goo blog サービス終了のお知らせ 

こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年3月23日 土曜日 「春の夢」

2013-03-23 10:03:14 | 想い出かたちんば
昨日、午後は月一回の定期検診。一挙に、そして同時期に、溢れ出るようにあちこちの桜が満開になった。
快晴と桜に誘われて歩いて御茶ノ水まで行った。通過する日本橋、大手町、駿河台・・・そして御茶ノ水へ。どこもかしこもカメラや携帯を持ち、桜に焦点を合わせる人々。
じぶんは、東京アッジェ(By荒木経惟さん)の如く、早足でそれらを通り過ぎながら、シャッターを切り続けた。

検診を終えて外に出ると、陽は長くなったもので、まだ夕暮れ。
空に地震雲的な光景。



そこから、淡路町、神田を通り越し、猥雑な空気をはらんだエリア、湯島~上野にと突入していく。コンビニの横にあるラヴホテルから出てくるカップル、入って消えていくカップルにもシャッターを切りながら。
上野公園にたどり着けば、蛆虫が湧いたような人の渦。

金曜、送別会、桜満開、再開発されゆく上野の4つが相乗効果を生み、ぐじゃぐじゃのカオスの街。
しばし、その外側でシャッターを切り続けたが、人ごみに疲れて、逃げるように帰った。
東向島を降りれば、静かなテリトリー。

幸福は、身近な近所と路地に潜んでいる。花なんか見ていない平成民の花見に、未だ疑問符???しか付かないじぶんは、近所に咲く桜を眺めて帰る。
なぜわざわざ桜を「花見」するのに、上野や浅草などに集合せねばならないのか?じぶんは、きたない人間の醜態を見たくはないので、人の居ない近所の公園の桜で十分ハッピーになれる。幸福は、身近な所に宿る。踊らされるのは、もうゴメンだ。

***

検診では、頚椎ヘルニアに関しても問われたが、時折強く襲って来る痛みは一生背負わないといけないものとは覚悟している。
いくら検査をしたところで、西洋医学では鎮痛剤かブロック注射しか手は無い。ブロック注射は既に試して効果がじぶんには無いと分かったのでやらない。鎮痛剤でごまかしながら、金曜で痛みが強いので、昨夜も今朝も自己流ストレッチを続ける。

***

昨夜は早々に午前0時前に消灯した。睡眠薬を服用し、ホワイトハウスのアルバム「グレイト・ホワイト・デス」を掛けながら。
ホワイトハウスというと、即ノイズミュージックにカテゴライズされるが、このアルバムは音量を最小にして掛けると、じぶんにはアンビエントミュージックになる。
■Whitehouse 「I'm Coming Up Your Ass」1985(From「Great White Death」)■

7:40朝日とすずめさんのちゅんちゅんのお話し声の中、起きて大きな伸びをする。たっぷり寝た感触は珍しい。

夢を見た。
夢に好まない仕事場の者が現れて、じぶんが追い詰められる。そういったことは多いのだが。
そんな場面もありながらも、1994年末・大阪で婚約寸前で破綻した葉子が出てきた。
街で、電車で、やたらとすれ違うのだが、横にいる女性の友人と話す言葉の粗さに、あの頃の牧歌的で愛らしかった葉子はもう居ないのだな、と思いながら。
あれから19年目の春を迎えている。

あの極寒の年末年始を経て起きた阪神淡路大震災。そのときに真っ先に電話をくれたのは葉子ではなくて、その前に別れた女だった。

昨夜携帯が鳴った。知らない番号と知らない声・・・と迷ったが取って話して分かるに時間を要した。10年ぶりくらいに、今は名古屋に居る大学時代の友人からだった。
芦屋の産まれ育ちの彼には、大阪時代には家探しから最後までずいぶんお世話になった。
阪神淡路大震災後、ボロボロの街の中を歩いて、彼の住む所に行ったり、彼をじぶんのマンションに泊めたりした。それからも時間が経過した。
明日、お墓参りがあって東京に来るので、夜に会わないか?という電話だった。今夜会う約束をした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月19日 火曜日 ジェームス・テイラー&J.D.サウザー 「憶い出の町」'81

