竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(ステレオ録音)が、ついにCD化!

2011年04月26日 16時01分08秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 以下は、まだ1ヵ月以上先の6月1日に発売が予定されているCD、モーツアルト『ピアノのための変奏曲全集』第1集のために書いた「ライナー・ノート」の原稿全文です。オリジナルLPレコードと同じ曲順、構成で、CD3枚が順次発売されます。発売はもちろん日本ウエストミンスターからです。解説は、今回の標題にあるように、ジャノーリとレコードに関連する話題を3回に分けて書いていく予定です。(実は、きのうから第2集用と第3集用の原稿を書きはじめています。)
 日本ウエストミンスターさんへの、ジャノーリCD化に伴う私の解説執筆も、ドビュッシー、メンデルスゾーンと続いて、もう4枚目。そろそろ、ジャノーリについての「まとめ」に向かいたいと思っています。

 さて、今回も、私のLPレコードコレクションから資料をご提供しましたが、CDジャケットのオモテには、オリジナルレコードの中面に印刷されていたジャノーリの写真を使用することになりました。私の記憶では、その写真を使用したジャケットデザインは、一度もなかったと思いますので、初めてご覧になる方も多いのではないかと思います。私自身、もうかれこれ20年ほども前になりますが、やっとの思いで海外の中古レコードのオークションから入手したレコードが届いた時、初めて見るジャノーリの輝くような眼が印象的なその写真を見て、かなり興奮したのを、つい昨日のことのように思い出します。

 なお、ライナー・ノートのなかで「別記参照」とあるのは、このブログのための以下の補足事項のことです。この「変奏曲」録音に続くものに関して、誤解されかねない書き方をしていることに気づいた時には、もう印刷に回ってしまったようなので、「第1集」のライナーノートではあきらめていたものです。「第2集」のライナーノートで、補足説明として以下の「別記」を生かすことになるでしょう。

(■別記)
 ジャノーリにとって米ウエストミンスターへの最後の仕事となったモーツァルトの「変奏曲」がステレオ方式で録音された頃、フランスはまだモノラル録音が主流でした。そのため、これに続く録音であるはずのショパン「協奏曲」も、最初にフランスで会員制頒布と思われる「ディスク・クラブ盤」で発売された時にはモノラル盤でした。それが、本日の当ブログ冒頭に掲げた写真です。けれども、その後、一般の市販レコードとして発売したフランスの「ムジディスク」では、「ステレオ」となっています。それで、私としては「仏ムジディスク盤」と表現してしまったのです。ですから一般市販の初出は、おそらく仏ムジディスクと思われるのですが、どこ社の音源であるのか、どれが初出盤か、ということについては、簡単に断定できないのです。
 そもそもフランスの「クラブ盤」は、出所がよくわからないものが多いのですが、このジャノーリのショパン「協奏曲」も、バックが西ドイツのオーケストラですから、フランスの会社主導による録音ではないように思います。しかも、この時期、まだラジオ放送は、ドイツもイギリスもフランスもモノラル放送でしたから、ドイツの放送用音源の転用ではないと思います。そこで、私としては、この時期に横行していたアメリカのマイナー・レーベルへのステレオ音源を制作していた独立系の小さな会社の、オープンリールの録音テープ音源ではないか、と思っているのですが、確信はありません。いずれにしても、数多く流布している(はずの)一般市販、ということで、ここでは「仏ムジ・ディスク盤」としてしまいましたが、オリジナル録音がどこなのかは、結局、まだわかっていません。どなたかご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄にてご教示ください。なお、このショパンの「協奏曲」演奏、現在は「仏アコード」から、仏アデへのショパンワルツ集との2枚組でCD化されています。しかしもちろん、「仏アデ」原盤ではないはずです。
 

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 申し訳ありません。2、3行程度、ちょっと補足しようと思っていたら、こんなに長くなってしまいました。最近、携帯からこのブログにアクセスする友人に「1回で、あまり長い物を書かれると、開きにくくて読みづらい」と言われていますので、本日は、ここまでにします。明日、ライナーノートの「本文」を、明後日に、「曲目解説」の部分をupします。

