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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年8月4日 日曜日 坂本龍一 「君とボクと彼女のこと」'94

2013-08-04 14:11:19 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ



■坂本龍一・大貫妙子&高野寛 「君とボクと彼女のこと」1994■
(アルバム「Sweet Revenge」より)

彼女は約束をした 夏が来たら暮らすことを
ボクは仕事を変えた かせぐために
昼も夜も働き
君には打ち明けたはずだと 信じ続けていた

寒い朝
突然に 彼女は消えた
ボクたちは もう何もさがさないだろう
それぞれに街を去り 会うのをやめた
三人の週末は、色を無くす

彼女はいつもの通り その日のすべてを話した
君に会っていたことも 知っていた
ボクはデキた奴じゃない
君を殴り飛ばし 友情を笑えば良かったのか?

ボクたちは10年後 「あの頃」のように
波を受け 風を切り 海原を行く
それぞれの家族をむかえ
輝いた航跡を・・・振り返らない


作詞 : 大貫妙子
ヴォーカル&ギター : 高野寛
ヴォーカル・キーボード・コンピュータープログラミング : 坂本龍一


午後の暗い室内。
意味の無いスクラップブックを貼り込みながら、繰り返し今日も聴く「スゥイート・リヴェンジ」。
その中で、耳では無く・脳に聴こえ・響いてくる優しい曲。
「君とボクと彼女のこと」の曲の美しさに、うかつにも涙がこぼれ落ちて止められなくなった。
当時の若きボクと彼女を想起しながら。
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2013年4月12日 金曜日 「なぜ、本を『買う』のか?」

2013-04-13 00:41:41 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

「人生いろいろ」と言い切った小泉純一郎みたいな役者にコトバを言わせてしまうと、その「営業力」に押されて終わってしまうし、「他人に干渉するな」「なにをしたって、いいじゃ~ん」となる。

【八重桜】
よく電車の中で本を読む人に、図書館で借りたシールが貼られていて、その本の内容とその人の様を見比べてしまうことが多い。
図書館を活用する理由には、経済的な面(お金がない)・買ってまで読むに足りない・モノを所有することから放たれたい・・・など「人生いろいろ」だろう。

他人に強要するつもりは無いが、じぶんは本を『買う』。
なぜだろうか?と辿ると、コドモ時代は「所有欲」やマニア的要素があったが、中学時代以降は異なる意味合いを持っている。

さくりんさんへも語ったが、じぶんの根っこに言語・理論的要素は無く、幼少の頃は、色と絵の鮮やかさにしか本への興味が無かった。文字にはいっさい興味がなく、差し込まれた写真やイラストだけに惹きつけられていた。
兄が文学少年だったのと真逆な者だったので、親父からはバカ扱いで「本を読まない・文章が書けないヤツ=バカ」という扱いだった。

そこから遠ざかった地点で、初めてみずからの意志で本を読み出した。

中学時代にYMOの写真集「OMIYAGE(おみやげ)」で、教授が本棚に・ピンと反応した本をざあっと買い揃え、それを辞書的に読みながら、ひっかかった箇所をノートに記している、というのにも影響を受けたのもある。

本を買う、という行為は「一回読んで、ハイ終わり」でブックオフ行きだったら、買う意味は確かにない。
誰か・宗教に暗示を掛けられたカルトのように、新刊が大騒ぎになっている(かのように)洗脳されて本を買うに至る、経済活動の片棒を担ぎたくもない。
ふらふらと写真を撮り、街歩きする中で、本屋・古本屋に吸い寄せられて、テキトーに回っているうち、ピピっと反応をした本を開いて見て、そのときの時点じぶんに「何か」があれば買うという感覚のみ。
じぶんが、本を『買う』理由は、社会人になって以降、より意味合いが異なってきている。
読みながら、じぶんがピンと来た箇所にえんぴつで線を引く。

