今日が自分の誕生日。
43歳になった。
2日前に誕生日を迎えた奥さんは自分より1コ上の44歳・・。
まあ、いろんなイミで、まだまだいろいろ囚われている自分であるなぁ・・と思う。
もっといいイミで肩の力が抜けて、開放された自分になりたいなぁ・・。
師範にも言われた「ゆる体操」でもするか・・。(笑)
お祝いメールくださった皆さん、ありがとー!
今年もいい年にするぜーっ!!
今日が自分の誕生日。
43歳になった。
2日前に誕生日を迎えた奥さんは自分より1コ上の44歳・・。
まあ、いろんなイミで、まだまだいろいろ囚われている自分であるなぁ・・と思う。
もっといいイミで肩の力が抜けて、開放された自分になりたいなぁ・・。
師範にも言われた「ゆる体操」でもするか・・。(笑)
お祝いメールくださった皆さん、ありがとー!
今年もいい年にするぜーっ!!
あけましておめでとうござぃます!
去年はメチャメチャ忙しく、それでも何とか、おかげさまで無事過ごすコトが出来ました。
まあ、いろいろありましたが・・。
それも毎年のコトで・・。
皆さんにとって、よい1年でありますよーに!
そして、自分も、今年こそは・・。
今年もよろしくお願いします。
先日、12月22日に、妻の父方の祖父が亡くなった。
心臓を患って入院しており、また正月にでも、挨拶も兼ねてお見舞いに行かないとね・・という話しをしていた矢先の出来事だった。
23日が通夜、24日のクリスマス・イブに葬式・・。
亡くなられた当日に駆けつけたが、24日が友引で葬式の日取りがどうだ・・とか、いろいろ年末の差し迫った時期でもあり、バタバタと慌ただしい数日間であった。
しかし、人が逝く時とゆーのは、たいがい、こんなものなのだろう。
もしもの時は、何の備えもないまま、いつも突然訪れる・・。
享年93歳。
12月30日には、94歳の誕生日を迎える予定だった。
自分も年に1、2度、挨拶する程度で、ほとんど接する機会はなかったが、葬式で妻が涙を流す姿を見て、故人を偲ぶ想いの深さに接した気がした。
ご冥福を祈ります。
自分ら夫婦も今日で籍を入れてから丸9年、10年目に突入・・。
いつの日かdistanceも抱きしめられるようになれるよ・・
宇多田ヒカルの「 FINAL DISTANCE」という曲にある歌詞だ。
男と女―いかんともしがたい”キョリ”があるコトは、イヤというほど実感させられてきた10年・・。
―でも、お互いに、その”キョリ”があるコトを理解するには、十分な時間だったろうか・・?
まだまだ10年・・。
永遠という時間からみれば、まだほんのスタートにすぎない・・。
これからもよろしくね・・。
DIYとは「Do It Yourself」の略。
まあ、自分でやろう・・というほどのイミ。
「日曜大工」とゆー言葉があるが、休みの日曜日に何か作ったり、修理するお父さんの趣味的な大工作業をいう言葉に代わるものといえようか・・?
いつ頃からかは覚えてないが、ホームセンターに行けば、必ず目にするようになった言葉である。
自分もDIY精神を発揮して作ってみた。
これは店の更衣室。
カーテンは安売りされてた展示用サンプルをクリップでとめてつないだモノ・・。
もちろん、スタッフ用・・。
これは冷蔵庫用の台。
スタッフが使うバックヤードだが、スペースを有効に使う為、ここに冷蔵庫を置きたい!・・とゆー場所がパイプがむき出しで、床に直接置くのが難しく、台がいる・・との必要性から。
何に使うかよくわからなかった既存の台や廃材を利用して、結構、簡単に出来た。
固定はしてないのだが、とりあえず、普通に冷蔵庫を開け閉めする分には、安定性も問題ない。
なんだか、仕事もせずに、こんなコトばっかしてるようだが・・。
タネ明かしはこれ!
元土建屋さんのスタッフから借りたインパクトドライバー!
パワーが凄まじく、コンパネや太い柱も簡単に貫通して、ネジをブチ込んでしまう優れモノ!