2013-03-19 23:43:02 | 想い出かたちんば

明日は、とりあえずオヤスミ。
茨城に行った帰り道、長きお付き合いの方からお誘いを受け「まあ、いいか」と珍しく、お外で一杯。

昨夜は、大嵐が吹くという中、緑もネコたちも無事だっただろうか。
墨田区は、さほどのこともなく朝を迎えた。
ミミちゃんとおばさんは、今頃一緒にささやかな幸福の刻を過ごしているだろうか。

***

中学生になってから、FM東京・土曜昼は「ポップス・ベスト10」の洋楽ヒットチャートを、ノートに付けながら聴いていた。
秋から春にかけての移ろいの中で、今でも時々聴きたくなるシングル「憶い出の町」が聴きたくなった。
1981年3月14日のビルボードのチャートで、38位に登場した曲。

■James Taylor & JD Souther 「Her Town Too」1981■
中学生の頃、テクノ・YMOがある中、一方では、遅ればせながらイーグルスやウエストコースト・サウンドに酔っていた。
「ユア・オンリー・ロンリー」で出会ったJ.D.サウザーとジェームス・テーラーの、風を感じさせる優しいデュエット曲。

17日(日曜日)の旅の断片より






























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年3月9日 土曜日 大村憲司 「春がいっぱい」'81

2013-03-09 20:56:26 | 想い出かたちんば

東京は、今日22℃まで上がった。
ひそかに、黙って、日々たくわえてきたものを、植物たちは、大きな笑顔としての花として結ぼうとしている。

いろいろあって、多忙なる一週間だった。

緊急薬であるQPコーワゴールドを一日二錠投入しても、でろでろになった今日。
調子の悪いヒトの代役を買ってもあって、ウィークエンドだった今日も働いたが、午後には昼食を摂った逆効果で、気がつくと寝ている。。。
時計は1時間進んでいる。。。そんな事態に。

コートもスーツも暑くて脱ぐが、中途半端に寝たせいで、汗だくで気持ち悪くなり、吐き気を覚える。
しかし、なんとか、それも終えて、ぶーらぶーらカメラ片手に散歩して帰った。
風に吹かれながら、春がやってきた、そんな想いを皮膚で感じながら。

■大村憲司 「春がいっぱい」1981■





















大好きなもくれんは、パンパンに膨れ上がって、咲く一歩手前。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月29日 火曜日 George Winston 「Stars」

2013-01-29 23:25:11 | 想い出かたちんば
ウィンダム・ヒル・レーベルへの違和感は、こないだ話したが、ジョージ・ウィンストンの「スターズ」なる曲との偶然の出会いは、良いものだった。
1984年、じぶんは文武両道極道的男子高校のバリバリ童貞三年生。打ちのめされる中、心身共にボロボロになった土曜日の夜。
独りだけでの隠れての酒・タバコでのパーティー。
夜23:00から23:30は、東京12チャンネルの「日立サウンドブレイク」と日本テレビの「タモリの今夜は最高」の掛け持ちだったが、次第に「日立サウンドブレイク」の方に惹きつけられていった。

1984年10月27日の放送は、詩人・文筆家・佐々木幹郎さん演出の「Red Magic」なる回だった。
ここで、倉庫街ののっぺりしたコンクリート、10トンコンテナが積まれた空間を、オンナが歩く映像の中で「スターズ」が流れた。
■George Winston 「Stars」■

この頃の「日立サウンドブレイク」は、出色の出来映えが多く、ヴィデオにして売り出したら・・・と思うくらいのクオリティだった。
世間が「環境ヴィデオ」「映像と音楽とのコラボレーション」などとはやし立て始めた頃だが、サウンドブレイクはわたしが知るその前から続いてきた、音と映像を結ぶ番組であった。

「Red Magic」は、どうやら横浜港付近で撮影されたと思えるが、曲はほとんどアート・オブ・ノイズの12インチ「イントゥ・バトル・・・」を中心のテーマに据えていた。
その合間に掛かったジョージ・ウィンストンの「スターズ」は、本来持つ曲の位置から離れ、映像と共に、別のコードとして配置され、じぶんを魅了した。
世紀末的だったり、陰鬱的だったり、すえた匂いを漂わせたものとして響いた。