その後、読み終えた本は積み上げられていくが、生きていく中で、紆余曲折悩みながら歩く旅のさなかで「ああ、あの本にこんな箇所・ヒントがあったな」と思い、その積み上げた中から引っ張りだして、再度その箇所を読む。
読みながら、改めて気付いたことを書き込んだり・新しい箇所に線を引いたり。。。
それは、じぶんには電子媒体ではダメで、パピルスとしての本でないとならない。

三島由紀夫がどこかで書いていたが、古本屋で本を買うと、読んでいるうちに、前の買い手がアンダーラインを引いた箇所があって「このヒトは、ここに何かを発見したのだな」と想像して面白い、と言っていたが、そう言った要素もある。

そんなことをしているうちに、本は色あせていくし(古代の人は、摩滅しにくい石に文字を刻んだが)、ぼろぼろに傷んでいくが、じぶんは本のコレクターではないので、こういったスタイルが今のじぶんと本との関係・在り方になっている。

じぶんが死んで、遺品整理で本を例えばブックオフに持ち込んだら言われるだろう。
「お客様、値段(カネ)が付かないので、お持ち帰りになりますか?それとも、こちらで『処分』いたしましょうか?」

兄だったら判断して、次世代に繋がる本は、神保町という文化の共有財産場所に納骨してくれるだろう。

■YMO 「CUE」 1982 on TV Live■


手がかりを下さい
もうすぐ近づけそうだ

手がかりを下さい
手掛かりは到る所にある

音楽のしらべ 空気のざわめき
音楽のしらべ 地球の回転する音

変わり様の無い混沌はもうウンザリだ!
この袋小路から抜け出す方法はある!

音楽のしらべ ボク自身の声
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2013年3月1日 金曜日 Ambitious Lovers 「It's Gonna Rain」'91

2013-03-01 22:41:27 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

帰路を辿ると、ざーざー降りの春雨。
明日もつくばで早朝から仕事ナリ。
作りかけの資料に煮詰まり、パソコンを閉じて帰った。

昨日、仕事場の内示があった。山椒魚たる「私」は、山椒魚のまま。
しかし、社会に引き裂かれながら、配慮無き者たちに生活・環境が一変させられる、奴隷的コマとしていじられる仲間に痛みを禁じえない。

***

雨が降ってきたから、あそこに行こうよ。
鳥やネコたちは、自然から教わった「感覚」というアンテナで、「森」に向かう。
植物と動物の融合。自然体。

夢の「森」で、良い夢や楽しい春待つ語らいが、聴こえることを祈っている。

***


大好きだった河合隼雄さんの笑顔。

トンボ帰りだったが、尼崎まで。









かつて一緒に仕事をしていた、生まれも育ちも岸和田の、巨体で明るいS先輩との同行には、ひさびさに我に帰った。
一緒に朝のコーヒーを飲んで語らった時間は、実に短いものだったが、大好きな関西のヒトの柔軟性に富み・「要はこうやろ?」と表層では無い核心をズバッと見抜く感性豊かな語らいに安堵した。
呼吸する場所を得た、とでもいうのか。。。

形式だらけで、中身のない都市東京の暗黒面。
広告代理店が意図的に創った表層フレームの中で、だまされる人々。
雑誌を頼りに、らーめん屋に行列をする人々。そんな姿。
「バレエ・メカニック(坂本龍一)」として、翻弄され・舞踏病者として踊り続ける宿命。

河合隼雄さんの語り口や文章や対談には、未だに宝がたんまり埋まっている。
かつて、精神分裂や絡まってしまった自我についても、硬直化しがちなじぶんの心に響くものが多々あった。

「・・・多様な中の統一というか、そういうことは誰でも言うんです。
でもいくら早いこと統一しようと思っても、多様はなくならんですよ。
そこのところで、西洋人は多様をインテグレート(注釈:統一・統合)することを考える。
われわれ日本人はハーモニーだと思うてる。
インテグレートはされなくても、ハーモニーがある。
違うんちゃうかと。・・・」
■Ambitious Lovers 「It's Gonna Rain」1991.1■