あと、コンパネは電ノコでその元土建屋さんが切ってくれたり・・。
こんなもん手でやってたら、どんだけ時間がかかるかわからない・・。
しかし、これだけ優秀なツールがあると、使いたくて思わずウズウズしてしまうものである・・。
ガキの頃、自分の親父も、まったく1から物置を作ったり、犬小屋を作ったりしていたものである。
当時は、
「なんでこんなコト、手伝わなけりゃあいけないんだ・・」
・・なんて想いを抱いていたものだが、今にして思えば、そーゆー姿を子どもに見せるという、父親なりの愛情だったんだな・・と、自分も同じよーなコトをしながら、その時の親父の気持ちに想いを馳せてみたり・・。
さて、次は何を作ろうかな・・?
最近、メガネを変えた。
以前に5000円で買ったメガネが壊れてしまったからだ。
車も運転するので、とりあえず、なきゃ困る・・とゆーコトで、まだ広島に来る前、10年以上前に作ったのを引っ張り出してかけていたが、さすがにどうも、若干、度が違うようで違和感がある・・。
もともと作ってはみたが、気に入らずに眠っていた代物でもある。
・・で、近くのショッピングモールに入ってるメガネ屋さんで作ったのだが、これが、レンズも込みで一式、なんと!3150円!
たしか、10年前は、メガネが一式5000円で作れる・・てだけでも、驚きの価格であった。
そりゃ韓国とか行かないとムリだろ?・・て感じだったと思う。
それが、日本で3150円!
九州から出店してるクォーターてお店なのだが、10月28日で閉店するという・・。
広島では、ここしか出店してないとゆーので、非常に残念であるが、正直、そうちょくちょく作るものでもないのでね・・。
メガネは小5くらいからかけている。
正確には、小5からかけないといけないくらい、視力は悪かったのだが、メガネをかけるコトに抵抗があり、ずっと持ってはいたが、常にかけるよーになったのは、ずっとあと―大学に入ってからだった。
まして、コンタクトは、あの目に異物を入れる・・とゆーコト自体がいやで、試してみたコトさえない・・。
ホントはメタルのフレームのものが好きなのだが、3150円とゆー安さもあり、今回は普段選ばなさそーなモノにしてみた。
「おっさんくさい・・」
・・と奥さんから不評だった前回のに比べて、今回のは、なかなか好評のよう。
それだけでも、だいぶ満足な買い物である。
考えてみれば、長い付き合いのメガネ、いろいろ書き出したら、あれもこれも・・とエピソードがあるもんだな・・。
最近・・といっても、ちょっと前になるが、「ガラケー」とゆー言葉を聞くようになった。
どうやら、iPhoneなどのスマートフォンに対する、従来の携帯のコトを指す言葉のようだ・・とゆーのは理解できた。
―が、そのイミは・・?
今は、わからなければ、すぐネットで検索・・まあ、便利な時代ではある。
「ガラケー」とは「ガラパゴス携帯」の略。
ウィキペディアによると・・
「ガラパゴス化とは日本で生まれたビジネス用語のひとつで、孤立した環境(日本市場)で「最適化」が著しく進行すると、エリア外との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、外部(外国)から適応性(汎用性)と生存能力(低価格)の高い種(製品・技術)が導入されると最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。ガラパゴス現象とも言う。」
・・だそうだ。
なるほどー・・。
日本のみで独自に進化した携帯・・それが”ガラケー”とゆーワケである。
ガラケーどころか、いまだにピッチ(PHS)を使ってる俺って・・。
”ガラP”・・?
・・とゆー言葉があるのかはわからないが、かなりの絶滅危惧種なのではないかなぁ・・。
9月。
もう今年も3分の2がすぎてしまったワケであるが、お盆をすぎて、急に涼しく、秋らしくなってきた。
朝、晩は肌寒く感じるほど。
まさしく一雨ごとに・・とゆー感じである。
そんな折、なつかしい後輩から電話があった。
何事かと思ったが、お子さんが生まれたとのコト!
5月に生まれていたそうなので、ずい分おそい報告ではあるが、彼なりに、子どものいない自分ら夫婦に気をつかった・・とゆートコロらしい。
まあ、実際、自分のまわりの友人なんかも、子どもが出来ると
「どうも言いにくい・・」
・・と気をつかっていたので、ムリもないコトか・・?