下は、1月2日にハブ噛み師匠と歩いた隅田川沿いの千住関屋町。
かつて2人で、そこに放置されていた廃墟空間に漂う、昭和40年代の香りに誘われ写真を撮りまくった。そこ生息していたネコたちとも出会った。
しかし、すべては壊され、また何か新しいモノが出来ようとしていた。
消えたものは、二度と復活しない。
ただひたすら、無味乾燥なモノへシャッターを切り続けた。
頭の中で「Red Magic」における「スターズ」の音と映像が流れていた。






















コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年1月28日 月曜日 Steve Hackett 「Kim」'83

2013-01-28 23:05:09 | 想い出かたちんば

朝、ひらひらと小雪が舞い散る中、傘を差して仕事場に向かう。
公園では、ハトさんたちがちょこちょこ。
最近は、ハトにも至近距離で近づける。その動くさまを見るのが、朝は楽しい。

***

過去のノートには記載モレしているのだが、東京12チャンネルの「日立サウンドブレイク」で1985年1月頃だと思うが、上野公園のゆったりした朝から日暮れまでを追った回がヴィデオテープにあった(テープは遭難中)。
とてもゆるやかな時間の流れの中で掛かった曲たちが、記憶に刻まれるような愛おしさを持っていた。
その中の1曲。
上野公園に降り注ぐ冬の陽、エサをついばむハト、陽を受けて輝く樹々の映像が、脳裏に焼き付いている。

今日は、自分がそこで偶然出会った名曲、スティーヴ・ハケットのアルバム「ベイ・オブ・キングス」に入った「キム」という曲を。
そこに、何枚かの冬の写真を並べてみる。
■Steve Hackett 「Kim」1983■



















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月17日 月曜日 「初月忌(しょがっき)」

2012-12-17 23:29:13 | 想い出かたちんば
早いもので、コチャコちゃんが亡くなって1ヶ月が経った。

四十九日は知っていたが、亡くなって一ヶ月目は何と呼ぶのだろうか?
そうして調べると「初月忌(しょがっき)」というらしい。

今夜は、コチャコちゃんの初月忌に、ヴァージニア・アストレイの曲を贈る。

この曲も、1983年晩秋に初めて「クロスオーヴァー・イレブン」でエアチェックして、初めて聴いた曲。

舞い散る紅葉の葉を踏みしめながら、歩く道の両側を樹々が遠くまで続いている。
その道のかなたから、幻覚的な鐘の音・天使のような子供たちのコーラスが聴こえてくる。
コチャコが好きだった鳥たちが鳴きながら、空を舞っている。

■Virginia Astley 「A Summer Long Since Passed(過ぎ去りし夏)」1983■

初めてヘッドフォンで聴いた晩秋のこの夜、驚くような3Dの音像に酔った遠い記憶。


今年、10月23日、夜のコチャコ。

***

じぶんが、まだ大阪に居た頃。
実家に導いて、中に入ったころのコチャコ。


こないだ初めて見たフィルム写真。

まみちゃんは袋が好きだったが、
コチャコが、袋に入って遊ぶシーンを見たことがなかった。

まだ産まれて数ヶ月と思われる表情。
「この頃は、かっわいかったよーっ」と微笑むお袋さん。

かたちんば「いやいや、最後まで、コチャコはかわいかったよ。」
知らないシーンを知るお袋さんに嫉妬をするじぶん。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年11月27日 火曜日・深夜 「止まり木」

2012-11-27 23:47:54 | 想い出かたちんば


この1週間、実家に行く機会が減った。
ボケが始まった・それでも「親は親」の老爺、そして、80を過ぎてもロックを聴いて疾走するお袋さん。
そのアンバランスさを心配して、身を寄せていた実家だった。

つもりだった。

結局、コチャコちゃんは、まみちゃん同様、じぶんの彼女のような存在だった。
行けば、物陰から出て来て鳴き叫ぶから、抱っこをして、相手をして、お話しをして、一緒にテレビを見る。
そんな夜の時間。
それに慣れてしまったじぶん。
そこにいやしを求めていたじぶんが、あらわに・むきだしになる。