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2012年12月24日 月曜日・休日 「叫び」

2012-12-24 13:00:35 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

【1988-89あたりのエスキース】

12月24日とか25日に、あまり良い想い出は無い。
コドモの頃は、冬に向かおうとする季節の中で、空を見上げてはクリスマスがやってくる気配に夢を持っていた。

しかし、毎日、下町の家で繰り広げられるのは、夫婦げんか。
北野武さんの「たけしくん、ハイ」のように。

そんな中、12月24日とか25日は、学校の二学期が終わる日。
兄に比べれば、駄目な通信簿を仕方なく受け取り、暗い気持ちで持ちかえり、親父が帰る時間をひやひやしながら待ち、そして、カミナリが落ちる。。。

泣きながら、鳥さんの丸焼きを食べ、灯る小さいクリスマスツリーが見えた記憶。
夢見がちな、コドモにとってはつらい時間でもあった。

***

精神的に密なる中高生時代を過ごした80年代の前半。
その時代のうねりが産み出した稀有な音楽等々の文化が終焉を向かえた頃、その代わりに現れたバブルとその崩壊。
そんな自分とは無縁な時代に、大手広告代理店が絡んだJRのCMをきっかけにして、「家族が集まり・この日だけはいさかいを収めて・ささやかに家で過ごすクリスマス」から、「恋人(以外も『可』)同志がSEXをする日」に挿げ替えられてしまった。

<まあ、自分の家の場合は「いさかいを収めて」が違ったが。>

その後は、時代の変遷を経て、さまざまな過ごし方にバラバラになっていったが。。。

***

今年の今日12月24日。
アマゾンで買ったパソコン関連の周辺機器が届く「ピンポン」に起こされる。
サインをして配達の方にお礼を言って、部屋に戻る。

出し殻になったお茶っ葉から、新しい葉っぱに替えて、深い緑茶を入れて飲む。カラダがあったまる。
溜まった洗たくをして、干す。

老親は、今日はわたしに家に寄って欲しいだろう。
しかし、悪いのだが、今のじぶんは、ヒトが集まるところを通過もしたくない。
また、疲れていて、そんな状態でもない。
部屋で音楽や撮り溜めたラジオのmp3を聴いて、明日からの仕事にそなえて過ごす。

***


「わたしは二人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。
突然、空が血の赤色に変わった。

わたしは立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。
それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。

友人は歩き続けたが、わたしはそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。
そしてわたしは、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」(ムンク)

【ムンクの「叫び」には、『キチガイにしか描けない』という文字が書かれている】

大昔の写真を整理していたら、幼稚園の遠足のときの1枚を発見する。
「叫ぶ」じぶんは、ふざけているのだろうが。
ふざけているのか?どうかは、今はもう分からない。

ただ、3歳の頃には、じぶんはすでに、放り出された、寄る辺無き混沌世界が把握できない不安定感にさいなまされていたのは事実である。
この意識だけは、じぶんの中でははっきりしている。

3歳の頃に、慶応病院の幼児精神科みたいなところに、お袋が連れて行ったのを、よく親族が集まる場面で笑い話しにされるのだが。
そのきっかけは「兄のケツを噛んだ」とやららしい。

兄のケツを噛んだ記憶は無いが、そうやって兄に絡むじぶんが突き飛ばされて、家具のカドにアタマをぶつけて、後頭部を切り血まみれになって、病院で縫われたのは覚えている。

***

幼稚園の頃、担任だった先生が大好きだった。当時20代だった先生。
優しかった先生をじぶんが大好きなのは、周囲とその親にもバレバレだった。

これまた、幼稚園のブランコのウラをすり抜けるときに、ブランコにゴツンをアタマをやられて倒れる馬鹿なじぶんの起こした事件。
そのときに介抱してくれた上で、家に連れて行ってくれた先生。
このとき、アタマの痛さよりも、先生と手をつないで歩けるうれしさと恥ずかしさの方が、脳の中を支配していた。


