goo blog サービス終了のお知らせ 

こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年7月22日 水曜日 「夏の音色 夏期講習~先生たちと過ごす夏~」

2015-07-22 23:26:41 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

早いもので7月も20日を過ぎた。
連休を境に子供は夏休みに入り、朝の集団登校族も見なくなった。電車は少し空いてきたように思うが、暑さは容赦無い。気象庁は連休のスキマにぽろっと「今出しておかないと、あの年みたいになっちゃうよ」と梅雨明けを宣言。相変わらず湿気強い猛暑の中、汗だくになって歩くのは続けているが、日差しは強くとも風ある野外のほうがマシかもしれない。むしろ室内の密閉空間の方が苦しく危ない。すでに二度ほど室内熱中症的な感じになったので、暮らし方に注意を払わねば、と思う。

冷たいものや過剰な飲食はしていないが、日曜から腹を下し続けた。
月曜からのだるさは、歩き過ぎやこの腹痛のせいでもない。それまでの感じとは明らかに違う。月曜は室内で「ああ、だるいな」と横になって起き上がれない。トイレに行くのと水をコップに入れたいのとで、頑張って立ち上がり数分うろうろしたが、平衡感覚がおかしい。ちゃんと歩こうとしても歩行が斜めになってしまう。おかげで持ったコップの水をひっくり返した。

これはいわゆる夏バテというヤツかもしれない。マズイと思い、カラダからの欲求も伴い、くだものや野菜をせっせと食べた。昨夜はそこに景気付けを、と実家でもらったウナギをおいしく頂いた。土用の丑を待たず。

昨年の今ごろ本屋さんで出会ったみうらじゅん先生の「さよなら私」を昨日今日読んでいる。
厚さ1センチにも満たないその文庫本は、見開き2ページで完結するような短文で完結したエッセイを集めたもの。読みやすく分かりやすいが、だからと言ってすーっと通り過ぎる軽さはない。一見やさしそうな文章だけど、かなり深い内容となっており、何度も推敲されたものと思える。

 「思い返せば不安でなかった日など一日たりともありませんでした。
 なにかしら不安のたねはころがっているものであり、どこかしら不安の風は吹いてくるものです。
 もし、不安じゃなかったときがあったりしても、それは単に不安を忘れているだけのことで、また気がつけば新しい不安はすぐそこに待ち構えているのです。
 不安の反意語が「安定」なんて嘘。安定なんてそもそもこの世にはなく、油断している期間をそう呼んでいるにすぎないのです。
 そんな言葉にだまされて、さらにそれをキープしようと願う人がいます。いつか痛い目に遭うことは確実です。
 生き物の宿命は別離であり、死別であること。この最大の不安から逃れることがない限り、安定などあるはずがありません。すなわち、不安をなくすということは生きることを否定すると同じ意味なのです。
 もうあきらめるしかないが正しい。
 しかし、人は不安と真っ向に対峙したとき、必ず成長するものです。
 ただ単に年をとれば大人になれるわけではありません。目の前の不安から逃げないで、どうにかうまくつきあっていこうとする気持ちが大人にするのです。
 それにはできる限り他人にやさしくするのがいいでしょう。他人が喜ぶことだけを考えて、それを趣味に生きていけばいいのです。
 偽善だって言われてもかまいません。
 とにかく少しでも自分に興味をなくし、自分以外のものに興味を向けるべきなのです。」
(みうらじゅん作「さよなら私」より 『不安こそ生きてるあかし』)


VOW(バウ)や雑誌類など、みうらさんの笑える本はある程度持っているけれど、こんなにも真面目なみうらさんの文章を固めて読んだのは初めてだった。(「アイデン&ティティ」は映画は好きだが、本は持っていない。)

昨年夏、じりじりと暑い休みの日、空は真っ青だった。
セミの鳴き声がひたすら聞こえるなか、育ちの良い元気なきゅうりに水やりをしながら、何かとてつもなく孤独感を覚えた島の昼。
室内でめくる「さよなら私」にはしゃれにならない重さがあった。人が持つ心の核を突いていて、ヒリヒリした。

