Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

なんとなく

2008年10月18日 | Weblog
最近、こちらに何かを書き付けることにあまり意欲がかき立てられなくなり、それは一体何でなんだろうと思いながら、日々のことどもに忙殺されつつ、そういう「どうして書く気が起きないのか」ということくらい書いてみてもいいじゃないか、、、などとは思ってみたりもいするのだけれど、それにも意欲的になれず、秋という憂鬱を楽しむ季節にやられているということなのか、そもそも根本的な何かがもうブログというフォーマットに書くことを躊躇させているのか、それも分からず、確かに「吾妻橋ダンスクロッシング」を見たり、大学の講義で大学生御用達系のファッション雑誌(20冊近く)をマップ化して、それについて授業したこととか(これにいまはまっている)、昨日は昨日で、多摩美術大学の活きのいい若手作家(二年生)のH君が主宰する「かえりの会」に参加して、20人ほどの学生の作品を見て、講評をするという、すごく楽しいのだが、夜が深まるにつれどんどん寒くなり、でも非公式の会なので教室を借りたりなんて贅沢はなしで、半野外のスペースにノンストップで四時間半という過酷な空間・時間でもあって、でもやはりすごく楽しくて、学生たちのまじめで暗くて誠実な話(いまどき聞けないよね、、、でもいまの大学生くらいの若い人って結構「まじめ」で「暗く」て「誠実」なのではないか)をじっくり聞いたこととか、いろいろとこれまでのブログに書いてきたようなことは、いろいろと身の回りで起きてはいる。

『文学界』『新潮』をめくれば、鹿島田真希の新作短編がそれぞれ載っていて、やはり圧倒的に面白く、青木淳悟の作品もちらっと読むとグーグルのストリートビューを素材にしたもので、これはある意味、徹底的にタスクないしインストラクションな作品だよなと思って、面白いと思ったり、東浩紀の「なんとなく、考える」も、ぐずぐずで、「(ふ)まじめ」についてで、まずどうしてここまで東さんというひとはひとの人気を気にするのだろうと思ったりして(その一種の演劇性が気になって、それとポストモダンの思想との関係とか、、、)、でも、そんなこと思うと書かないブログを気にしている自分のことに考えが進んで、不可視の読み手ということについて思いが及んだり。いろいろと考えているのだけれど、あまり前向きにならない。

現在発売中の『クイック・ジャパン』に、「遠藤一郎に会ってきた」というタイトルで、横浜・寿町にて未来美術家・遠藤一郎にインタビューしたときの記事が載っています。彼は重要です。どう重要なのか、迫ってみました。ご一読下さい。ちなみに、ぼくのページの手前には、「超詳解!20世紀ダンス入門」でお世話になったプリコグ代表・中村茜さんのインタビューがありましたよ。

あと、そろそろ『REVIEW HOUSE 02』がどうも発売しそうです。出版予定の8月が9月に9月が10月になっていましたが、10月が11月に変更することなく、どうも出そうです。Aが家でそわそわしてます。ぼくは小沢康夫さんと桜井圭介さんと日本のコンテンポラリーダンス周辺の「流通と批評」という観点から鼎談をしました。今世紀のダンスの動向がかなりの程度明確になるだろう記事です。それと、単独では「彼らは「日本・現代・美術」ではない」というタイトルの批評文を書きました。もちろん椹木野衣さんの『日本・現代・美術』について言及していますが、会田誠とChim↑Pomや遠藤一郎は似て非なる存在ではないか、二組の間には時代を画する何かがあるのではないか、という問いを中心に据えて20枚にまとめました。簡略的にいえば、「ポスト戦後的美術の動向」ということになるでしょうか。こちらも、ご一読を願います。

それといま、一年前に開講したBRAINZ「フィジカル・アート・セオリー入門」の書籍化に向けて原稿を書いている最中です。乞うご期待。