キレイな直筆の字。

「先生、すみません。
じぶんは、『げんきでつよいおとこのこ』にはなれませんでした。
でも、生きていますよ。なんとか。」

■Bing Crosby & David Bowie 「Peace on Earth/Little Drummer Boy」 1977■

このボウイとビング・クロスビーの映像は、じぶんのクリスマスの定番。よくこの頃、テレビで流れていた。
この日本で流れる日本みゅーじしゃんの下劣なクリスマス音楽とは程遠い。永遠に。
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2012年5月26日 土曜日 「1988年5月のメモ帳より」~Adam F 「The tree knows everything」'97

2012-05-26 08:50:23 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


6時半起床。
朝日がまぶしい。

深い緑茶を入れる。

過去のメモ帳を入れた重いダンボールを発見。
1冊を取り上げ、しげしげとめくっていた。


手近に近いところにあるCDをまさぐる。
昨年JANISの野外の風にさらされた200円・300円の山から、数枚視聴の上買ったCDから、
アダムFの「カラーズ」というのを聴く。


ところどころに出てくるアンビエントな部分が好きなのだが、ほとんどは定型パターンの「ドラムンベース」。
この中に、トレイシー・ソーンがヴォーカルを取っている曲があったので掲載する。

■Adam F 「The tree knows everything」 (with tracy thorn) '97■


***



<1988年5月11日の日記よりのメモ>

今の自分は、つくえに向かえば、怖くなり・顔がバリバリいうものの、
少しは、学問とやらをやるが、飲み込まれそうだ。(飲み込まれていたのだ・今までが)

その分を補うのが、人とのコミュニケーションであり、
それによって、たんなる文字(もじ)は客観性を帯び、ただ文字(もじ)にひたることを防ぐ。
現実を認識できる。

だが、この数年おろそかにしていたせいで、文字(もじ)そのものに、自分を見い出し、
話す方の自分を軽視していた。
GAPが産まれる。

外国語は、両方をつなぐには、良い材料。
だが、それとて、双方が足並みをそろえるのは、ある程度までで、
そこから先は、別で考えねばならない。

しゃべりコトバやコミュニケーションが、文字(もじ)に打ち勝てず、
文字(もじ)の方が、上に立って難解に事をしてしまう。

文字(もじ)を扱う人があらわれ、しゃべりを職とする人が出てくる。
両方をうまく、とは、実に難解である。


帰り道に、ビンゴやマージャンで数千円「スル」。
一度、一発デカいのを、当てたいものだ。

武蔵野線に乗ると、好いねえちゃんが居た。
バクチを打った後の肩切るヤクザのように、つい、じーっと舐めるように見ていた。

私は、自分が男として、不能などでは無いと分かった。

「性欲はチカラなり。
誰一人として、持たぬ者なし。
しかし、扱い方によっては、危険にも幸福にもなる。」

ヤクザな気分は、持続しない。
立ったペニスも、そのうちしなった。





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2012年1月31日 火曜日 20120131 - 田村隆一「道」'96 -

2012-01-31 07:53:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
昨日に続いて「花の町」から紹介。


今日は「道」という見開き。



この都市では
人間の道をブリキの玩具が走っていて

人は道を歩けない
ブリキの玩具をつくりすぎて

アメリカにはしかられぱなし
ECだって不機嫌だ

ぼくたち
どこで道を失ったのか 露地まで

玩具だらけで燃えないゴミ
人間は灰になるから始末がいい

道のことだったら

猫か
花にたずねるといい

***

■椎名林檎 「カーネーション」(フル・ヴァージョン)■
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2012年1月30日 月曜日 20120130 - 田村隆一「猫の恋」'96 -

2012-01-30 07:46:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
詩人の田村隆一さんの詩と、写真家・荒木経惟の写真をコラボレートして産まれた「花の町」。
小さくて、横長見開きの可愛い本。


ここでアラーキーの撮る東京の写真には、かならずどこかに花がある。
それを見た田村さんが詩を添えている。

東京大空襲でB29が焦土とさせた東京の生き残った街も、マネーという別の見えない爆弾に依って壊され続けている。
その隙間にアラーキーはやさしさや希望や過去を投影させようとしつつ、そこに花をささげる。