「シリアスになろうとするけど、シリアスが続かないんですよね」とついサービス精神から黙っておけなくて、人を笑わせてしまうみうらさん。そんなみうらさんの長きに渡る好きなことへの追及。その間に自ら悟ったことたちは、坊主や宗教家の現実味ない説教よりリアリティと説得力がある。

一年ぶりに読み返す「さよなら私」。めくって読んでは唸る。
その一方で、ネットでみうらさんの動画を見て楽しむ。昨夜は「ゴロウデラックス」という稲垣吾郎さんの番組ゲスト回を見て笑っていた。

■細野晴臣&横尾忠則 「肝炎」1978 (By「コチンムーン」)■

みうら先生の絵。松本清張先生、海女さん。



みうら先生の師である横尾先生の油絵
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年5月8日 金曜日・25時 「此岸で生きていくには、音楽的状態が欠かせない・1」

2015-05-09 01:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

今日は、公的にはしょうもないこと。だが、私的にはカギとなるとりとめもないお話し。

***

例えば、野外の「あっちゃこっちゃ」で携帯電話のメールに思いつくことをメモしたり、あるいは、仕事場でお昼の合間や作業の合間にメモしたり、そのときに記したことはとても整理されていて・正直で整った文章だったり(私の中で)核心を突いていたりする。
一方で、ホームグラウンドであるはずの自室で、こうして何かを書いていたりする方が、からまって行き詰まることが多い。いろんな雑念が雲のように湧いて湧いて止まらず収拾することが出来なくなり、結果没原稿になっていく。

これは何もブログに限らず、絵を描いたり・音楽を聴いたり・映像を観たり、といった類にも同じようなことが起きる。じっとそこに留まっていられないのである。この両者のズレの感覚と橋渡しを、数十年にわたって自分なりにコントロールしてきたが、未だ現存する事実である。
1986年頃・ノイローゼのどん詰まりの中、読んだ本から想い出すと「Free Floating Attention」=平等に漂える注意力、という概念が浮かぶ。

***

こんなことが起きるのは今に始まったことなのか?というと、幼少の頃から有る。上に書いたことが一概に全ての時間に言えることじゃないのだが、どちらかと言えばそうなることが多い。
(回していた洗濯機くんが「終わったよー」と呼ぶので、いったん中座。
今日は2日分だから干すのも楽。干して戻る。)

40年以上も経ったところで「なんでなのだろう?」とは馬鹿のようだが、それでも思ってみると、周囲が「ある程度・許容量の範囲で」雑然としている場所と・気配のしない隔絶された一人の場所の違いと捉えてみる。確かにそういうケースも多く、特にここ2・3年はそう言える。

一番古くて想い出せる記憶にフォーカスしていくと、母親がボタン屋・生地屋・百貨店にと留守にしている最中、暗がりの部屋で、微妙に差し込む外からの日光だけを頼りに暗がりの下、キャンディと本類がおさまった棚のモノとたわむれたり、お絵かき道具で紙に絵を描いていたりした。
外に行けば斜め向かいにおばあちゃんが居て、向こう三軒両隣には可愛がってくれるおばちゃん・おいちゃんも居た。
それでもそういった行動に固執し続けていると、自分地獄の渦に入り込んで窒息していく。それでも、誰かに救いを求めない。

どちらかというと、この感覚のほうが、40数年を貫く「私」(一応そう仮定して)に一番多くあった経験値かもしれない。一人で産まれてきた人間は、どうあがいても一人で死んでいく、そのことを当時から悟っていたのように思う。
(ちなみに同じ言葉を今まで、クマさん(篠原勝之さん)や、法律の下で死を執行された永山則夫さんなどの文筆に見い出し、真実を突かれた思いがした。)

***

(音が無いと不安になり、モーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲」を掛ける)
私が幼少から放浪癖(ときに家出だったり)や”やたらと”野外をふらつくのは、上述の窒息をまのがれようとする無意識が作用している。(今では別に幻覚も見ないし・閉所恐怖症なども克服したが、現代もそんな障害を持つ方は一つのヒントになるかもしれない)
また、今の家をよく「ゴミ屋敷」と言っているのも、このポイントと重なる。
よく外を旅しては、戦利品として本・CD等々「お買い物」をして帰宅するのだが、それ以降それをなかなか味わわない。それはお酒のような「しばらく寝かせておいてから味わう」といったものではなく、ひたすら置き去りにしていくのである。

だから聴けていない・見て味わえていないモノの巣窟になってゆくのだ。
実は、写真も同じであって、フィルム時代からすれば数十万枚の写真があるのに、旅を振り返ることは極めて少ない。むしろ旅のさなかでシャッターを切った記憶のほうが残っている。

***

昔、文学青年・友人MZ師から聞いた話だが、作家カフカは書き溜めた原稿を裏庭に捨てたという。彼には、既に書き終わったモノには愛着も関心もなくて、ゴミ屋に出してくれと言ったそうだ。
要は書いたプロセスがカタルシスであって、その残骸には何も残っていない。そういうものなのかもしれない。あるいは、80年代大好きだった椎名誠さんが、とあるインタビューで「旅やキャンプをしながら、その片方で(その最中に)文字を書きたい」と言っていたセリフが想い出される。

素浪人時代に出会い、数十年手元にあってぼろぼろの、寺山修司さんの「ポケットに名言を」から引用すれば、ゴミ屋敷になっていく自分にはこの言葉が合う。

私は人間の不幸はただ一つのことから起きるものだということを知った。
それは部屋の中で休息できないということである。(フランソワ・トリュフォーの映画「柔らかい肌」より)


そこで寺山さんご自身の言葉「書を捨てよ、町へ出よう」というわけでもないのだが。

***

(「ヴァイオリン協奏曲」繰り返し4回目。大音量でクラシックを鳴らすと、明日は休み!だからと家の中を駆け回り・叫ぶ隣の坊や家族も鎮まる。効果的音楽。)
「ハヤリモノ」かもしれないが、良いエッセンスは何であれ取り入れようということから、興味深く眼や耳を傾けている小林弘幸医師。(最近では「三行日記」だとかがハヤっているが)
単なる偶然だが、自分も親も助けてくれた病院に居ることも手伝って。

その小林先生が出たFM番組の対談をYoutubeに発見し、(これまた)外を歩く最中何度も聞いたが、そこで琴線に触れたのが「ゾーン」という言葉に関するくだり。
実のところ「ゾーン」なるものが何なのか?は理解出来ていないのだが、過去伊集院光さんがラジオでとあるスポーツ評論家を揶揄するように『これが、いわゆるゾーン、ってやつなんだ(笑)』と言っていて、傍の放送作家が爆笑していたことしか接したことがなかった。

小林先生は尋ねられた「三行日記」を書くことで自律神経が整う効用を語りながら、ヒトには物事に集中できてバランスの良い場所や間合いがあるもので、それはヒトによりお気に入りの喫茶店だったり、図書館だったり・・・・いろいろあるはず。そう語った。
対談相手が「それが、いわゆるゾーンってやつですか?」と訊き、先生は頷き、自分は「ほうっ」と納得した。

思えばブライアン・イーノや日本で言えば芦川聡さんら、野外環境に音装置をセットして、その環境を居心地の良い空間に広げる活動もその一環。ややもすると、こういった活動はインテリやオシャレ系連中が絡み、実態と乖離した状況を産み出していったが、イーノ・芦川さんら一部の方の作品には、確かなものがあった。

(続く。かもしれない。)

■YMO 「Loom(来たるべきもの)」~「プロローグ」1981ウィンターライヴ■







愛しの荷風


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2015年2月20日 金曜日 「雪の朝の幻想」

2015-02-20 21:46:39 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

mp3再生機の中身入れ替えを繰り返しているうち、聴く音楽は次第に移ろっていく。
教授と青葉市子さんの心音に昨年からずっと耳を傾けつつも、シンディ・ローパーからデペッシュモード・ヤズーなどのアルバムに移り、その後デヴィッド・ボウイ70~80年代の音に向かう。
ボウイのアルバムは室内で聴き狂ったことはあれど、歩きつつ聴いたことはほとんどなかった。

