
日々陽気の変動が大きい中、近時、自分は長袖Yシャツで過ごしてきた。
必要に応じて、ソデまくりをしながら。
昨日までは。
「上着なんか、ジャマくさいから、着ないよ~」と突っ張ってきたが。。。。
昨日、仕事をしながら、ノドに軽いいがらっぽさを感じてはいた。
身近に、熱を出した男が周辺にそれを移しまくっている密閉空間。
「キケンやなあ~」と思いながら、自分のノドがこれ以上どうにかならないようにしていた。
晩になり、ハナ垂れ小僧。
続いてセキが出るようになった。
やたらさぶいので、毛布にくるまって寝たが、深夜起きてしまう。
どーも、おかしな感じなので、葛根湯を呑んで、程好い温度の白湯を何杯も呑み、水分補給する。
試しに、体温計で体温を測るが、平熱の35.8℃。問題無しの低体温。
再び寝る。
ところがぎっちょん、「朝、目を覚ますと、声が出なくなっていた」。
ノド元は締められ、普段のチカラの入れ具合程度では、声は出て来ない。
自ら鏡に向かって声掛けてみるが、若山弦蔵さんやクリス・レア並みの深く渋いヴォイス。
自分で自分の声とは思えない。
ノドに誰かが住んでいるような感じ。
***
しかし、今の自分の状態を、風邪とは思っていない。
過去、近所の尊敬する名医・藤田先生のところを訪ねた際の、やりとりを思い出す。
かたちんば「どうも、風邪っぽいんですけど。。。」
藤田先生「何を持って、風邪と断定するのか?」
かたちんば「いやあ~、こうこうこういう・・・現象ありまして風邪に違いないと。。。」
藤田先生「キミは症状を言えばいい。その症状が何に当たるかを判断するのが我々・医者の役割だ。」
かたちんば「はあ。。。。」
そうして、いろいろ診察してくれた結果「私の診断では、風邪とは言えないね。悪いが、クスリは出せない。
クスリを出して欲しければ、他の医者に行って欲しい。」と藤田先生はキッパリ。
(自分は、クスリが欲しいとは一言も言っていないが)
結果、藤田先生の判断は間違っていなくて、数日を経たら症状は消えた。
適当な医者なら、「はーい、風邪症状ね。クスリ出しときますから。」で流れ作業で終わったであろう。
如何に世の中の医者が適当かを、藤田先生は言い当てている。
***

今週になってから、急に周囲に調子が悪そうなヒトが湧き出し始めた。
仕事場も電車の車内もセキをする者、マスクマン。。。等々。
抵抗力が無い方の自分は、とにかくこの手の人から最大限離れた場所で活動することにしていたのだが。
この時期になると、盛んに「予防注射」なるイベントが出てくる。
自分は、それ自体を怪しく思っている。
「風邪」と仮に名を付けたとしても多くの種類があり、この注射が万能では無いにも関わらず、「予防」という名の医療機関と企業の証拠残しにしか見えないのである。
そもそも風邪とは、何なのだろうか?
風邪というのは、極めて概念があいまいなものに、自分には思える。
「自分は風邪だ」と思い込む何らかの不具合が、本当に風邪なのか?は疑ってみる必要がある。
なんでもかんでも風邪と言ってしまえば、それで済むかのように思えるが。
これだけ天候不順で、予測不可能で先が見えない・めまぐるしく変化する陽気の中では、生き物に不具合が生じるのは当然の帰結。ただ全部風邪な訳があるまい。
何か不具合が現れたら、それは自分の補正が必要なアラートを送ってくれていると思って、悪いなりに心身に耳を傾けることかな・・・と、私は思っている。
こんな斜に構えた姿勢を、他人に勧めるつもりは一切無いが。
***

野口晴哉さんの著書に「風邪の効用」なる本があるが、ハナ垂れしたり・ノドを痛めたり・・・・いろんな症状がある中、それを越えて補正が終わると、不具合が生じる前よりも心身の状態が良くなる。
そういう切り口は説得力があり、うなづいてしまう。
■Klaus Nomi 「Cold Song」'81(スネークマン・ショー「急いで口で吸え」より)■
夜、仕事を終える頃になると、へるにあまんのせいか?それ以外のなにがしかのせいか?
こめかみがガシンガシンいう頭痛にやられ始めた。