「花の町」のある1ページ「猫の恋」。
田村さんの詩とともに紹介する。





人に化けたメス猫やオス猫は
都会の深夜の盛り場にむらがっているが

猫に化けた猫の恋がはじまるのは
三ノ輪初早稲田行の路地裏

恋がみのったり 失恋したりするのには
アオイの花が咲かねばならない

荒川沿いを電車がゆっくりと走れば
タチアオイの背も高くなり

お客さんはビニール袋をさげた
王子のお狐さんばかり

ほんものの恋が生まれる路地は
猫の行方のように消えて行く

**************

machiko ono snap 「fly me to the moon・・・」
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2012年1月18日 水曜日 20120118 - 不安と戦わないこと -

2012-01-18 22:08:45 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


昨夜、夜中に帰って、珍しく地上波テレビを回してみた。
地上波テレビを否定しつつも、大好きな山瀬まみちゃんが出ているNHKの「ためしてガッテン」をやっていて、深夜の夕食を摂りつつ見る。

不思議なめぐり合わせ、というものはあるもの。

悩ましい会議前の日に電車で「気がラクになる・・」本などという「ありがちな」「処世術」を引っ張りださねばならぬほど、精神がダウンしているときに、こんな番組にめぐり合う。
夜中やっているというのは再放送なのだろう。

中島らもさんが、かつて「その日の天使」というエッセイ(「恋は底ぢから」収録)で書いていたことを思い出した。
ジム・モリソンの詩で好きなセリフを引用して、その日その日には、かならず天使や神という者が居る・・・というエッセイだった。
仕事でぎゅうぎゅうずめ。
絶望感に打ちひしがれた冬の深夜の帰り道。
みけんにシワを寄せて悩む中、焼き芋屋さんが「お~いも~」と屋台を引きながら語る口調に思わず、ほっこりしてしまった。

これが、この日のボクの天使だった、というお話し。

めぐり合わせ、というのは不思議なものである。

***

昨夜の「ためしてガッテン」のテーマは「不眠ストレス緊張撃退 簡単トレーニング」なるもの。
昨夜の自分は、むしろ眠いし、早く眠らねばならない会議前夜。
自分の気持ちは「睡眠薬を飲めばじゅうぶんに眠れる」。

そんないつもの感じではあったが、明日をどう対処すべきか?には悩んでいた。いつも悩んでばかりいるが。
テーマとは若干ズレるが、参考になった。

というか、この番組自体よりも、その後検索して見つけた「健康増進法ブログ」というブログの記載内容に救われた感じ。
「ほっこり」などする余裕は無かったが、らもさん流に言えば、昨夜の「天使」だった。

下記は、そこからの引用であるが、悩める方々への「今日の天使」なり「救い」になれば・・・と思う。

ブログ・アドレス http://blog.livedoor.jp/webrich2-health/archives/2049697.html

以下要約引用する。

・・・「不安」は、無理に押さえ込もうとしたり、不安から目をそむける(酒の力を借りて逃れようとしたりする)と、巨大化する性質があります。
不安が強いのは性格のためではなく、脳のメカニズムのせいです。

例えば、大震災をキッカケに、地震が起きたらどうしよう、食料品が買占められたら、主人が大怪我をしたら、と不安感がだんだん募っていき、不眠になる人もいます。
・・・・・・普段、頭の中を客観的に見ているのですが、何か不安の種を見つけると警戒態勢に入り、不安感を生じさせます。
でも通常は20~30分でそれは消失します。

しかし、不安感を無理に押さえ込んだり、酒に逃げたりしていると・・・・・・より不安の種にフォーカスしようとします。
その結果、再度不安を感じる現実に直面したり、酒が切れると、脳の中で不安の種が以前に増して強調されてしまいます。

これがひどくなった場合に、元の冷静なモノの見方ができなくなり(不安を客観的に認識していた頃に戻れない)・・・・・・。
・・・・・・これが不安巨大化のメカニズムです。

・・・・・・仏教の修行の一つ、『座禅』が効果があります。
アメリカの研究論文では、座禅を続けていると、「内背側前頭前野」が分厚くなり、不安に強く対応できるようになるという結果が出ています。
座禅とは、カレーライスを見たら、”美味しそう”とか”腹が減った、食べたいなぁ”とか思わず、連想するのを止め、ただ”ああ、カレーなんだな”と素のままで受け止め、思考の連鎖を止めることなんだそうです。

しかし、座禅を勧めるのでは、「簡単脳トレ」ではありませんので、番組では、座禅の効果があっという間に身につく方法を伝授しました。
それは、早稲田大学・人間科学学術院の熊野宏昭教授が教える不安を流す方法です。

・軽く目を閉じ、小川と落ち葉を思い浮かべる。
・次に心の中に浮かび上がる思考(不安な事など)を落ち葉に乗せて川に流す。
・これを繰り返す。

ただこれだけです。
これを1日に10~15分、毎日続けます。
そうすると、1週間ほどで、不安が巨大化する不安症が消えていき、「何とかなるさ」という落ち着いた気持ちになれ、不眠の人も眠れるようになっていきます。

もう一つ、不安から抜け出すおまじないとして、「~と思った」というフレーズを不安な気持ちになった時につかうとよいそうです。
「また仕事で失敗して、俺ってダメだなぁ・・・」と落ち込んだ気持ちになったら、最後に「と思った」と付け加えます。
そうすると、心を客観視する力を鍛えることができ、不安にとらわれない性格になっていけるということです。
この「~と思った」は、熊野教授が実際の治療でも使っているメソッドだそうです。

以上が、今回の「ためしてガッテン」でしたが、不安や緊張におびえる時でも、それは手に負えない性格のせいではなく、脳の一定部位のメカニズムの機能低下のせいなんだと分かっているだけでも、安心できるのではないかと思います。

また、『困ったことは起こらない』というこの世のルールがあることも、知っておいてよいのではないでしょうか。
”心配なことは実際には9割以上の確率で起こらない”という法則です。
残り1割も現実には心配するより大事に至ることなく済んでしまうものです。

何故なら、自分の手に負えない事は自分の身には起こらないのが、この宇宙の法則だからです。  <引用終わり。

***

・・・・・・ということで、結果、なんとか「殺されずに」今日を越えることが出来た。

昨夜の「天使」に感謝。
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2011年10月27日 木曜日 リハビリ・むかしばなし

2011-10-27 21:47:28 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
眼痛は血が出る
んじゃないかのよう
ヘルニア痛も絡み

耐えがたきを耐え
忍びがたきを忍び
したものの
痛みが限界値を超え
帰路

ネットからのありがたい頂き物
リハビリの一環として
気に入った
むかしばなしを一節

***

むかしむかし、ある小さな山の茶店に、一人のさむらいが入ってきました…

「ごめん」
「はい、いらっしゃいませ」

「じいさん、ここのダンゴは、うまいと評判だ
わしにも一皿、もってまいれ」
「はいはい
どうぞ、めしあがってくださいませ」

茶店のおじいさんは、お茶とダンゴをはこんできました
その時、おじいさんはさむらいの顔を見て、びっくりしました

「あれ、まあ!」

何と、おさむらいの耳はピーンと、三角にとがっていて、顔のあちこちに茶色の毛が生えています
『ははーん、このおさむらいはキツネだな…』

おじいさんは正体を見抜きましたが、キツネはうまく化けたつもりで、むねをはっていばったかっこうをしています
おかしくなったおじいさんは小さなおけに水を入れて、さむらいの前へ持って行きました

「おさむらいさま、お顔と耳が少し汚れておいでのようです
どうぞ、この水をお使いください」
「ふむ、これはどうも」

うなずいたさむらいは、おけの中をのぞいてびっくり

『コンコン
これは化けそこなった!』
キツネは、大あわてです

「さあ、おさむらいさま
ごゆっくり、召し上がってくださいませ」

おじいさんがそう言っても、キツネには聞こえません
キツネはダンゴも食べずに、そのまま山の方へ逃げていってしまいました

…次の日
おじいさんはたきぎをひろいに、山の中へ入っていきました
すると
どこからか「おじいさん、おじいさん」とよぶ声がします
おじいさんは見回しましたが、誰もいません

「はて? 何のご用ですか?」

おじいさんが言うと
「おじいさん、昨日はおかしかっただろう
大失敗だったよ
ウフフフ、アハハハ」
と、笑い声が聞こえてきました

「ああ、昨日のキツネさんか
そう言えば、あの時はおかしかったな
アハハハ」

おじいさんも、大笑いしました

<おしまい>
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2011年10月17日 月曜日 YMO 「希望の路」'83.5

2011-10-17 22:02:27 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ




はるかな道を越えて ボクはここへやってきた
重いカバンを捨てて 残したものは何も無いはず

窓のあかり いつもの通り
愛していた 部屋の空気

開けたままの 本のペイジ
灰皿には タバコの吸殻

僕は振り返れずに 誰かの呼び止める声にも
この手でドアを開けて 新しい道を見ている

きっと君は いつもの通り
テレビを見て 一人笑い

飲みかけの お茶を置いて
ベルの音に また立ち上がる


きっと君は いつもの通り
テレビを見て 一人笑い

飲みかけの お茶を置いて
ベルの音に また立ち上がる

はやる心を 澄ませば
何かの前兆(まえぶれ) 感じている

この不思議な気持ちを
今 君に伝えよう

この不思議な気持ちを
今 君に伝えよう・・・・・


(作詞・作曲:高橋幸宏 編曲:YMO アルバム『浮気なぼくら』より)

***

過去話したが、1981年「BGM」「テクノデリック」とウィンターライヴという怒涛のようなエネルギーを爆発させたYMOは、1981年末でやりたいことはやり尽くしてしまう。
1982年になって、3人3様やりたい方向に動く中、それぞれの確執が表面化しどうにも収拾が付かなくなり、アルファレコードの村井社長が「もう解散しろ」と言い、やっとコトが終結することになる。

この後、YMOというモンスターをどう終結させるかに向けて動き出す。
解散が決まった後、1982年10月17日に「浮気なぼくら」の打ち合わせがスタジオAにて行われる。

シングル「君に胸キュン」はカネボウのCM用として1983年3月25日に発売・アルバム「浮気なぼくら」はその2箇月後の5月24日に発売されたが、その録音には、かなり前から制作が開始されている。

アルバムは実は1982年12月29日に完成。
そこから年末年始を経て、1月になってシングル「君に胸キュン」の制作を開始し1月20日に完成。
全体のトラックダウンを再度行い3月中旬にアルバムが完成、という流れ。



***

アルバム「浮気なぼくら」は、つい「君に胸キュン」のイメージが強いため「YMOが歌謡曲をやる」と世間では思われていたが、自分にはそうは思えなかった。

初めてこのアルバム全曲を聴いたのは、夜中3時のFM東京「マイ・サウンド・グラフィティ」だった。
3人がゲスト出演し、1週間通してのYMO特集が流れた。

細野さんが「浮気なぼくら」を「裏テクノデリック」と言ったように、中身の濃いアルバムで、歌謡曲とは呼べず、やはりYMOという避けようの無い刻印がうっすらと曲の背後にあった。YMOならではの名曲がたくさん内包されていた。

「YMO」という十字架・タガが外れることからの開放への喜び、それとは一方にそれらが無くなっていくことへの郷愁がこのアルバムには漂っていた。
このアルバムは全曲、相変わらずのYMOらしい完璧さを持っていた。

見る側・聴く側には、この時点では解散など寝耳に水だった中、「希望の路」という名曲の歌詞には、その解散が隠喩としてちらついている。

28年経っても、自分はこの曲のナーヴァスさが好きで、今でもよく聴く・愛してやまない1曲である。

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