■4月27日追記
さっそく、今村亨さんから、上記の私の疑問に、詳細なレポートがきました。相変わらず、「さすが」です。きちんと整理して、明日にでもupします。





若き日の「レーヌ・ジャノーリ」と「ミラン・ホルヴァート」が共演したメンデルスゾーンの『ピアノ協奏曲』

2010年11月19日 11時08分30秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)



 とうとうレーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン小品集がCDで初発売されました。日本ウエストミンスターの復刻CDです。このブログでは、ご紹介を兼ねて、そのCDのために私が執筆したライナーノートを、10月15日付で掲載しましたので、その魅力については、そちらをご覧ください。

 さて、以下は、その続きとして、12月の新譜として発売が予定されている「メンデルスゾーンのピアノ協奏曲」のライナーノートです。これこそが、私がまだ20歳に満たなかった学生時代、レーヌ・ジャノーリに出会った最初のレコードの復刻CDです。つい、感情移入して書いてしまいました。
 このところ、注目度が上がってきているとは言え、ジャノーリは、もっと、もっと聴かれていいピアニストです。ご縁があって、このブログを読んでくださっている多くの方々に、心からお薦めします。

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■ジャノーリのメンデルスゾーン「ピアノ協奏曲」――その個性的演奏の魅力

 個人的な思い出から書きはじめることをお許しいただきたい。実は、このCDアルバムに収められたメンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲第1番」「同第2番」こそ、私がレーヌ・ジャノーリという魅力あふれるピアニストの演奏と出会った最初の音楽なのである。今から40年以上も前のこと、1968年のことだったはずだ。私は大学生になったばかりだった。東京・渋谷のハチ公前広場の向かいにあった「名曲喫茶 らんぶる」の2階で、私はこの演奏を初めて聴いた。加えて、メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲」という、決してよく聴かれるというほどではない曲の初体験でもあった。
 以来、私にとって、この2曲、とりわけ第1番は、「見かけたら必ず買う」と決めた数少ない曲のひとつとなり、私のレコード棚もCD棚も、この曲のために随分のスペースを占めるようになったが、ジャノーリ盤はそれ以来、長い間、見かけたことがなかった。そうして、その出会いから何年も経ったある日のこと、神保町の古書店街で立ち寄った中古レコードの「レコード社」で、以前に見ていたものと同じダブルジャケットの米盤LPを見つけて買って帰った日の興奮は、今でも忘れることができない。私は、必ずしも状態が万全ではなかったそのLPを、大切に慈しむように何度も何度も聴いた。
 私のレコードコレクター仲間のひとりが、随分むかしに言っていた言葉に「レコードというものは、それを欲しいと念じている人の所に、必ず集まってくる」というのがあるが、その言葉を、私もどこかで信じている。数年後、仕事で大阪に出かけた折、心斎橋の「三木楽器」でたまたま開催していた「廃盤LP逸品市」で、今度は60年代プレスの米盤を見つけたのだ。ジャノーリのメンデルスゾーン「ピアノ協奏曲」、私の2枚目のコレクションである。
 だが、ジャノーリのレコードを手に入れるまでに買い集めてしまったものからは、ジャノーリの演奏で得られた情感の記憶は再現できなかった。ただ唯一、ジャノーリとは異なるアプローチながら、ルドルフ・フィルクスニーの米ヴォックス盤が、その瑞々しい珠が転がり出てくるような自在なピアノの響きで、速いテンポに説得力のある幻想性を帯びた秀演だった。(余談ながら、私がフィルクスニーというピアニストに最初に耳を奪われたのも、シューマンの協奏曲のB面に収録されたこのメンデルスゾーン「第1番」だった。)
 話題をジャノーリに戻そう。ジャノーリのこの2つの協奏曲の演奏は他の誰の演奏とも違う強い個性を持っており、そのために、ジャノーリの演奏は、他に替え難いものとなっているのだが、それは、どこから生まれるのだろうか。
 ジャノーリは、そのデビュー盤がバッハの作品集だったことが知られているが、そのことと、メンデルスゾーンが西洋音楽史上でバッハ再評価機運の形成に果たした役割の大きさとを関連づけて、私は既発売のCDアルバムJXCC-1065の解説で「メンデルスゾーンを弾くレーヌ・ジャノーリの魅力」と題し、「調和や秩序と、幻想性や自在さが絶妙のバランスを保っている」演奏であるということを強調した。それは、ロマン派の作曲家メンデルスゾーンの音楽に隠されている均整のとれた古典的な美しさに光を当てようとしているということだった。自在な夢の発露は、厳しい枠組みの合間から滲み出てきた時ほど、より美しい。それが、ジャノーリのメンデルスゾーンの魅力の本質だった。
 今回の「協奏曲」の演奏でも、そうした特徴はくっきりと息づいている。むしろ、より鮮明になっていると言ってもよい。それは、決然と開始される「第1番」の冒頭で、すぐさま納得できるだろう。これほどに旋律の輪郭を強調し、一画一画をくっきりと描こうという意志を示す演奏は他にない。それは、伴奏のオーケストラも同様だ。
 このアルバムでのオーケストラは、ウィーン国立歌劇場を中心とした臨時編成で、指揮は後にウィーンのオーストリア放送交響楽団初代音楽監督となって現代の音楽にも挑んだ若きミラン・ホルヴァート。録音は1955年6月にウィーンのコンツェルトハウス内のモーツァルト・ホールで行われている。アメリカのマイナーレーベルが続々とウィーンに進出していた時期のことで、ジャノーリにとっては1951年のヘルマン・シェルヘン指揮モーツァルト「2台のピアノのための協奏曲」(スコダとの共演)以来の協奏曲録音だった。一方、ホルヴァートのこの時期の録音は珍しいが、ここでの指揮ぶりにも、後のホルヴァートの野太く即物的な旋律の鳴らし方が既に現れていて、当時のウィーン音楽界の若い世代の進取の気概の一端を聴く思いがする。ロマン派の音楽に耽溺しない「新しいウィーン音楽界」の息吹を聴く思いだ。そしてそれが、ジャノーリのメンデルスゾーンの特質を、より先鋭化したように思う。いつになく切り立った表現を保ち続けるピアノから感じられることだ。
 「第1番」と「第2番」との曲想を対照的に弾き分ける大きな落差も、このアルバムでの大きな魅力だ。「第1番」の決然とした開始に対して「第2番」の翳りの濃さも特筆すべきことで、この双生児のような2曲を、あたかも「陽」と「陰」とに区分してしまったかのような鮮やかさで迫る。どちらも中間楽章の繊細さ、終楽章の華やかさまで、楽章間に切れ目がなく一気に進んでいくが、その輪郭の明瞭な音楽は最後まで一貫している。この極めて個性的なメンデルスゾーンの協奏曲録音は、ジャノーリとホルヴァートとの出会いから生まれた名演なのかも知れない。今回、久しぶりに聴き直して、そのことを強く感じた。(2010. 9. 23 執筆)