正直、うらやましい・・とゆー思いも当初はあった。
もちろん、今も子どもはあきらめたワケではないので、そーゆー気持ちがまったくない・・といえば、ウソになる。
しかし、それをねたんで祝福できないほど、狭量ではないつもりである。
特に彼の場合、10年前に出逢った頃、いろいろあって、結婚なんか考えられない・・といった状態だったので、この10年の間に結婚についても前向きに考え、いい人と出会い、子どもまで授かった・・。
これは単純にうれしいコトである。
自分も何が出来たワケではないが、微力ながら、彼のしあわせの役に立った・・。
このコトは、何よりうれしい。
また自分も、前向きにがんばろー。
そんな風に思わせてくれる、うれしいしらせだった。
作家の司馬遼太郎は、
「どうして日本はこんな国になってしまったのか?」
「日本は決してこんな国ではなかったはずだ・・」
―という、自らの戦争体験から、『竜馬がゆく』などの作品を執筆したそうだ。
日本を愛するがゆえに、戦争という絶望的な経験から、希望をもって復興への歩みをはじめるための、”日本再考”の作業の中で生み出されたのが、司馬の数々の歴史小説たち・・とゆーワケである。
日本だけで230万人、民間人で80万人の計約310万人もの犠牲者を出した先の大戦・・。
生き残った者たちは、なぜ多くの戦死者たちが、死ななければならなかったのか・・?
―その意味を、理由を、自分なりの答えを見出さなければ、前に進むコトは出来なかったのかもしれない。
そして、その理由を探し続けるための歩みは、68年たった今なお、それぞれの中で続けられているのだろう。
300万人以上の人が死ぬ・・というのは、それほどの経験であろうコトは、戦後に生まれ、戦争を直接知らない世代である自分にとっても、想像に難くない。
そんな自分でも、戦争について考えさせられるコトはある。
平和な世界を築くには、戦争をなくすコトは不可欠である。
―なぜ、あの戦争は起こらなければならなかったのか・・?
自分の中での、その答えは既にある。
自分自身の中にある、自己中心性。
利己主義的な考え・・。
―そうしたものが、戦争を招いた1つの原因である。
多くの人が戦争を望んでいないのは言うまでもない。
しかし、ごく少数とはいえ、戦争を望んでいた人たちもいた・・。
世界中の人たちを巻き込み、多くの犠牲が出るコトを知っていながら、戦争をはじめようと画策した人たち・・。
その主体が誰か・・?
―それを、ここでは問題にしない。
問題は、そうした、他人を犠牲にしてでも、自分の利益を優先させようとする自己中心的な思い、利己主義的な考えが、自分自身の中にもある・・という紛れもない事実である。
家庭や職場でも、そうした思いはいつも頭をもたげてくる。
その結果、小さなケンカやいざこざは、日常茶飯事といっていいだろう。
誰しも経験のある、そうしたごくごく小さなケンカやいざこざが、戦争と無関係だと言い切れるだろうか・・?
根っこは同じ、自己中心的な思い、利己的な考えなのだ。
もちろん、この答えが、すべての人たちを納得させるものでないコトはわかっている。
これからも戦争を経験した人や、経験していない人も、それぞれが、それぞれにあの戦争の意味を問いかけ、その答えを見出そうとしていくのだろう。
69年目も、70年目も、その先も・・。
それこそがまた、平和への歩みそのものに違いないのだから・・。
先日、髪を切りに行った時のコト。
「これでいいですか~?」
・・と、いつものように、後頭部の仕上がりを店員さんが鏡を開いて見せてくれた時のコトだった。
「・・っ」
―なんとっ!!
ハ・ハ・ハ、ハゲてるっ・・!!
・・いやいやいや、うすうす薄くなっているのは、当然、自覚していた。
―が!
しかしっ!!
「・・ここまでひどかったか・・?」
1ヶ月前に切った時は、ここまでじゃなかったはず・・。
過労か、ストレスか、睡眠不足か・・。
はたまた、単なる加齢現象か、DNAの発露か・・?
―まあ、すべてがあてはまるのだから、どーしようもないのであるが・・。
昔の育毛剤か何かのCMに、こんなフレーズがあった。
抜けはじめてわかる
髪は
長~い友達
・・しみじみと、それを感じる年になってしまった・・。
・・とゆーか、それを感じる瞬間を、こうも劇的に迎えるとは・・。
そんなに友達に、つらくあたった覚えはないがのぉ・・。
うう・・。