Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

鹿島茂対話集『オン・セックス』飛鳥新社

2005年08月16日 | Weblog
のなかで、鹿島が荒俣宏と対談したのは、ダンスに関してだった(「セクシー・ガールの誕生 エロティシズムは国境を超える!」)。

「はっきり言えるのは、二十世紀の初頭くらいに、女性が、自分自身の演出を、それまでの身分や知性や人脈の強調、つまり社交術から、今日言うところのセクシーな演出、すなわちエロティシズムに一気に変えたチャンスがあるんですね。誰が変えたかというと、これがダンサーなんです。つまり、あらゆる女性がみんなダンサーになってしまったといっても言いすぎではないというくらいの変わり方だったというのが、僕のずっと抱いてきた印象なんです。
 ちょうど十九世紀に、いまのダンスホールに似たようなものができる。ここには学生とか若い連中がぞろぞろやって来て、それまでの革命期くらいの社交ダンスじゃなくて、いまのタンゴに近い、お互いに情熱をぶつけあってコミュニケーションするエロティック・ダンスをやる。さらにもうちょっと経つと、男女がふたりで踊るんじゃなくて、一方的に女性が見せるダンスになってきた。あれによって、女性が社交術じゃなくてセクシーさで自分の全存在を相手にアピールするというノウハウを手に入れたんじゃないかという感じがしているんですけどね。」(荒俣)

社交の場からあからさまなエロティシズムが噴出する瞬間、を荒俣はこうしてスケッチしている。僕に言わせれば、もともと社交というのは、あからさまな欲望を隠蔽するためのシステムだったわけだから、全く別のものが出てきたみたいに言うのはちょっとおかしいと思う。つまり宮廷的社会での舞踏会の外では、農民達は猥雑なダンスともセックスともつかないような何かをやっていたのだから、そして両者は別物ではなく、通底するものだったわけだから(ワルツなんてのは農民のダンスが社者光の場に乗り込んできたものなわけだし)。

でも、社交ダンスから芸術ダンス(とりわけモダンなダンス)へというダンスの展開が19世紀にあったのだとすれば、もう一つの視点から、社交ダンスからエロティックな女のダンスへという展開もこの時期あったという事態は、非常に興味深い。肉体のダンスが花開いた、という意味では、イサドラ・ダンカンもショーガールも同じ(鹿島)、という見方がそこから生まれる。

まあ、眉唾な議論ではあるけれど、刺激的でもあるこういった話が読める、とは思わず、古今東西の性のお話をわいわい議論しているこの本を読んだ。性のお話はそれはそれで相当面白く、えぐい。気になって取りあげられていた『性技実践講座』(山村不二夫)『プラトニック・アニマル』(代々木忠)を購入してみたが、あまり面白くなかった。セックスというのは、肉体のことでありながら、かくも観念的なものであるのかと、そんな確認だけはちとしたりして。観念的だ、という意味では明らかに『催眠術のかけ方』(林貞年)が大層興味深い、のですが。もしさっきの言葉を「ダンスというのは、肉体のことでありながら、かくも観念的なものであるのか」と言い換えるとすれば、催眠術のことをひと(ダンサーや振付家)はまじめに考えたりしてるのか否か?などと思ったりする。大橋可也氏とか、さ。いや大事なことだと思うんだけれど、ね。