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 もう既に予約受付中です。アマゾンでは、詳細検索をキーワード検索で「ジャノーリ」とすれば、簡単に辿りつけます。

【このブログへの掲載に際しての追記】
 文中、「ジャノーリのデビュー盤はバッハ」という記述がありますが、つい最近、その「米ウエストミンスター」との初レコードの数年前に、SP盤でベートーヴェンのソナタが1曲あることを知りました。とてもいい演奏で、「ジャノーリらしさ」が既に確立していることでも、うれしい新発見でしたが、これについては、近日中に当ブログで詳しくご紹介するつもりです。思いつきで無責任に書くわけにはいかないので、少し時間をください。じつは、今、ゆっくりと聴き直す時間が取れないのです。
 私ごとで恐縮ですが、今、年末に発行の著書『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア)の最後の追い込みに入っていますので、気が抜けません。例によって、私の趣味もあって脚注や索引を頑張っています。これについても、落ち着きましたらご報告します。





レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン・ピアノ独奏曲集の演奏曲目

2010年10月16日 10時41分33秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
昨日のブログの続きです。レーヌ・ジャノーリが弾くメンデルスゾーンのピアノ独奏曲の初CDのために執筆したライナーノートの後半部分(曲目解説)となります。昨日分と併せてお読みください。



