人はどこから来て、
何のために生き、
どこへ行くのか?
―いわゆる、”人生の三大疑問”といわれる問いかけである。
”自分”とは何なのか・・?
日本人とは何なのか・・?
一体、どこから来たのか・・?
それを知る手がかり、方法としては、生命という観点では「生物学」や、よりミクロな世界を扱う「量子力学」、そして、マクロな「宇宙物理学」・・といったトコロか・・?
生命とは何か?それは、一体どこから来たのか?宇宙や、われわれが住むこの地球はどうやってはじまったのか?・・などと突き詰めていけば、そうした分野は不可欠であろう。
また「歴史」を通して我々がどこから来たのか?ーその源流を知る・・という方法もある。
歴史といえば、戦国時代や幕末の動乱の時代が取り沙汰されるコトが多いが、特に、日本人とは何か?どこから来たのか?・・といったコトを突き詰めていけば、日本という国の成り立ち、その草創期はどんなだったかを知る「古代史」は、自分にとっては、戦国時代や幕末よりアツいのである!
中でも「天皇制」というファクターははずせない。
司馬遼太郎が歴史小説を書いた動機は、22歳の自分への手紙だという。
日本が終戦を迎えた時、22歳だった司馬は、どうして日本は、こんなバカな戦争をやらかす国になってしまったんだ、日本はこんな国ではなかったはず・・と、志をもち、希望にあふれた日本人たちを描いた。
代表作である『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』は、そうして生まれた作品である。
自分にとっての「日本人とは何か?」・・とゆー問いかけは、中学時代、2年間過ごしたインドネシアでの海外生活が、そのきっかけである。
なぜ、(まわりの皆も含め)こんなに日本に恋い焦がれるのか・・?
日本の文化のすばらしさ・・。
外から自分が生まれた国を見るコトで、はじめて日本という国を相対化して見るコトが出来たのと同時に、「自分は日本人である」という、逃れようもない自覚をもった・・とゆーワケである。
さて、古代・・といっても圧倒的に資料が少ない時代ゆえ、発掘された古代の遺物をもとに研究する「考古学」が、さまざまな解釈や推理を生んで面白いのだが、そうした考古学的な発見は、時代が新しくなればなるほど、さらにその真の姿を浮かび上がらせていくのであるから、興味は尽きない・・。
だから、映画やマンガの中で活躍する”戦う”考古学者たち―インディ・ジョーンズやマスター・キートンは、自分にとってのヒーローなのだ。


そうした内容は、このブログでもときどき扱っている(特にカテゴリーの「歴史・民俗」、「サイエンス」、「都市伝説・ミステリー」あたり・・
)のだが、学術論文でも何でもないので、細かく専門的に突っ込まれたりしても、
「すいません・・
」
・・と、あやまるしかない・・。
ただ面白がって、あれこれ考えてるだけなのだから・・。
そんなこんなが、自分の、いまの興味ある分野の”一端”であるが・・。
歴史好きは、”血”なのかな・・?
いずれ、何らかのかたちになるのか・・?
ーそーやって考えたら、昔から興味あるものって、学生の頃から、別に何も変わってないんだけどね・・。