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がしゃどくろ ~広島の妖怪⑦~

2011年05月20日 | 広島のオススメ!

宝亀9(778)年12月、備後(広島県)の葦田郡大山の里に住む男が、正月の品物の買い物に深津の市へ向かう途中、日が暮れたため、葦田の竹が生えている野原で一夜を明かすコトになったが、「目が痛い」という呻き声が聞こえ、朝になると目のトコロを突き抜けて筍が生えているどくろが見つかった。

その筍を取り除いて乾し飯を備えてやると、恩返しを受けた・・という話が、奈良時代に書かれた『日本霊異記』あるそう。

戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者達の骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になって、夜中にガチガチという音をたててさまよい歩き、生きている人を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べる・・と言われるがしゃどくろ

 

しかし、実際は1970年代前後に刊行された通俗的な妖怪事典の類の著者によって創作された比較的新しい妖怪だそうで、妖怪研究家の村上健司京極夏彦によれば、1968年刊行の『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』(秋田書店での斎藤守弘による記述が初出とされる。

『日本霊異記』の話も、仏教的な因果応報を説くもので、がしゃどくろとの直接的な関係はないとか・・。

 

後に水木しげる『妖怪事典』『日本妖怪大全』で取り上げ、広く知られるようになったそうだ。

この水木による巨大などくろの妖怪の画に、見覚えがある人も多かろう。

 

1972年に刊行された『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』(立風書房・ジャガーバックス)のがしゃどくろの姿は、浮世絵師の歌川国芳作の「相馬の古内裏」が挿絵として使用されており、水木が描いたがしゃどくろの姿も、これが基になっている。 

この国芳の「相馬の古内裏」は、江戸時代後半に読本作家の山東京伝によって書かれた『善知烏安方忠義伝』(うとうやすかたちゅうぎでん)を題材にしており、あらすじは以下の通り。

 

承平天慶の乱(935~941年)で朝廷に反抗し、”新皇”を称した平将門が討ち取られた後、その娘の滝夜叉姫は、父の遺志を実現するため兵を集め、妖術を用いて妖怪どもを操る。

大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)という勇士がこれを討伐しようとして、滝夜叉姫の繰り出す妖術に苦しめられながらも、ついに勝利する・・。

 

この物語の中の、滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が、大宅太郎光国に襲いかかる場面が「相馬の古内裏」で、原作では等身大のたくさんの骸骨が現われるトコロを、国芳は1体の巨大な骸骨として描いている。

ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた非常にリアルな骸骨は、それまでの浮世絵にはない迫力があり、国芳の傑作の一つであると同時に、現代における、がしゃどくろのイメージを方向づけた絵であると言えよう。

 

こうして見ると、がしゃどくろとは、直接関係のない絵やストーリーが、1つのイメージとして結実して生み出された妖怪であるコトがわかる。

 

人間の想像力・創造力は大したもんやね・・。

 


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