《演奏曲目についてのメモ》

[01] 前奏曲とフーガ ホ短調 作品35-1(メンデルスゾーン)
 この作品35‐1は『6つの前奏曲とフーガ 作品35』として6曲をまとめて1837年に刊行されている内の第1曲。アルペジオの伴奏音型から歌うような旋律が登場して繰り返される前奏に続いてフーガ主題が静かに現れて応答し、劇的に展開された後、ホ長調に転調して平和な終結部を迎える。この4声のフーガの展開は明らかにバッハの作品を意識したものだが、その劇性にはメンデルスゾーンの個性が色濃く表れている。

[02] ロンド・カプリチオーソ ホ長調 作品14(メンデルスゾーン)
 1833年に出版され、作品14となっているが、実際に作曲されたのはそれよりもかなり以前、メンデルスゾーン15歳の作品ではないかとされている。メンデルスゾーンの神童ぶりを感じさせる爽やかで清新な作品である。穏やかに開始される序奏部が次第に高揚してゆき、やがて静まると、ロンドに突入する。素早い動きの部分と和やかな部分とが交替するなかに経過的部分を挟んだABACBAとなっている。A部分の素早い動きは、17歳の時に書きあげている『真夏の夜の夢』序曲の旋律を思い起こさせる。短い結尾部を設けている。

[03] 厳格な変奏曲 ニ短調 作品54(メンデルスゾーン)
 主題と、それに続く17の変奏とコーダで構成されている1841年の作品。穏やかな主題が静かに提示されるが、やがて16分音符の細かな動きを伴った第1変奏が始まる。以下、リズムも音色も多彩な変奏が次々に繰り広げられる。だが決して気まぐれに分散していくような印象がなく、各変奏を通じて、繰り返し主題の曲想に収れんしていくような一貫したニュアンスを保っている。「厳格な」という名称がよくあてはまる作品である。

[04] スケルツォ・ア・カプリッチョ 嬰へ短調(メンデルスゾーン)
 1836年頃の作曲と推定されているが、よくわからない作品。メンデルスゾーンらしい素早い動きのスケルツォが、軽やかに飛び交う妖精のような旋律でもあり、無言歌中の作品『紡ぎ車』のようでもある。メンデルスゾーンの世界を一気に聴かせる佳曲だ。

[05] エチュード 変ロ長調 作品104b-1(メンデルスゾーン)
[06] エチュード ヘ長調 作品104b-2(メンデルスゾーン)
[07] エチュード イ短調 作品104b-3(メンデルスゾーン)
 メンデルスゾーンは1847年にわずか38歳で急死してしまったため、生前に出版されて作品番号が与えられたのは72曲しかない。作品番号73以降は、すべて作曲者の死後に出版されたものである。『3つのエチュード 作品104‐b』として出版されたこの3曲も、そうしたもののひとつ。作曲年はそれぞれ別々で、「変ロ長調」が1836年、「ヘ長調」が1834年、「イ短調」が1838年とされている。3曲をこの順で並べたのは出版社の意向でメンデルスゾーンの意図ではないはずだが、この並び方が音楽的にもまとまっているので、しばしばこの順でまとめて演奏される。

[08] アンダンテ・カンタービレ 変ロ長調(メンデルスゾーン)
[09] プレスト・アジタート ト短調(メンデルスゾーン)
 これも生前には出版されなかった作品。しばしば『アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート』として、一つながりの作品として演奏される。1838年の作品。かなり自由な歌謡旋律の「アンダンテ・カンタービレ」を前奏として、「プレスト・アジタート」の主部に続いていると見ることもできる。

[10] 無窮動 ハ長調 作品119(メンデルスゾーン)
 メンデルスゾーンの死後、かなり経った1873年に出版されているが、おそらく1830年代の作品と思われる。「無窮動」というタイトルは「常動曲」とも呼ばれている楽曲形式の名称。常に一定した音符の特徴的な動きを繰り返すもので、旋律の動きを止めることなく曲の終わりでまた初めに戻るように書かれていることが多い。急速なテンポの曲が多いが、メンデルスゾーンのこの曲は、かなり抒情味の溢れるものになっている