朝の地下鉄内という移動する精神病棟。本人たちは社会人とかビジネスマンとか輸入語を使い、プライド高そうな態度で「その気」でいるが、すべてかごの中の精神病人たちが妄想に浸る世界。
チョコみたいな板の表面に指をシュッシュするシュッシュ族。最近増殖するウイルス患者。
指を動かすと、ご利益があるとのことだ。そう彼ら彼女らの間では信じられている新興宗教。ウイルス汚染はひどく、車内の八割がこの患者となっている始末の朝。
彼ら彼女らはオナニーみたいにしてシュッシュ行為に夢中。危害を加えられることはないが、しょせん病人なので日常茶飯事の迷惑行為は受ける。しかし目をつむるしかない。

「彼ら彼女らは病人なのだから」と最初は自らに言いきかせるが、そういうこっちだって別の類の病人と思い起こす。
そう解かると「同じように病人なら、お互いルールを犯してはならないじゃないか」そう説教したくなる。
だが圧倒的な「ちょー」多勢に無勢だから、下手な説教でもしようものなら、彼ら彼女ら病人から集団リンチに会う。
だから見えないふりをするしかなく、目をつむるしかない、にたどり着くわけである。

17日火曜日の朝。
やはりボウイの中でも想い入れの強い「ヒーローズ」「ロウ」の2枚に向かう。イーノとの共同作業から生まれた作品。
「ヒーローズ」A面冒頭のボウイのうなり声、硬質なサウンド、ナイフのようなエッジの効いた空間。
シュッシュ族が占める群衆光景を見やる側から聴こえるボウイの音は、リアリティと怒りを持って風景に切り裂きを入れる。覚醒する意識。

Something In The Day
Something In The Night(Beauty And The Beast)

降る雪の中「ロウ」のB面を聴く。「ワルシャワ」からの流れ。
せめて私の中でだけでも、可能な限り邪教汚染を回避しながら生きていこう。そう思う。
雪の中を歩くと、雪で曇って行く視界と「ロウ」の組み合わせが、欧州に居たときの記憶と幻覚を引き起こす。それが現実を浸食し凌駕する。

■David Bowie & Brian Eno  「Warzawa」 From ”By The Wall” , Berlin 1977 ■

1981年秋から年を越えてゆく1982年春にかけて「ヒーローズ」「ロウ」を聴いていた。兄が貸してくれたLPレコードからカセットテープに落として。寒かった冬の記憶。





”ワルシャワの幻想”では、ポーランドの田舎を音楽風景で撮ってみようという、実に積極的アイデアがあった。だけどそれをブライアンにはいわなかった。あの曲の作り方は、ほんとにきわめてシンプルだった。

ぼくはいった。「ねえブライアン、ゆったりした曲を作りたいんだ。
だけど、それでいて、大きな感動を呼ぶ、ほとんど宗教的といってもいいような感じを加えたい。
今のところ君にいっておきたいのはこれくらいだけど、始めるにあたって何かアドヴァイスあるかい?」

するとブライアンはいった。「指を鳴らしたのを録っとこうぜ」
そしてま新しいテープに、そうだな、430ばかりもパチンパチンと指鳴らしを録音した。それからそれを、点にして紙におこして、全部にナンバーを打った。そして、ぼくはぼくで、ブライアンはブライアンで、まったくの気紛れで点の断片を選び取った。

そのあとブライアンはスタジオにもどってコードを弾いた。
番号のところにくるとコードを変えるんだ。そんなふうにして自分の分を作っていった。ぼくも自分の領域で同じことをした。それからパチンという音をはずしてできた音楽を聴いてみて、小節の長さに合わせて頭の部分を作った。
(中略)
そういうと、ずいぶん数学的で冷たいように聞こえるだろうが、そんなことで、究極の音楽的インパクトはブチ壊されはしない。
インパクトとは、何らかの情緒的力の配列と提示で決まるんだ。そいつが胸を打つんだ。
(デヴィッド・ボウイ 1977年6月)


このインタビュー文章に出会ったのは、本屋さんで見つけた新刊、1986年12月30日発刊「異星人デビッド・ボウイの肖像」(シンコーミュージック)。この時期は、自死そこねた後の苦しいリハビリに入ったばかりのこと。
自分は、何か救いになる言葉を求めて、発見した寺山修司さんら数冊の本に書かれた字づらを追っていた。
長い文章は余計に脳内の混乱を招くので、数行で自分に響く言葉を探していた。

この本も、当時繰り返しめくっては、気になったページに紙をはさんだり鉛筆でアンダーラインを引いた。
自分にとってデヴィッド・ボウイの存在は、単に音のみのことでは無く、彼が発する言葉や考え方、世界へのアプローチ方法、それに、エイリアンとして産まれてしまった男がいかにして苦難を越えてSurviveしていくか、という道先案内人の一人だった。

それはYMO三人の生き方もそうであり、ほかの敬意を抱くアーチスト全般にも言えることである。

ときどき、ひょっとしたら自分は、ひどく冷たくて感情のない人間なのではないかと感じる。そうかと思うとまた、精神的にこうまで”もろく”なければいいのに、と思う時もある。
時として、外側から眺めるような傾向が強くある。それが弱点なのか、はたまた強みなのかはわからない。

アウトサイダー的視点が役立ってほしいと心から願っている。
それがぼくの気持ちだ。完璧に内側に入り込んでいる人間よりも、とまではいかなくてもね。
(デヴィッド・ボウイ 1973年6月)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年11月28日 金曜日 この狂った世を生き抜き”棲まう”ための光

2014-11-28 23:41:56 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

中井久夫先生の眼。直観力とカン。
日々繰り返し患者と向き合う治療での苦悩。
その集積が言葉に変わり、それがふんだんに織り込まれた貴重な書「世に棲む患者」。

文学者じゃないのに、そのへんにごろごろ居る三文文士とは無縁の文学的文章。
一行一行書かれた表現の的確さ。中井先生の言いたいニュアンスがよく伝わってくる。
何度も何度も繰り返し読んでしまう。
病気の本としてではなく読んでも、多くの発見がある。

なぜならば、人間そのものが”かたちんば”であり・ビョーキ生物であるからである。
その「It Mekes Me Wonder」の視えない源泉を辿り、ある人は文学を目指し、ある人は音楽を道具とするが、精神(こころ)の病いを辿る精神医学も同じ焦点に向かって収斂していく。

中井先生の文章が哲学的なのは、目の前の”リアルな現実・ほんとの現実”=「生きる」ことに沿って、紡ぎだされた肉を持つ言葉だからだろう。

今のヒトたちが日々の忙殺に追われ、ココロをなくし(「忙」という文字そのもの)、卓球(というよりピンポン)のタマのように、あるいはツイッターのように、瞬間反応三昧世界に踊らされゆく。

そんな中、実の「生」は「そこ」には無い。
社会という人間が勝手に決める、その時代時代のありようにおける規範の外側、その置き去りにされながらも、豊かで真綿のような何か。
そのナイーヴなココロの外形を探索して、小さな描きをしようと、中井先生は文字という道具を使っている。

精神やこころを扱うことを、青い顔したシステム科学と言い切り、自分の役割を放棄し、クスリ(ヤク)に逃げ込む医師。
TPP同様アメリカ輸入の薬品を国内にバラまき、被験者をシャブ中にして、クスリの対価たるカネを撒き上げてきたこの数十年。医療業界・製薬会社&公的権力がタッグを組んだビッグビジネス。

腐りきった彼らマフィアが日本(と一応未だ呼ばれる)を覆い切る中、中井先生の本には救いがあり、“我々”が生きるための道しるべが記されている。

四半世紀を掛けて、そのシャブ中から、自分はあと一歩でその牢屋の囚人から脱獄する。そんな地点。

今夜の写経
 1 
統合失調症圏の病いを経過した人の社会復帰は、一般に、社会の多数者の生き方の軌道に、彼らを“戻そう”とする試みである、と思い込まれているのではないだろうか。

