こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

正確な情報の糸口

2011-03-26 22:04:03 | 雑記帳
余震は昨日は大きなものが何発か来たが、それほど大きなものは来ていない。

震災で大きくズレたプレートは他のプレートに及んで、それぞれのプレートがズレたことの補正に入ることが、この余震の要因。
この余震がさほど大きくなくエネルギーを分散させて落ち着いていく事を祈る。

しかし、震災が遺した大きな傷の修復活動・影響と放射能は日々この後も続いていく。

放射能については、専門的知識が薄いので、人の意見に左右されてしまうが、専門家曰くは、全く予断許さない状況が続くという。

チェルノブイリ、スリーマイル島事故と違うのは、こんなにも多く(1~6号機)の動きを随時見ながら、その動きに応じて「措置を講じ続けなければならない」のは世界に例が無いとも言う。

問題は、その作業を行ってくれている現場の人たちだ。

制御に神経を働かせ続けるのは、被爆をしながらも現場作業をする人たちである。
その人々の精神力も限界に達していることだろう。
結局は、それを制御している人に左右されるが、そんな人々が参ってしまいつつあるのが、今、一番危険なのだ。
世界に及ぶ事態を背負って仕事を黙々としている人。

政府も東京電力も上の方に居て、ああだのこうだの発表する立場は結構だが、現場作業員へのケアを何よりも大事にして欲しい。
ヒューマンエラーが起きないように。

***

NHKの水野倫之さん(NHKの解説委員)などの方以外の報道メディアの言うことはほとんどが信用ならないし「今、何が起きていて、これからどうすべきか」を伝えず・録画したガラクタ番組を続けるTVは公共放送に託された意味を成していない。

我々は、糸を手繰って、信用出来るであろう専門家の意見を集め、それに耳を傾けるべきだろう。

23:00まで「ニコニコ動画」で『原発はどうなっているのか。被災地はどうすればいいのか』を生放送している。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv44244136

環境エネルギー政策研究所所長である飯田哲也さんという方が、落ち着いてやさしく今の事態と今後について話してくれているので、是非見て欲しい。

また、見られない方は、飯田さんが所属している「環境エネルギー政策研究所」のサイトで情報を得ることが出来るので、そちらからも情報を得てください。

http://www.isep.or.jp/

追記:22:23
放射能については、政府&報道メディアは情報統制行い、出来うるだけパニックを起こさないように楽観論に傾きがちである。
個人個人が、そうでは無い経路で情報を得ること。

追記:22:53
上記「ニコニコ動画」で飯田哲也さんの部分が終わってしまったので、見られなかった方は以下へ。
過去YOUTUBEではよく見てきたが「マル激トーク・オン・ディマンド」で、飯田哲也さんを加えた『特別番組 あえて最悪のシナリオとその対処法を考える』という放送を無料で行っている。
決してこれが正解では無いだろうが、一つの参考にしてください。

マル激トーク・オン・ディマンド

http://www.videonews.com/on-demand/
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携帯電話

2011-03-26 20:04:57 | 雑記帳


自分は、昨年携帯電話を買い換えた。
この携帯電話の姿を見ると、この上の面に「それってアイ・フォン?」という人が居るが、それは違って「ソーラー・フォン」である。

この上の面が太陽光を受けて電気として補充する。
出来うるだけ電力を電気から他の自然発電に変えられたらと買った。

しかし、携帯電話の露店に行き、尋ねると、お店の店員の女性はさらりと言い退けた。

「これ、太陽光発電出来る機能付いてますけど、充電機に刺したらあっという間に充電出来ますよ。
あんまり意味無いですよ。」

これは一例だが、エコというウソが充満している。
原発による電力が、全体の30%を占めている現状。
何か画期的な電力を生み出す智慧が欲しい現在。
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坂本龍一 「ROSE」'89

2011-03-26 19:22:44 | 音楽帳
1987年初めでいったん自分が追いかけてきたニューウェイヴ/テクノの「明日は、もっと新しい明日」という流れに幕を閉じた。
1986年の自殺未遂や精神破綻を経て、音楽を日々追いかけなくなり、病気修復の傍ら絵を描くことにほとんど時間を割いていた。

「もう新しい音楽なんか生まれない」
そう思っていた。

世間ではユーロビートなるものも流行っていたが、それはしょせんは踊るための音楽で、自分の琴線を揺らすことはなかった。
1989年に入り「ワールド・ミュージック」なる言葉が流行った。
それに乗じて深みも無い音楽を排出したヤカラも多く居た。
どこ時代にも、そういうヤカラは居るもの。

個人的には「そんなものは70年代終わりから80年代にかけて、ニューウェイヴ/テクノがロックでは無い音楽を取り込み、その衝突が生み出したものに比べれば屁みたいなもの」と思っていた。
要は「ワールド・ミュージック」とは沈滞ムードが蔓延する音楽業界が、米英中心の音楽紹介では駄目だと世界の音楽を輸入し、活性化策を図ろうとしていた事を指していた。
「ワールド・ミュージック」とは、いわば音楽のゴッタ煮のことを指しているのだろうが。

自分らはアフリカ音楽、南米、アジア、ヨーロッパのイギリス以外に潜んだ音楽・・etcを聴いてきたので「何がワールド・ミュージック?」という「?」だらけの状況だったが、そんなさなか、1989年、様々な音楽を融合させ、日本から細野さんは「オムニ・サイト・シーイング」、既にニューヨークに住んでいた教授は「ビューティー」を発表した。



共に名盤だと思うが、教授の「ビューティー」の「ROSE」なるノンビート、ノンリズムの曲を聴いてかなり驚きを感じたのは確かであった。

今までの坂本龍一の曲には無かった新しい世界があった。
教授の持ち味であるアジア・オリエンタリズムを遺しながらも、どこの国の音楽だかわからない響きに驚いた記憶がある。



YMOをバイトと思って参加して巻き込まれた坂本龍一が、仮想的であったYMOさえなくなり、ソロで本気で音楽と格闘せざるを得なくなり「未来派野郎」で初めてのソロ・ライヴを演じ、「ネオ・ジオ」を経て、この「ビューティー」へ。

「ネオ・ジオ」「ビューティー」では出生である沖縄民謡を取り込みながらも、多様な音楽のエッセンスを含み、アルバムとしている。

「ビューティー」について、海外の馬鹿な音楽評論家が「これは、音楽に於ける帝国主義で危険だ」と言っていたが、そんなものは既に70年代末から始まっていて、今更何を言っているのだろうと思った記憶がある。
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