
「世の中どーにかなりはじめたんじゃないかと思うひとびとに・・・・」といった糸井さんのコピーが入っていたのは、吉本隆明の本「相対幻論」であり、80年代の価値観の大転換点であり、革命宣言であった。
しかし、どうも最近、いろんな事件・殺人・自殺をまじかにするに及んで、再び、まったく別の意味で「世の中どーにかなりはじめたんじゃないか」いや、「どーにかすでになってしまった」と思った。
鬱気と殺意が充満した日常空間に、より不安とえたいのしれない窒息感を秘めながら、一方では、ネット社会という解放区が存在する世界。
隣人も身内もなくなった中、ネットという電子上で接続された別の共同体が存在する世界。
過去、宮台真司は、オウム事件を絡めながら、「終わりなき日常を生きろ」と言ったが・・・・隔離された空間で集団であったオウムが、ばらばらになったものの、一方では、その「個」のはらむ内面は、ネットに場所を移しただけの感がある。
***
今夜は、カール・ストーンの「MOM’s」を聞いている。
1. Banteay Srey
2. Moms
3. Gadberry's
4. Shing Kee
5. Chao Nue
1は、14分に及ぶアンビエントであるが、ぐるぐるとゆったりと渦を巻きながら落ちてゆく感覚。
それが、なぜか、今の、この時代の空気に似ている。感触が。
2は、ラテンバンドのような演奏をサンプリング、カットアップした曲。
3は、ランダムなグラスハーブをサンプリングしたかのような短音が、実にいい加減な羅列で、進行する。途中からあたかも、羅列に規則があるかに思える瞬間もあるが、不規則なまま。
4も、うなりのような音が繰り返され、ずれながら進行する。それが、15分に及ぶ。アンビエント的でありながらも、余り心地よさは覚えない。
5は、1と共に、密室に入り込んでいくような18分のアンビエント。
***
1は、まるで胎児に回帰していくかのような音とも言え、出色の出来である。