もう物陰から彼女は現れない。
一方的な恋が、また終わったのだ。

吹きすさぶ北風。
次第に散っていく紅葉。

季節は次第に冬に移ろっていく。

■Double(ドゥーブル) 「Captain Of Her Heart」'86■






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月8日 月曜日 まみちゃんのお墓参りへ向かう

2012-10-08 11:09:08 | 想い出かたちんば

ふてぶてしい、気持ち良さそうな寝顔。
でも、ネコにしてはスキだらけ。
ほんとうは、彼は自分のことを人間だと思っていたんじゃないか?
人が食べているものは、甘い物だろうが欲しがった彼ゆえに、そうに違いない。
だから、警戒も無くこんな顔で寝ていられる。
もしくは、ポール・ギャリコの「ジェニィ」のように「ある朝起きたら僕はネコになっていた」ではないが、そうして、自分の前に現れたのかもしれない。
彼がコチャコからにゅるにゅる~と産まれるところから見ていながらも、そんな気までしてしまう。

ぽわーんと・ほんわかとした雰囲気をたたえた独特なネコ=まみやん。
こんな不思議な性格のネコには、初めて出会った。
この相棒が亡くなって、この12日で丸3年を向かえる。

これから、まみちゃんの墓前にあいさつに向かいます。
今年も、まみちゃんのために、自分のとっておきの大好きな曲をお蔵出し。
今日の天気や陽気がどうあれども、今年はこんな曲を贈ります。
ドリーム・アカデミーの叙情的な名曲「インディアン・サマー」を。

■Dream Academy 「Indian Summer」'87■


インディアン・サマーとは日本語で小春日和。
小春日和というセリフに思い出すのは、百恵ちゃんの「コスモス」。
U2にも、同タイトルの曲がありました。

ドリーム・アカデミーのこの曲は、2枚目のアルバム「リメンバランス・デイズ」に収録された1987年の作品。
1987年とは、私の人生が一回終わった(はずの)後の年。

日々の音楽シーンとは離れた場所で、狂気を如何に抑えるか?こんがらがってしまった脳の中の紐をどうほどくか?そうしながら、薬漬けに拠って様々な症状を押さえつつ、ドローンとしていた頃。

偶然、クロスオーバーイレブンでこの曲のクレジットがあり、エアチェックして大正解だった日。
音の向こう側に、優しい日差しの陽光と風に揺れる草原、そして海が見える。自由な呼吸感。
私の想い描くドリーム・アカデミーらしいおおらかさ。

翌年1988年には、TVーCM「ハートランドビール」のイメージソングに使われた曲「イン・ザ・ハート」。
ここにも、時代に縛られない永遠があった。





ずーっと想っていたことだったが、本当に英語の概念であるインディアン・サマー=日本語の小春日和なのか?という疑問。
少し調べて見ました。

■お世話になっている「GOO辞書」では・・・
「北アメリカで、晩秋から初冬にかけての穏やかで暖かい日和(ひより)。また、落ち着いた人生の晩年にたとえていう。」

■ロス在住の方のGOOブログでは・・・(アドレス http://blog.goo.ne.jp/laflyfisher)
「言葉の語源ははっきりとは誰も知りませんが、1778年頃よりアメリカンインディアンの間で使い始められ、現在のアメリカの人達には歓迎すべきよい日として、言い伝えられています。
アメリカの作家で詩人のシャルアンダッシーが、彼の詩集の中に「喜びと感謝をこめて」あの暖かいうっすらと薄い煙がたちこめたような夏の戻りを「インディアン・サマー」と呼び、多くのアメリカンポエムの中でとりあげられました。
1855年頃よりアメリカの人達の挨拶の中に流行するようになり、現在に至っています。」【ブログより引用】





ドリーム・アカデミーのこの曲に現れる、天に響くようなコーラスは、タイトルと一体になったイメージを描き出している。

彼らのシングル「イン・ザ・ハート」には、とてもステキな文章が添えられているので、是非、今日という日に紹介したい(文筆家不明)。

『綺麗な服も、アウトバーンのために作られた車も、100年前なら一生の暮らしを保証してくれるジュエリーも、僕たちの周辺にいつの間にか当たり前のようにあふれている。それが当然のふりをされると、どうしても必要な気がしてくる。

不必要なものを追い回していると、僕たちの中から大切な部分が欠落していく。
波が海岸にはじける悲鳴も、季節の変わり目を告げるベル・ボーイたちの鈴の響きも、青と紅の間に存在する虹色も。
いつの間にか、何も感じなくなっていく。君は都市の迷い子になってしまった。