しかし、復帰という用語がすでに問題である。
彼らはすでにそのような軌道に乗っていて、そこから脱落したのではない。
より広い社会はもとより、家庭の中ですら、安全を保障された座を占めていたのでは、しばしば、ない。はじめての社会加入の過程にあって、そこでつまづいた場合が多くても当然であろう。

これは言うまでもないことのように思える。
しかし、私の言いたいのは、多数者の途に―――復帰するのでなく―――加入することが、たとえ可能だとしても、それが唯一の途ではないだろうということである。
また、あえていえば、つねに最善の途だろうか。

証拠は、ただ周囲をみわたせば足りるであろう。
多数者に倣わせようと強いることは、成功したとみえる場合にすら、時に、何のために生きるかがはっきりせぬままに周囲の眼を怖れる萎縮した人生に彼らを導くであろう。
あるいは、たかだかB級市民の刻印の下に生きる道を彼らに示すにすぎないのではないか。

考えてみれば、統合失調症を経過した人は、事実において、しばしばすでに社会の少数者(マイノリティー)である。そのように考えるとすれば、少数者として生きる道を積極的にさぐりもとめるところに一つの活路があるのではあるまいか。

 2 
むろん、少数者として生きることは一般にけわしい道であり、困難な生き方である。
私が、他によりよい選択肢がたくさんあって、なおそう主張するのではないことは、まず了解いただけると思う。もっとも、多数者として生きることにもそれ自体の困難性があることは忘れてならない。

現にうつ病者は統合失調症患者に比して非常に少ないわけでは決してない。
彼らは、生き方のいささか“不器用”な多数者側の人といえないであろうか。
多数者として生きるために必要な何かがひどく不足する人もいるが、うつ病者のように(むろん相対的に、つまりその人にとってであるが)中毒量に達している人もあるわけだ。

そして、あえていえば、統合失調症を経過した人にとって、ある型の少数者の生き方のほうが、多数者の生き方よりも、もっとむつかしいわけではなさそうである。
(中略)
さらに言えば、統合失調症を病む人々は、「うかうかと」「柄になく」多数者の生き方にみずからを合わせようとして発病に至った者であることが少なくない。
これは、おそらく、大多数の臨床医の知るところであろう。

もとより、そのことに誰が石をなげうてるであろうか。
彼らが、その、どちらかといえば乏しい安全保障感の増大を求めて、そこに至ったのであるからには。
(中略)
 3 
・・・寛解患者のほぼ安定した生き方の一つは―――あくまでも一つであるが―――、巧みな少数者として生きることである、と思う。
そのためには、たしかにいくつかの、多数者であれば享受しうるものを断念しなければならないだろう。しかし、その中に愛や友情ややさしさの断念までが必ず入っているわけではない。

そして、多数者もまた多くのことを断念してはじめて社会の多数者たりえていることが少なくないのではないか。そして多数者の断念したものの中に愛や友情ややさしさが算えられることも稀ではない。それは、実は誰もが知っていることだ。(中井久夫)


寛解患者の一人として、私はこの中井先生の言葉に、実にたぐいまれなる(きわめて数少ない)本物の精神医学者の素晴らしさを感じる。
このことばが描く外形に、私は、自分が生きていくための光を感じ続ける。

■YMO 「キュー」(ウィンターライヴ1981)■





”超地球的存在”
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年2月19日 水曜日 くらしの風景 ~みずから、死んではならぬ~

2014-02-19 22:09:43 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

ほうっておけば、ペシミスティックな心境に常に傾く自分。それを必死に補正する日々。
そうして、あれほどに、「病んだネット中毒」から解毒すること、と言ったのに。年末年始の死への怖れを経て。

きょう、つい検索の窓に向けて『社会から永遠にスポイルされる自分』とキーを打ち込んだ。
そこからたどってページを読むうちに、偶然、詩に出会った。

「飛び上がり自殺をきっとするだろう人に翼を与えたならば」

木下龍也さんという詩人との出会い。
彼の詩を、なんども繰り返し読んでいくにつれて、情動が揺れ、ナミダが流れた。血が流れた。
死角を突かれて、心中におだやかならざるざわめきを覚えた。

数十文字でこれほどまでに、肉感・リアリティを持って、自分にすんなりと想いを伝えてくる詩を、いくつもいくつも。
そんな人に唐突に出会う。

すぐにでも、木下龍也さんの詩集を手に入れに本屋さんに向かいたい。
だけども、本屋さんが開いている時間に、そこに向かえない、今の自分。

しょせんはスポイルされるのが分かっていても、今請け負ってしまったことは、それでも「やらねばならぬのだよ」。

絶望を抱く、他人から揶揄される、罵倒・叱咤される、・・・そんなことは毎日の日常茶飯事であり、周囲の見慣れた風景である。こんな自分が希望を語るのはそらぞらしい。
そういうジレンマのぐるぐるした渦のなかにいるDNA。
永遠の負のスパイラルを負った、自分のカルマ。

そうは思ってきたが、木下龍也さんの詩に出会って、今夜は本気で救われるような思いがする。



■パブリック・イメージ・リミテッド(ジョン・ライドン) 「ライズ」1986■
(キーボード:坂本龍一)

消費されない詩。
消費されない音楽。
アートにかかわる方が目指すべきは、それ、以外ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年9月16日 月曜日 「ポケットが虹でいっぱい」

2013-09-16 23:51:15 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

【ゴミ・スクラップ・ブック。制作途中の1ページより。】

YMO 「ポケットが虹でいっぱい」1993(ドラマ「谷口六三商店」テーマ曲)■
涙が 今はこぼれるけど
ポケットにいっぱい、虹を詰めて

逢いたくて、いつも逢えないから
ポケットにいっぱい、キスを詰めて

もいちど強く、抱きしめて
くちびるに熱く、感じていたいよ
愛・愛・愛・愛

この恋、かなうときまで
ポケットにいっぱい、キミを詰めて

たとえば、雨が・・・降るように
かなしみがいつも、二人を責めても
愛・愛・愛・愛

ミスター・ハートエイク
変わらない、この愛

Got A Pocketful Of Rainbows
虹を詰めて

(原曲:エルヴィス・プレスリー/日本語訳:湯川れい子)









「頑張る」などという安易な言葉を使うな。
へこたれるな、なかまたちよ。
どんなことがあろうと、最後の最後まで、ユーモアを忘れずに。
一寸の希望を捨てるな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年9月14日 土曜日 「距離」

2013-09-14 18:51:11 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
大竹伸朗さんの著書「既にそこにあるもの」よりの朗読。




■David Sylvian 「詩人の血(The Ink In The Well)」1984■
焼け跡の残り火が、丘や谷間にくすぶる
最強のものたちの心に、郷愁が燃え上がる
ピカソは、港で船の絵を描いている

風と帆

ひとには、生まれつき生きる才能があるもの

動物たちが、収穫済みの炎の原を駆け抜ける
家を失ったものたちの顔に、苦悩が浮かぶ
ピカソは、家々から上がる火の手を描いている

突然の雨

縄は切られ、うさぎは解き放たれる
(今は狩猟期、思うさま発砲しろ)
詩人の血、万年筆の筒の中のインク
(すべては、この理性の時代に書き留められる)

デヴィッド・シルヴィアン「詩人の血」(作品「ブリリアント・トゥリーズ」より)














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年9月1日 日曜日 「祈り」

2013-09-01 23:39:23 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ



■イエロー・マジック・オーケストラ 「ロータス・ラヴ」1983■
(作詞・作曲:細野さん/アルバム「浮気なぼくら」より)


永遠にくり返す・・・変わらない気持ちが響く
「アイ・ラヴ・ユー」
眼がしらに花びら・・・のどもとにいつもの呪文
「アイ・ラヴ・ユー」
『ベイビー・・・時をとびこえておいで
ベイビー・・・世界の外で会おうよ』

