Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

太宰治的人間としてのブロガー

2010年03月01日 | Weblog
きれいな言葉で
自分を飾ることが
太宰に残された
最後の自分を
愛する方法で
あったのではないか

だから太宰は
現代に受け入れられる

ぶろぐなんてものを
かく人間は
最終的には
理解を求めている

ただの独り言なら
誰かに知らせたり
する必要はない

太宰は作品を
仕上げることで
自分のことを
もしかしたら
理解してくれる人が
いるんじゃないかと
思ったのでしょう

だけど書くことは
伝えることは
多くの代償がある

他人の視線は
必ずしも容認に
向けられて
いないのです

つまり彼は
書くことにより
容認されるどころか
否定された

もしくは
容認されることが
彼の理想と
異なっていたことに
きづかされるのだ

彼は絶望しただろう

たくさんの好奇の目に
さらされることで
得たものと
失ったものの間に葛藤し
自己を見失う

他者評価への依存

自分の強さは
弱さを隠すための
虚言であると
気付くのだ

そしてそれに
深い共感をする

私は私を卑下しながら
私が見下されることを
望んではいないの

それと同じ

道化を演じた太宰治

烏滸がましい
あたしなんて
ただの無能な
女子大生にすぎない

というポーズをとる
これって太宰治的だと
わくわくするんだ

傷つく事の
代償として
得られたものは
考えることと
理解することだ
自分を見直すことだ

もし太宰治の中に
以上のような
要素があるならば
それはあまりにも
悲しすぎる

作者太宰治を選んだ
太宰治は一生
太宰治を演じたのか
もしくは真実の
太宰治を晒したのか

答えのないパズルは
一生完成できない
当たり前のことです

私の意識の中で
評価した太宰治は
私の中の基準の
太宰治でしか
ないのだから
それは太宰治では
ないのでしょう

むしろ太宰治を
評価する中で
自己を見つけることを
あたしは
目指しているのかも
しれないと考える

(written by N from KAT)

2月28日(日)のつぶやき

2010年03月01日 | 80年代文化論(音楽)
15:10 from Keitai Web
たわむれに、京王線で太宰の「葉」をつぶやきます。
15:11 from Keitai Web
白状し給え。え?誰の真似なの?
15:15 from Keitai Web
また兄は、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先であったから、兄の言葉を意外に感じた。
15:26 from Keitai Web
役者になりたい。
15:32 from Keitai Web
ねこの白い毛を撫でたく思い、庭へおりた。背中の毛にふれるや、ねこは、私の小指の腹を骨までかりかりと噛み裂いた。
15:35 from Keitai Web
子供に欺かれたのが淋しいのではない。
15:54 from Keitai Web
婆様は私を抱いてお寝になられるときには、きまって私の両足を婆様のお脚のあいだに挟んで、温めて下さったものでございます。
by kmrsato on Twitter