同じ都市として、成長の早かったロンドンは、この落とし穴に気付いていた。
ニック・レアードークルウズ、ケイト・セント・ジョン、ギルバート・ゲイブリエルは、物質欲の方に吸い寄せられていく人々の列に向かって、ジェントルな演奏を奏でた。
クラシックをベースにしたこの三人組=ドリーム・アカデミーの創り出す調べは、都市のプラスティックの鎧(よろい)をすり抜けて、迷い子たちの心に直接届くことだろう。』













自分も、まみちゃんのように、自由に表情を変えながら、だらりんちょんと肩ひじ張らない姿で、世界を謳歌出来れば良いのに。
彼の写真をめくるたびに、同じ言語で話せなくても・'96年4月8日から'09年10月12日まで寄り添いながら、彼から学んだ生きる上でのニュアンスを思い出す。

「そんな顔しなさんな。」(くるり「アマデウス」)
まみちゃんは、そう言うだろう。

彼が亡くなった分、自分がその意を継いで、あんな風に生きられればと想う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年8月31日 金曜日 「メトロ・ポリス」(映画「Diva」サウンドトラックより)

2012-08-31 21:41:50 | 想い出かたちんば
今夜は、カラータイマーが点滅するのを越えて、午後には、そのウルトラマンの電球そのものが切れかけた状態。
何とか家にたどり着くと、即真っ裸に。

クールウォーターで顔・頭・首・手を洗う。
うちわとエアコンをフル活用する。
しかし、ようようとして汗は止まらない。



500ML缶のビールを、あっという間に飲み干す。
しかし、汗は止まらず。

夏に生まれたものの、暑がりの自分は、四季の中で「夏」は好きではない。
というか、かつての夏は、こんな事態では無かった。

2012年の夏は、既に日本の従来の夏とは異なる。
名前を変えたほうが良いのかもしれない。
季節という既成概念までもが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちている2012年。

***



映画「ディーヴァ」を見たのは、1987年以降の大学時代だった。
1981年制作とのことだったが、そんな時代隔世意識を自分はまったく感じなかった。
昭和、そして、80年代がほぼ終焉しつつある・何も無いポカンとした時代。
そのころ、自分はずいぶん映画を見た。

映画「ディーヴァ」はフランス映画。
映像がおしゃれ、サスペンスとしても面白く、そして恋が絡んだロマンティックな名作。
ウラジミール・コスマがサウンドトラックを作っているが、それも素晴らしい出来。

***

背が高くハンサムな郵便配達員のジュール。
彼は、とある女性オペラ歌手の大ファンで、そのコンサートを聴きながら、演奏を盗み撮りする。
その録音テープ。

これが発端。
そのテープが、闇世界から世間にバレてはまずいテープと勘違いされ、追われ、彼を取り巻く世界が動き出す。

***



この映画の中で演奏される曲「メトロ・ポリス」。
これだけは唯一1984年には、出会っていてよく聴いていた。

土曜夜23:00~:30・東京12チャンネルで毎週映像と音楽を結びつけたポエティックで異質な番組「日立サウンドブレイク」。
まだビデオデッキが10万円以上する時代。
その頃、毎週同級生に電話してビデオ録画を頼みながら、
本人はといえば・TVの前に事前準備の上・鎮座ましまして、23:00スタートから。。。

とある回。

「都市・地下鉄のゲーム」というテーマ。
冬の灰色の空・新宿高層ビルを下から見上げたシーン。
そこにデヴィッド・バーン&ブライアン・イーノの「メア・クルパ」が絡むに始まる。

■David Byrne & Brian Eno 「Mea Culpa」■

〔トーキングヘッズ&イーノ「リメイン・イン・ライト」のベーシックトラック〕



この映像音楽世界には、地下鉄・地下世界という、時空が捻じ曲がった東京独特のにおいを示したい指向性が有った。
実際、東京という都市は地図という平面では理解出来ない。
三次元で無いと実像に迫ることは出来ない異界。

曲は前述の「マイライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースツ」、クラフトワーク「放射能」、そして映画「ディーヴァ」などからのチョイスで構成。

