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Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

sustainable~持続可能な~

2011年02月09日 | 人生覚書き

 

      「特別なコトをやるために

    特別なコトは必要ない」

           イチロー

            (メジャーリーガー/シアトル・マリナーズ外野手)

 

「100」の結果を出す為には、「100」を出そうとするとダメ。

ごくノーマルなコトが、それにつながる。

7、8割の方が「100」を引き出す可能性がある。

たとえば、「100」を出す為に120とか、ムチャクチャなコトをやったりするけど、結局しんどいから続かない。

自分はそーゆーのは、一切ない。

続けられるコトだけをやって来た・・。

 

糸井重里との対談でイチローが語っていた内容で、イチローが常に心掛けている、こうした内容を”sustainable”―「持続可能な」―と糸井は評した。

 

まあ、「継続は力なり」・・とゆーコトでしょうね・・。

 

結局、何でも、最後までやり続けたものが勝ちだね・・。


イチローが目指すもの

2011年02月07日 | 人生覚書き

普段、野球を見ない、野球には”うとい”自分もそうだが、さほど野球好きでない人でもイチローの名は知っているだろう。

人気・実力ともに超一流の、かつての長島に並ぶような、言わずと知れた名選手である。

 

渡米後、10年連続200本安打という前人未到の記録を達成、262本年間最多安打記録、 オールスターゲームにも毎年出場し、オールスター史上初のランニング・ホームランなど、実力はもちろん、”もっている”選手。

 

そんなイチローの”もっている”場面といえば、思い出されるのが2009年、連覇のかかったWBCの韓国との決勝戦。

(カテゴリー/最近思うコト:「WBC、侍ジャパン連覇!」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/c1284043b4bc4434ae61b4f86da335ad

 

この間、不振を極めたイチローは、チャンスで、ことごとく凡退を重ねていた。

しかし、延長10回表、2アウト1、3塁、1打勝ち越しの場面で、イチローの打順が回ってきた。

 

糸井重里との対談で、この時のコトを、おそらく、未来においてもないであろう、「野球人生において、最も大きな恐怖を味わった打席」と述べている。

常に「今までのコトを全て捨てられる」という思いで戦い続けてきたイチローは、この時、「今までのコトが全て消されてしまう」という、かつてない恐怖を味わったという。

 

「頼むから敬遠してくれ!」―そうすれば、自分のプライドも保たれる・・そんな思いでバッターボックスに向かったが、キャッチャーが座った瞬間―すなわち、敬遠はないと分かった瞬間―今まで以上に強い、「来い!」という思いが湧いてきたという。

 

―この話を聞いた時、長谷川穂積が絶体絶命のピンチが続いた時、心の奥底から湧き上がってくるという”第3の気持ち”のコトが思い出されたが・・。

(カテゴリー/格闘技:「第3の気持ち」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/5fd247bf35c541a5b30fef43c2bdfdc9

 

イチローは見事、センター前にヒットを放ち、最後の最後で日本を連覇へと導いた。

 

そんなイチローは2004年に、84年間破られるコトのなかったジョージ・シスラーがもつ年間最多安打記録、257本を抜く、258本目の安打を、シスラーの遺族が見守る中、達成!

その後も記録を伸ばし、この年に262本という大記録を打ち立てた。

 

ミズーリ州セントルイスに住む、シスラーの孫、ピート・ドロッケルマンは、偉大な祖父の記録がイチローに抜かれてしまうコトで、祖父が忘れ去られてしまうのではないかと、ある時には、これ以上イチローがヒットを打たないように!・・と祈ったコトもあると、正直に、この時のコトを述懐している。

 

それから5年後の2009年、オールスターゲームでイチローがセントルイスを訪れた際、華やかな祭典のさ中、人知れず、シスラーの墓参りをした。 

そのコトを伝え聞いていたピートさんは、後に、その時のイチローの墓参りの写真を見て驚いた。

 

そこには想像していたのとは違う、祖父の墓前に白い花を供え、ひざまづいて、真摯に祈るイチローの姿があったからだ。

 

「感動しました。イチロー選手は、謙虚な方ですね・・」

―そう、涙ぐみながら語っていたピートさんの姿が印象深かった。

 

この時、イチローはシスラーの墓前に、おこしてすいませんでした、キッチリやりますから・・という決意表明をしてきたという。

 

対談の冒頭、エライ人として扱われるのは、もう慣れてるだろうから・・と切り出した糸井に、「”エライ”って何ですか?」とイチローは切り替えした。

それに対する糸井の、人に出来ないコトや、歴史に残るコトをした人・・という答えは、まさしく、イチローの偉業に当てはまるだろう。

 

しかし、「それって『結果』だけの話だったりしないですか・・?でも、”エライ”人って、そこじゃないですよね、ホントは・・」

 

―そう語るイチローが目指すものは、きっと外的な結果というより、何か、もっと内面的な、偉大な結果に見合うだけの、”野球人”としての、さらなる人間的な成長を求めているのではないか?・・と、思わされた。

 

事実、イチローは過去に2度、国民栄誉賞の授与を打診されているが、モチベーションの低下を懸念し、自分はまだ途上である・・との理由から、2度とも断っている。

 

”孤高の天才”の眼前には、さらなる高みが待ち受けている・・。

 

 

 

 


空とぶ小鳥は

2011年01月03日 | 人生覚書き

それだから、あなたがたに言っておく。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。

命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

 

空の鳥を見るがよい。

まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。

それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。

あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。

野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。

働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

 

ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。

あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

 

まず神の国と神の義とを求めなさい。

そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。

あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

               

                  マタイによる福音書6:25~34


文七元結

2010年12月30日 | 人生覚書き

本所達磨横町に住む、左官の長兵衛

腕はいいが博打に凝り、仕事もろくにしないので家計は火の車。

博打の借金が五十両にもなり、年も越せないありさまだ。

今日も細川屋敷の開帳ですってんてん、法被(はっぴ)一枚で帰ってみると、今年十七になる娘のお久がいなくなったと、女房のお兼が騒いでいる。


おまえさんが博打で負けた腹いせに、あたしをぶつのを見るのがつらいと、身でも投げたら、あたしも生きていないと、泣くのを持て余ましていると、出入り先の吉原・佐野槌から使いの者。

お久を昨夜から預かっているから、すぐ来るようにと女将さんが呼んでいるという。

 

博打で着物も全部売り払っており、吉原界隈へ着ていくものがないと、いやがる女房の着物を奪い、慌てて駆けつけてみると、女将さんの傍らでお久が泣いている。

実はお久、自分が身を売って金をこしらえ、おやじの博打狂いを止めさせたいと、涙ながらに頼んだという。

こんないい子を持ちながら、なんでおまえ、博打なんぞするんだと、きつく意見され、長兵衛、つくづく迷いから覚めた。

お久の孝心に対してだと、女将さんは五十両貸してくれ、来年の大晦日までに返すように言う。

それまでお久を預り、自分の身の回りを手伝ってもらうが、一日でも期限が過ぎたら客を取らせるよ、娘がかわいいなら、一生懸命稼いで請け出しにおいで、と言い渡されて長兵衛、必ず迎えに来るとお久に詫び、佐野槌をあとにした。

 

五十両を懐に吾妻橋に来かかった時、若い男が今にも身投げしようとするのを見た長兵衛、抱き留めて事情を聞くと、男は日本橋横山町三丁目の鼈甲(べっこう)問屋・近江屋卯兵衛の手代・文七

橋を渡った小梅の水戸さまで掛け取りに行き、受けとった五十両をすられ、申し訳なさの身投げだという。

どうしても金がなければ死ぬよりないと聞かないので、長兵衛は迷いに迷った挙げ句、これこれで娘が身売りした大事の金だが、命には変えられないと、断る文七に金包みをたたきつけてしまう。

 

一方、近江屋では、文七がいつまでも帰らないので大騒ぎ。

実は、碁好きの文七が殿さまの相手をするうち、うっかり金を碁盤の下に忘れていったと、さきほど屋敷から届けられたばかり。

 

夢うつつでやっと帰った文七が五十両をさし出したので、この金はどこから持ってきたと番頭が問い詰めると、文七は仰天して、吾妻橋の一件を残らず話した。

 

だんなは、世の中には親切な方もいるものだと感心、翌日、文七を連れて達磨横町の長兵衛宅へ。

途中の酒屋でお礼にと酒を求め、長兵衛の家を尋ねると、そこの夫婦喧嘩をやってる家だから、すぐにわかりますよという。

 

喧嘩の最中にやって来た近江屋と文七に驚いた長兵衛、裸同然の女房を枕屏風に隠し、昨日金をやった文七と再会、近江屋も訳を話し、五十両を返すという。

しかし、長兵衛、1度やったもんは受け取れないと、江戸っ子のやせ我慢でつっぱねているが、奥から女房が袖を引くので受け取ることになった。

「この金のおかげで昨日から寝てないんです」

 

人が困ってる時に、自分を犠牲にしてまで助ける心意気に感服した近江屋は、ぜひ、親戚付き合いして欲しい、文七は身寄りのない身、ぜひ親方のように心のまっすぐな方に親代わりになっていただきたいと願い出た。

 

話がまとまり、こんなめでたい事なので、お酒を差し上げたい、それから肴も差し上げたいとの申し出に長兵衛、

「待って下さい、酒は好きだから喜んでいただくが、肴は塩だけで結構」

 

すると、なんと!肴は駕籠に乗って帰ってきた、文金高島田に着飾ったお久だった。

昨夜、文七から吾妻橋での一件を聞いた近江屋が、みんなを寝かせたあと、話を頼りに佐野槌へお久を身請けしに行っていたのだった。 

過ぎたる肴と、長兵衛はお久と裸同然の女房と3人、抱き合って涙した。

 

これが縁で、文七とお久は夫婦になり、文七と長兵衛は正真正銘、本当の親子になった。

 

後年、文七は麹町は貝坂に小間物屋を出し、工夫を凝らした元結をあみ出した。

それが評判で店は大変繁盛し、人はそれを「文七元結」(ぶんしちもっとい)、「文七元結」と、持てはやしたという。

                    

                      


愛とは

2010年12月24日 | 人生覚書き

たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢にょうはち)と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

 

愛は寛容であり、愛は情深い。

また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

           

                  コリント人への第一の手紙13:1~7

 


岩と呼ばれた男

2010年12月24日 | 人生覚書き

イエス十二使徒の中、最年長で、常に筆頭にあげられるリーダー的存在だったシモン・ペテロ

「ペテロ」は、ギリシア語で「岩」のイミで、シモン・ペテロは、いわば、”岩のシモン”といったトコロだろうか・・?

「あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)とあるように、本来はアラム語で、同じく「岩」のイミをもつ「ケファ」(Cephas)と呼ばれた。

元は漁師で、弟のアンデレと共にガリラヤ湖で網を打っているトコロを、通りがかったイエスに、人間をとる漁師にしよう(マタイ4:19)といわれ、弟子になった。  

 

「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)

・・と最初に信仰告白し、イエスからこう言われる。

「あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。」(マタイ16:18~19) 

ヨハネヤコブと共に3弟子の1人で、常にイエスにつき従い、後に初代ローマ教皇となる 

 

―そう聞くと、聖人にも列せられている人物だけに、”岩”のように揺るぎない、堅固な信仰をもっていた・・と思うが、聖書を読むと、意外にそそっかしいトコロがうかがえたり、そうばかりではないコトがわかる。

・・だからといって不信仰だと言うのではなく、とてもまっすぐで、人間味あふれる人柄であると同時に、人間的な”弱さ”もあわせもつ人物だったと、親しみを覚えるのである。

 

たとえば、有名な最後の晩餐と呼ばれる場面で、弟子たちの足を洗うイエスに、自分の番になったペテロは、自分の足を洗わないで下さいと言ったが、それに答えてイエスは、

「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」

それに対するペテロの返しが、なかなかナイスだ。

「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」(ヨハネ13:5~9)

・・・・。


また、海の上を歩いて来るイエスを幽霊だと思っておじ惑い、恐怖のあまり叫んでいる舟の上の弟子たちに、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と声をかけた時も、ペテロは真っ先に答えてこう言う。

「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。

イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。

しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(マタイ14:22~31)

・・このように、自らがイエスの奇跡を体験しながら、ちょっと風が吹くと恐ろしくなり、疑っておぼれてしまい、「信仰の薄い者よ」とたしなめられている。

 

イエスが、自分が殺されるコトを語った時など、ペテロは自分のわきへイエスを引き寄せて、とんでもないコトです・・といさめ、イエスから「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:21~23)とまで言われている。

 

さらには、いよいよ十字架に架けられるかという時、「悲しみのあまり死ぬほどである」という、深刻なゲツセマネの祈りの場面で、イエスが必死で祈っている時も、一緒に目をさましていなさい・・と言われたにもかかわらず、眠ってしまい、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。」と怒られた。

それから、またイエスが祈って戻って来ると、また寝ていたので、イエスはペテロたちをそのままにしてまた祈りに行き、戻って来ると、まだ眠りこけていた(マタイ26:36~45)・・とある。

 

イエスに最も近い弟子であるペテロでさえ、イエスが最も苦しまれている時に、共に祈るコトが出来ず、眠りこけていたのである。 

もっとも有名なのは、イエスの処刑の際の、ペテロの3度の否認であろう。

 

「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。

するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。(ルカ22:33~34)

 

そして、イエスの言葉の通り、イエスのコトを3度、知らないと言ってしまう。

「死に至るまでも・・」と言った、その口の、舌の根のかわかぬうちに・・である。

その瞬間、鶏が鳴き、イエスの言葉を思い出したペテロは、激しく泣いた。(ルカ22:54~62)

 

しかし、イエスは復活した後、ペテロを訪ね、3度、「わたしを愛するか」と尋ねる。 

その度に「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と答える。

イエスもその度に「わたしの羊を養いなさい」と言う。

 

イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。


ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。

イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」(ヨハネ21:15~17)


イエスは、ペテロの3度の裏切りを、3度、あなたを愛します・・と答えさせるコトで、償わせ、許したのである。

 

それ以来、ペテロは回心し、その後も使徒の長として熱心に伝道活動を続け、ヘロデ王によって投獄されるなど、迫害を受けながらも教会の育成と信仰に務めた。

パウロと共に二大使徒と呼ばれ、異邦人への福音が任されたパウロに対し、割礼を受けた人々(ユダヤ人)への福音が任された(ガラテヤ2:7)といわれるが、コルネリウスをはじめとする異邦人に対して、初めての洗礼を授け(使徒行伝10:44~48)、後の使徒会議(A.D.48)において、無割礼での入信を認める発言をする(使徒行伝15:7~11)のもペテロである。

 

皇帝ネロの時代(A.D.54~68)、パウロに続いてローマに向かい、かつてサマリアにいた魔術師シモンを打ち負かしたが、女性に夫との不浄な関係を絶つように諭したとして長官アグリッパや皇帝の友、アルビヌスの不興を買ってしまう。

仲間の勧めでローマを逃れようとしたところ、逆にローマに入ろうとしていたイエスを見かけ、「主よ、どちらへ行かれるのですか?」と問いかける。

 

映画にもなった有名な「クォ・バディス」というラテン語は、この時のペテロの「Domine 、Quo Vadis ?」(主よ、いずこへ行かれるのですか?)という問いかけのコトである。

 

その問いかけに対し、イエスは「再び十字架にかけられるためにローマへ・・」と答えたといい、その言葉によって悔い改めたペテロは、再びローマに戻って処刑されたという。

その際、イエスと同じ十字架刑はおそれ多いとして、逆さまに十字架に架けられて処刑されたと伝えらていれる。

  

ローマの郊外にあったバチカンの丘のペテロの墓と伝えられる場所に、後世になって建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂

ペテロの墓の上に、現在のローマ・カトリックの総本山、バチカンがあるのである。

イエスが「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われたごとく・・。

 

ちなみに、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の「サン・ピエトロ」とは、「聖ペテロの~」というイミである。

 

 
 

 


処世訓

2010年12月11日 | 人生覚書き

 

      「短気は損気、急がば回れ」

                        

                     秋山久敬 (秋山好古・真之兄弟の父)

       

                     (NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」より)