イエスの十二使徒の中、最年長で、常に筆頭にあげられるリーダー的存在だったシモン・ペテロ。
「ペテロ」は、ギリシア語で「岩」のイミで、シモン・ペテロは、いわば、”岩のシモン”といったトコロだろうか・・?
「あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)とあるように、本来はアラム語で、同じく「岩」のイミをもつ「ケファ」(Cephas)と呼ばれた。
元は漁師で、弟のアンデレと共にガリラヤ湖で網を打っているトコロを、通りがかったイエスに、人間をとる漁師にしよう(マタイ4:19)といわれ、弟子になった。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)
・・と最初に信仰告白し、イエスからこう言われる。
「あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。」(マタイ16:18~19)
ヨハネ、ヤコブと共に3弟子の1人で、常にイエスにつき従い、後に初代ローマ教皇となる。
―そう聞くと、聖人にも列せられている人物だけに、”岩”のように揺るぎない、堅固な信仰をもっていた・・と思うが、聖書を読むと、意外にそそっかしいトコロがうかがえたり、そうばかりではないコトがわかる。
・・だからといって不信仰だと言うのではなく、とてもまっすぐで、人間味あふれる人柄であると同時に、人間的な”弱さ”もあわせもつ人物だったと、親しみを覚えるのである。
たとえば、有名な最後の晩餐と呼ばれる場面で、弟子たちの足を洗うイエスに、自分の番になったペテロは、自分の足を洗わないで下さいと言ったが、それに答えてイエスは、
「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」
それに対するペテロの返しが、なかなかナイスだ。
「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」(ヨハネ13:5~9)
・・・・。
また、海の上を歩いて来るイエスを幽霊だと思っておじ惑い、恐怖のあまり叫んでいる舟の上の弟子たちに、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と声をかけた時も、ペテロは真っ先に答えてこう言う。
「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。
イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」(マタイ14:22~31)
・・このように、自らがイエスの奇跡を体験しながら、ちょっと風が吹くと恐ろしくなり、疑っておぼれてしまい、「信仰の薄い者よ」とたしなめられている。
イエスが、自分が殺されるコトを語った時など、ペテロは自分のわきへイエスを引き寄せて、とんでもないコトです・・といさめ、イエスから「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:21~23)とまで言われている。
さらには、いよいよ十字架に架けられるかという時、「悲しみのあまり死ぬほどである」という、深刻なゲツセマネの祈りの場面で、イエスが必死で祈っている時も、一緒に目をさましていなさい・・と言われたにもかかわらず、眠ってしまい、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。」と怒られた。
それから、またイエスが祈って戻って来ると、また寝ていたので、イエスはペテロたちをそのままにしてまた祈りに行き、戻って来ると、まだ眠りこけていた(マタイ26:36~45)・・とある。
イエスに最も近い弟子であるペテロでさえ、イエスが最も苦しまれている時に、共に祈るコトが出来ず、眠りこけていたのである。
もっとも有名なのは、イエスの処刑の際の、ペテロの3度の否認であろう。
「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。(ルカ22:33~34)
そして、イエスの言葉の通り、イエスのコトを3度、知らないと言ってしまう。
「死に至るまでも・・」と言った、その口の、舌の根のかわかぬうちに・・である。
その瞬間、鶏が鳴き、イエスの言葉を思い出したペテロは、激しく泣いた。(ルカ22:54~62)
しかし、イエスは復活した後、ペテロを訪ね、3度、「わたしを愛するか」と尋ねる。
その度に「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と答える。
イエスもその度に「わたしの羊を養いなさい」と言う。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。
イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」(ヨハネ21:15~17)
イエスは、ペテロの3度の裏切りを、3度、あなたを愛します・・と答えさせるコトで、償わせ、許したのである。
それ以来、ペテロは回心し、その後も使徒の長として熱心に伝道活動を続け、ヘロデ王によって投獄されるなど、迫害を受けながらも教会の育成と信仰に務めた。
パウロと共に二大使徒と呼ばれ、異邦人への福音が任されたパウロに対し、割礼を受けた人々(ユダヤ人)への福音が任された(ガラテヤ2:7)といわれるが、コルネリウスをはじめとする異邦人に対して、初めての洗礼を授け(使徒行伝10:44~48)、後の使徒会議(A.D.48)において、無割礼での入信を認める発言をする(使徒行伝15:7~11)のもペテロである。
皇帝ネロの時代(A.D.54~68)、パウロに続いてローマに向かい、かつてサマリアにいた魔術師シモンを打ち負かしたが、女性に夫との不浄な関係を絶つように諭したとして長官アグリッパや皇帝の友、アルビヌスの不興を買ってしまう。
仲間の勧めでローマを逃れようとしたところ、逆にローマに入ろうとしていたイエスを見かけ、「主よ、どちらへ行かれるのですか?」と問いかける。
映画にもなった有名な「クォ・バディス」というラテン語は、この時のペテロの「Domine 、Quo Vadis ?」(主よ、いずこへ行かれるのですか?)という問いかけのコトである。
その問いかけに対し、イエスは「再び十字架にかけられるためにローマへ・・」と答えたといい、その言葉によって悔い改めたペテロは、再びローマに戻って処刑されたという。
その際、イエスと同じ十字架刑はおそれ多いとして、逆さまに十字架に架けられて処刑されたと伝えらていれる。
ローマの郊外にあったバチカンの丘のペテロの墓と伝えられる場所に、後世になって建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂。
ペテロの墓の上に、現在のローマ・カトリックの総本山、バチカンがあるのである。
イエスが「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われたごとく・・。
ちなみに、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の「サン・ピエトロ」とは、「聖ペテロの~」というイミである。
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