最後、地下鉄は銀座線・浅草駅へと到着。
映像は、日本で初めての地下鉄の昭和の始まりへと回帰していく。
ぐるぐると階段を回り・外に出ると、隅田川の水面(みなも)。
バックには、女性ヴォーカリストのカバー。
ビートルズの永遠の名曲「ロング&ワインディング・ロード」。

***

下記は、映画「ディーヴァ」で曲「メトロ・ポリス」が流れる、地下へのシーン。
この曲を初めて聴いた瞬間には、絶対イーノが関わっている、と思い込んでいた。
「第四世界の鼓動」におけるアフリカン・プリミティヴとテクノの絡め方に近い音に聴こえていた。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年8月11日 土曜日 お盆休みの朝

2012-08-11 07:55:54 | 想い出かたちんば


気がついたら、1時頃に「ぐああ~っ」と倒れ寝ていた。
今日よりしばしお盆のお休み。

6時に「はっ」と目覚める。
まだ徒労感が残る。
外の温度を確かめるために、窓を開ける。
空を雲が流れている。
風は吹いているが、微風ナリ。

たばこに火を付け、空を見ながら一服する。



***

最近、室内よりも外の方が涼しい。
家=ハウスは、雨風をしのいで・人を守る宿ではあるが、環境としては季節によっては悪しきときがある。
夏の室内も、良いときもあれば・悪いときもある。
セミナー「エコハウスのウソ」の各種データでも知ったが、室内で熱中症で死ぬ人が居るように、家に居れば安全である訳でもない。
むしろ、危険とも言える。

設計家のエゴで生まれた大きなワイドサッシ窓も吹き抜けも、ECOの面では逆行した存在。
窓面積が大きいほど、温度の上下動が激しく、眺望がいくら良くても・反ECO。
暑い空気は上に行き、床付近に冷たい空気は集まり還流しないから、吹き抜けも反ECO。
より環境温度調整がしづらく・よりムダなエネルギーを使う空間を、設計士やデザイナーというウソツキは、見た目重視=住む人無視「ええかっこしい」で作り続けてきた。
これが、今のありさま。

近時の家は(自分の家も含み)高気密高断熱だから、「家が呼吸」せずに、内と外が完全遮断される。
夏の猛暑日などは、室内に居ることは=昔ながらの日本家屋が呼吸するのとは異なり、サウナに入るのと同様な行為の場合も多い。

まあ、とりあえずは窓を開けて空気を流れる道を作るべし。

***

お盆に思い出すのは、小さい頃の三ノ輪の通り。
自分の育ての親(の一部)だった、近所のおばさんたち。
外に出てイスを置き、うちわをあおぎながら夕涼みをする。

可愛がってもらった通りのおばさんたち。
「な~あに泣いているんだい」
親でも無いのに、笑顔で、気持ちを癒してもらったおばさんたちも既にあの世。


お盆には、となり・向かいのおばさんが、夜になると、ナスやキュウリにおはしを刺した動物さんを器に入れて道端に置く。


〔私の写真ではありません。ネット上からのいただきものです。〕

この横でお線香が炊かれる。
亡くなった方々のおむかえ。
風にゆらゆらとお線香のけむりが上がる様。

火をともすおばさんの横顔。
夜のほのかな明かりの下で陰影に憂いが映るシーン。
静かな夜。


〔ピー助・正ちゃん・まみちゃんが眠るお寺〕

自分の記憶には、原爆投下・終戦の日とこの夜のシーンと道から見えた隅田川の花火の光と音が重なっている。

小学生の頃、海洋少年団に属していた頃では、千鳥ヶ淵の戦没者追悼式に参加し、夜、送り火をするシーン。

遠い過去の人々と繋がった末に、自分が今位置しているのだと確認する時。
遠くから脈々と続く日本の魂。

***

■YMO 「ビハインド・ザ・マスク」'79
     (’11年サンフランシスコ・ライヴより)■

30年以上経っても本国=日本ではアウェイなYMO/海外では音の本質を理解してくれるウェルカムなちぐはぐ感は続く。
自分の魂に響く「きわめてまっとうな」この音を、単なる祭り騒ぎでしか聴けないこの国。
「自分は果たして、21世紀の日本人なのか?
日本に住む・日本人なのか?」
その違和感が去らない。

is it me?
is it you?
who wear another face?

behind the mask,i ask・・・
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする