
9月19日、近江八幡ヴォーリズ建築めぐりの最終回です。

























① ヴォーリズの大学時代の親友であった”ハーバート・アンドリュース氏”を記念して、明治40年(1907)に建てられたヴォーリズ建築最初の建物で、建設当初の会館は「アンドリュース記念近江八幡基督教青年会館(YMCA)」と称しました。
国の登録有形文化財に指定されています。
1987年にYMCA会館としての使命が終わり、老朽化したことにより、2007年に会館が竣工して100周年を迎えることから、「近江兄弟社創立100周年記念事業」として、会館の保存再生が図られました。




② ヴォーリズと少女の像




ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者です。
またYMCA活動を通し、「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
讃美歌や同志社カレッジソングなどの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
近江商人発祥地である滋賀県八幡(現:近江八幡市)を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。
また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称されています。
③ 近江兄弟社



先程の「ヴォーリズと少女の像」の向かいには近江兄弟社発祥の地に建ち、一階には資料館があります。
(株)近江兄弟社 本社1階ロビーを「メンターム資料館」として無料開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示しています。

また、ここで販売している近江兄弟社商品の売上代金は全額をチャリティ基金とし、社会福祉団体や、近年では東日本大震災の復興支援のために活動されている団体等に寄付されています。



ヴォーリズは、明治38年(1905)近江商人の士官学校と言われた滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)を軸とする英語教師として赴任しています。
ここで、多くの近江商人を目指す若き青年たちと出会うことになります。
ところが課外に自主的に開催していたバイブルクラスに生徒たちが多く集うようになったことが、仏教の色濃い(浄土真宗の寺院が多い)この地域と宗教的な対立を生むことになりましたが。
これが原因で2年後の契約更改時に教師の職を解かれることになってしまいます。
しかし、ここで話は終わることはなく、彼と近江商人の卵たちとの熱き「絆」は、彼を生涯近江八幡の地に留めることになります。



池田町洋館街のレンガ塀
当初は手焼きでレンガを作っていた為に、空気などが入ると膨らんだり、くびれが出来たりしていました。
ヴォーリズは、そんな焼損じの規格外の不良品レンガを譲り受け、塀などの建築材料として活用しました。



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