。。出会ったネコたちは結構このパターンを踏むのだが、しっかりしていそうでこんなドジを踏むのもネコの不思議さ。
抱き上げるとき、そのドジさが無性に可愛くて、我が子のように抱きしめる。

相変わらず話をし出すと、まとまりがない。

この休みの夜、ふいにウルトラセブンが観たくなり、友人MZ師が昔BS番組からDVDに焼いてくれたものを観ていた。そのあと、Youtubeを見てみる。すると「もうボーダーはどこにもない」具合で、必死こいて録画したDVDなどは十年ひと昔であり、何事もなくセブンが見られるのであった。
その後、実はここ十年気になっては時折チェックしている、「アンヌ」ことひし美ゆり子さんの元気な姿を見に行った。

かつて、自分の初恋は幼稚園の先生だった、と言った。
それはその通りで、たぶん当時ハタチそこそこだった可愛く優しい先生に恋心を持っていた。
だが、同時期、アンヌにも恋をしていたことを、セブンを観ながら自己確認する。

厳しい(現実)に対峙せざるを得ない・ウルトラ警備隊一員であり、男まさりで活動的・ハスキーな声の一方、長いまつげに愛らしい顔。そこにスキニー(=現代で言えば)なパツパツの制服。そのアンビバレンツは、幼児の欲情を掻き立てるには充分だろう。
「アンヌ」の存在は、当時同じ経験した同世代も含めたクリエーターにより萌芽する。その痕跡は、エヴァンゲリオン含むアニメやドラマやアイドルが描く所作に隠喩として投影されている。

ここ数年セブンを再度意識した起因は、ラジオ「たまむすび」を通じて、博多大吉さんや小林悠さんがファンであることを見聞きしてきたことに拠る。
昔「コドモじゃないんだから、いつまでも子供でいるんじゃない」と言われたものだが、「ウルトラマン」「セブン」のヒット後に「怪奇大作戦」に行ってしまう円谷プロの意志に現れているように、「セブン」はコドモ向けではない。だからさまざまな社会状況を反映している。

21世紀の初め、ウルリッヒ・シュナウスの登場に空の広さを体感した頃だろうか?
セブンに掛かった音楽を集めたCD「ミュージックファイル」を手にした。サウンドトラックであり、作曲家・冬木透さんの作品集的でもあるが、これが素晴らしい。

◇今夜の一曲◇

■Ulrich Schnauss 「Knuddelmaus」(From 1st Album「Far Away Trains Passing By」)2001■

『人が歩いているのは、昔の自分を探しているのだ』(金子光晴)









愛しのまみちゃん
コメント
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