暗闇にすわれて・・・誰からも見えない「コトバ」
「アイ・ラヴ・ユー」
気づかれるその時・・・雪のよに陽ざしに溶けて
「ユー・ラヴ・ミー」
『ベイビー・・・時をとびこえておいで
ベイビー・・・世界の外で会おうよ』

夢で見た口もと・・・ひそやかにかすれる呪文
「ラヴ・ラヴ・ラヴ」
『ベイビー・・・時をとびこえておいで
ベイビー・・・世界の外で会おうよ
ベイビー・・・世界の外で会おうよ』


加持香水














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年8月7日 水曜日・深夜 Cocteau Twins 「Frou-Frou Foxes in Midsummer Fires」'90

2013-08-08 02:07:24 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

深夜、最寄り駅に降り立つ。
暗闇を歩く中、いつもの場所、場所。
それぞれのテリトリーに住まうネコさんに出会う。
しかし、しゃがんで眺めて、一緒に送りたい時間すらも無い。
後ろ髪を引かれながら、家に向かう。

スクラップブックより(永遠に制作途中)
エセ・ナチュラリストが、資源ゴミ回収の日に出した、本人だけが良い気分になっている牛乳パックの紙を拾う。
再生(リサイクル)する方が、より大きな地球の水やエネルギーを使う、逆行する行為を働く者。
深夜、それを切り裂いて、パンフレットに貼り込む。そして、地を潰す。

そこに、さっきコンビニエンスストアの横の暗闇で拾った、くつの中敷きの型紙。
そして、拾った新聞紙にあった、先日実家に行った際にNHKで見た、凄みのある眼をした・深海のダイオウイカの写真部分を切り裂き・貼り込む。
最終的な体をなしてしない制作過程。
まだまだ、これから怨念を込めねばならないページ。

***

MZ師と語らう中で、よく出てくるセリフ「一生、根に持ってやる」。我々の「座右の銘」たる言葉。
これは、自分が大阪に居た1994年当時、毎週深夜観て・ビデオに録画していた、竹中直人師匠の番組「恋のバカンス」からの引用。
この世の「不条理」の塊をぶつけるコーナーの数々。
そこで語られた言葉は、我々の中に深く響いた。響き続ける、今夜も。



■Cocteau Twins 「Frou-Frou Foxes in Midsummer Fires」1990■
社会人への船出間際に聴いていた、コクトー・ツインズの「ヘヴン・オア・ラスヴェガス」より


■1994年・「竹中直人の『恋のバカンス』」コーナー 「流しな二人」より
チャーリー・ボブ彦(竹中直人)&ジャッキー・テル彦(高橋幸宏)
ライヴ・セッション・イン・吉祥寺井の頭公園■
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013年8月4日 日曜日 坂本龍一 「君とボクと彼女のこと」'94

2013-08-04 14:11:19 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ



■坂本龍一・大貫妙子&高野寛 「君とボクと彼女のこと」1994■
(アルバム「Sweet Revenge」より)

彼女は約束をした 夏が来たら暮らすことを
ボクは仕事を変えた かせぐために
昼も夜も働き
君には打ち明けたはずだと 信じ続けていた

寒い朝
突然に 彼女は消えた
ボクたちは もう何もさがさないだろう
それぞれに街を去り 会うのをやめた
三人の週末は、色を無くす

彼女はいつもの通り その日のすべてを話した
君に会っていたことも 知っていた
ボクはデキた奴じゃない
君を殴り飛ばし 友情を笑えば良かったのか?

ボクたちは10年後 「あの頃」のように
波を受け 風を切り 海原を行く
それぞれの家族をむかえ
輝いた航跡を・・・振り返らない


作詞 : 大貫妙子
ヴォーカル&ギター : 高野寛
ヴォーカル・キーボード・コンピュータープログラミング : 坂本龍一


午後の暗い室内。
意味の無いスクラップブックを貼り込みながら、繰り返し今日も聴く「スゥイート・リヴェンジ」。
その中で、耳では無く・脳に聴こえ・響いてくる優しい曲。
「君とボクと彼女のこと」の曲の美しさに、うかつにも涙がこぼれ落ちて止められなくなった。
当時の若きボクと彼女を想起しながら。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする