今日、6月23日は、沖縄では毎年、摩文仁(まぶに)の平和祈念公園において戦没者追悼式典が行われる「慰霊の日」である。
太平洋戦争末期に、沖縄諸島に上陸した米軍と日本軍との間で行われた地上戦が終結した日が、1945年6月23日だからである。
沖縄戦は1945年3月26日から始まり、4月1日には米軍が沖縄本島に上陸。
4月7日には戦艦「大和」が沈没。
5月22日には首里を占拠され、摩文仁に追い詰められた牛島軍司令官が自決し、64年前の今日、組織的な戦闘が終了した。
この戦闘は、民間人を巻き込んだ日本国内での最大規模の地上戦であり、また日米最後の大規模戦闘となった。
全戦没者は20~24万人とされ、そのうち、沖縄県の一般住民の戦没者は公式には9万4千人とされているが、15万人以上という推計もある。
沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず、正確な数は現在も不明だという。
―沖縄決戦の勝利により、連合軍は日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言の受諾をせまった。
しかし、その後も抵抗をやめない日本が迎えたのが、8月6日・・。
沖縄は、戦後も1951年に結ばれたサンフランシスコ条約により、事実上、アメリカの統治下におかれたままであったし、日本に返還されたのは、戦後から実に27年後の1972年のコトである。
現在も沖縄県民が、沖縄県以外の日本を「本土」や「内地」、あるいは「大和」と言う慣習があるのも、無理からぬコトなのかもしれない。
自分は64年前の戦争は、直接的には知らない世代であるが、沖縄が返還された1972年といえば、自分が生まれた年の翌年である。
自分の友人・知人には沖縄出身の者も多く、当然、世代的にも返還前後に生まれている。
彼らが見つめる「戦争」や「戦後」も、自分とはまた違ったものなのかも・・と思わされるコトもしばしばだ。
暑い夏の季節になると、戦争もののドラマがテレビで流れていたり、世代によっては当時の記憶がよみがえる・・という人もあるだろう。
それは忘れてしまいたい記憶であるとともに、決して忘れてはならない、風化させてはならない記憶でもある。
戦争を経験した多くの人たちが亡くなって、その記憶が薄れてしまったというコトは、それだけ戦争のない平和な時代が続いているという、喜ばしいコトといえよう。
しかし、未来の平和のためにも、今の時代に生きる我々が、戦争の悲惨さ、その記憶を語り継ぐ努力を、これからも忘れてはならないだろう。