                *

 以下の3曲は、冒頭でも触れたように、先に発売されたドビュッシー『前奏曲集』と対を成すもの。ドビュッシー演奏でのジャノーリの魅力については、そちらのCDのライナーノートをご覧いただきたい。

[11] パゴタ(「版画」第1曲)(ドビュッシー)
 ドビュッシーがピアノ音楽の語法を確立した作品として、全3曲から成る『版画』は、『映像』と並んで重要な作品。それぞれがドビュッシーの想像の中で、ある地域のイメージに触発されて作曲されている。第1曲「パゴタ」は、インドネシア・バリ島民が演奏するガムラン音楽を聴き、その影響が反映していると言われている。パゴタは元来は「卒塔婆[そとうば]」のことだが、ヨーロッパでは「東洋の仏塔」のことを広範囲に指すことが多い。5音音階を用いて独特の東洋的なニュアンスを創り上げている。

[12] グラナダの夕べ(「版画」第2曲)(ドビュッシー)
 これはスペイン・アンダルシアが舞台となっている。冒頭にハバネラのリズムが現れるが、ムーア人の歌の調子や掻き鳴らすギターの響きなど、次々に、アンダルシアの古都グラナダの空の下を彷彿とさせる響きの断片が絡まりあう。

[13] 雨の庭(「版画」第3曲)(ドビュッシー)
 これはフランスの子どものための歌に材を採っている。「もう森になんか行かないよ」「ねんね、坊や」といった曲で、それらはフランスではかなり知られているものだと言う。これらの旋律を引用しながら不規則な雨の動きを挿入して、雨の降る庭の光景を描写している。『版画』三曲中、最も知られている作品で、様々なメディアでの引用や編曲も多い。


レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン・ピアノ独奏曲、初CD化!

2010年10月15日 10時30分30秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)



 いよいよ、レーヌ・ジャノーリのドビュッシー「前奏曲全曲」が、今月20日に発売されます。(当ブログ、9月8日既報)以下は、それに続いて、来月発売されるCDのために執筆した文章です。発売元の日本ウエストミンスターにご了承いただきましたので、全文、掲載します。同ライナーノートの後半、収録曲の詳細については、明日のこのブログに掲載します。


■メンデルスゾーンを弾くレーヌ・ジャノーリの魅力

 このCDアルバムは、フランスの生んだ名ピアニスト、レーヌ・ジャノーリ(1915~1979)によるメンデルスゾーンのピアノ曲という珍しいレパートリーを、初出時のLPレコードの曲順のまま収録して初CD化したもの。それに続けて余白に収録されているドビュッシー『版画』は、先ごろ初CD化に際して1枚に収められたドビュッシー『前奏曲(全曲)』で、オリジナルの2枚のLPレコードの余白に収録されていたものだ。少々違和感のある組み合わせのCDとなったが、これで、ジャノーリがウエストミンスターに録音したドビュッシーは全てCD化されたことになる。メンデルスゾーンのピアノ曲の録音は、独奏曲は今回CD化されたもののみで、その他には「ピアノ協奏曲第1番」「同第2番」の録音があるだけだ。これは次回に発売が予定されている。
                 *
 メンデルスゾーンは、決して長かったとは言えない生涯で、ピアノのための作品をかなり残している。その数は100曲を遥かに超えるが、その生涯を通して折に触れて作曲していた『無言歌集』以外は、あまり演奏される機会がない。ロマン派の作曲家としては、ショパンやシューマン、リストといった同世代、あるいは、その少し前の世代のシューベルトなどの陰に隠れてしまっている観がある。
 その理由に、メンデルスゾーンが生涯をかけていた「バッハ研究」の成果が、ピアノ独奏曲という分野に凝縮されていることが挙げられるかも知れない。自在な歌心をピアノに託した『無言歌』は、むしろ例外なのかも知れない。だが、メンデルスゾーンのピアノ曲の面白さは、バッハ的な厳格で調和のとれた世界の追求が、ロマン派特有の幻想的でメルヘン的な世界と共存しているところにこそある。その絶妙のバランスは一種の危うさをも内包していて、それを表現できる人は少ない。ジャノーリは、その数少ないひとりだった。
 そのことは、このアルバムの冒頭、『前奏曲とフーガ ホ短調』を耳にしただけでも十分に伝わる。あたりの空気をふわりと動かすような気配と、軽やかに流れる風のようなテンポの揺れ動き。こうした音楽の開始こそが、ジャノーリの世界の最大の特質だ。こうして開始された前奏が、深い呼吸の高揚を繰り返しながら終わりフーガ部分に入るが、そこでも、そのくっきりとした音型をしっかりと保ちながらも音楽がしばしば前のめりにせきこんで進み、終結部間際で再び大勢を立て直して終えるのを聴くと、「これは、やっぱりロマン派の音楽だ」と、思わず納得する。
 2曲目の『ロンド・カプリチオーソ ホ長調』は、夢見るような開始がいかにもジャノーリで、その後はメンデルスゾーンらしさを満喫する妖精の踊りのような軽やかな展開になる。3曲目『厳格な変奏曲』のような文字通り「厳格な」作品の演奏の変幻自在さにも、ジャノーリの美質がよく現れている。この特徴的なそれぞれの変奏曲を、音楽の外形と内実とに等しく心を通わせて、豊かな変化を描き分けられるピアニストは、めったに居ない。
 各曲の概要は、この稿の後に譲るが、このCDアルバムは、そうしたメンデルスゾーンの、あまり演奏されることのないピアノ独奏曲をまとめて聴くことで、ロマン派のピアノ曲の特質にも思いを馳せるものとなっている。
 忘れがちなことだが、ピアノが楽器として完成の域に達したのはベートーヴェンの時代と言ってよく、その奏法の上で柔軟さが聴かれるようになるのはシューベルトあたりからと言っても過言ではない。バッハの時代の鍵盤楽器の音楽は、コトコトと弾くものだった。
 メンデルスゾーンは幼いころにバッハを知り、その忘れられかけていたバッハの復権に尽力した最初の作曲家だ。メンデルスゾーンが果たした役割の大きさは、西洋音楽史の中でも大書されることのひとつであることがよく知られている。そのメンデルスゾーンの大事業として名高いのが、バッハの超大作『マタイ受難曲』の演奏会の実現だった。だが、その時のメンデルスゾーンによる大胆な改変は、バロック期の音楽をロマン派の時代に蘇生させようとするメンデルスゾーンの努力の跡が垣間見えはするものの、最近のピリオド奏法の側からすれば許しがたい表情付けや、特定の音型の強調、テンポの揺れなどが譜面に書きこまれているという。
 ジャノーリは、ウエストミンスターでのレコードデビューがバッハの『幻想曲 イ短調』『トッカータ ニ短調』と『シャコンヌ(パルティータ第2番より)』を収めたものだったのだが、それを聴くと、ジャノーリのバッハがどれほど自在な音楽を目指していたかがわかる。ジャノーリも、メンデルスゾーンも、しっかりとしたフォルムを守りながらも、そこに自在なものを求めていくということで、おそらく共通の土壌を持っていた。
 ジャノーリのメンデルスゾーン演奏の魅力は、メンデルスゾーンがバッハという「厳格な」フォルムと向き合うことで、むしろロマン派のピアノの雄弁さを描いてみせていたのだということを感じさせるところにある。調和や秩序と、幻想性や自在さが絶妙のバランスを保っているジャノーリのメンデルスゾーンは、ピアノの音の輪郭から滲[にじ]み出してきた滴[しずく]のように、きらきらと輝いて聞こえる。ロマン派の音楽が見ていた夢の続きを、21世紀になった今日、ゆっくりと考え直すには好適のアルバムのひとつだと思う。(2010.9.15)

レーヌ・ジャノーリの「ドビュッシー:前奏曲集」のCDが、ついに10月20日に発売!

2010年09月08日 10時56分40秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

                               
 レーヌ・ジャノーリの名演、ドビュッシー「前奏曲集」の全曲が、日本ウエストミンスターから、ついに初CD化されてまもなく発売されます(10月20日)。
 以下は、そのCDのライナーノート用にと依頼されて執筆した原稿です。同社のご了解のもと、その演奏について書いた部分を当ブログに全文掲載します。
 なお以下の文字列を一気にコピーしてネット上のサイトにアクセスすれば、アマゾンの、そのCDページが開きますので、詳細がわかり、予約もできます。ジャノーリの魅力に、ひとりでも多くの方がご興味を持たれることを期待しています。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%92%E5%BC%BE%E3%81%8F-%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AA/dp/B003ZUD8LK/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=music&qid=1283909728&sr=1-4


 どういうわけか、アマゾンの演奏者名詳細検索で「ジャノーリ」はヒットしません。私はいつもレーベル名詳細検索で「日本ウエストミンスター」から入っています。これを発売順に置き換えると、常に新譜がチェックできます。一度お試しください。


■レーヌ・ジャノーリのドビュッシーをめぐって 
 このところ日本ウエストミンスターによって続々と、LPレコードからの復刻CDが発売されているレーヌ・ジャノーリは、第2次世界大戦後に活躍したフランスの女性ピアニストの中でも特に傑出した人として、私にとって大切な演奏家のひとりである。ジャノーリがウエストミンスター・レーベルに1950年代に残した録音は、復刻CDでは既にラヴェルのピアノ曲で1枚。モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲が5枚のCDでリリースされている。今回のドビュッシー『前奏曲集』は、LP時代には『版画・全3曲』+『前奏曲集第1巻・全12曲』で1枚、『前奏曲集第2巻・全12曲』で1枚と分売されていた(国内盤の場合。海外盤は2枚組アルバム)ものを、『前奏曲』のみ全24曲で1枚のCDに再編したもの。国内LP盤の発売は1958年の末から1959年春頃までの半年間あたりと推定されるが、詳細は不明である。今回のCD化で省略された『版画』は、『メンデルスゾーン・ピアノ小品集』というめずらしいレパートリーのLPの復刻との組み合わせで、近くJXCC-1066としてCD化されるので併せてお聴きいただきたい。
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 昨年から復刻CDが登場するようになったとは言え、レーヌ・ジャノーリについては、まだ日本では語る人が少ないが、それはジャノーリが、演奏家としての活動を抑制して、後進の指導に励んだということも理由として挙げられるだろう。今から半世紀も前の1959年頃に発売されたと思われる初出LPの『前奏曲集第2巻』の解説に付された演奏者紹介文に、「1947年以来、恩師アルフレッド・コルトーの要請に応えて、母校エコール・ノルマルの教授として後進の指導にもあたっている」とあるが、ジャノーリは1915年生まれだから、既に31~32歳の時から、指導者と演奏家を兼務していたということになる。
 ジャノーリの残した録音は、1950年代のモノラル期はウエストミンスター盤のみで、曲目はモーツァルトの「ピアノ・ソナタ全集」、というまとまった仕事以外では、バッハの「イギリス組曲」、「フランス組曲」などの鍵盤曲のほか、前述のラヴェルが1枚、ドビュッシーが2枚、メンデルスゾーンが1枚、そしてメンデルスゾーンの2曲の「協奏曲」、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」(スコダとの共演)があるくらいだ。ステレオ録音時代になってからは、ABCパラマウント傘下となったウエストミンスターでモーツァルトの「変奏曲全集」、フランスのクラブ・ドゥ・ディスクでショパンの2つの「協奏曲」、エラートでバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」「イタリア協奏曲」ほかで1枚、アデ(ADES)でショパンの「ワルツ全曲」のほか、シューマンの「ピアノ独奏曲全集」という偉業を録音完成させているが、1979年にその生涯を終えるまで、一度も、いわゆる国際的な活動を続けるメジャー・レーベルへの録音を行わなかった。
 フランスで後進の指導を続けたということだけでなく、そうした演奏家としての活動範囲の狭さからも、ジャノーリというピアニストが、第2次世界大戦後に発達していった「音楽ビジネスの国際化」の波に弄ばれずに、フランスのピアノ演奏の伝統を守り通せた理由が垣間見える。ジャノーリは正に、フランスにおけるピアノ演奏の戦後史に生まれた美しい「エア・ポケット」だったと思う。彼女の周辺にだけ漂い薫る音楽の気配というものがある。
 その大きな成果のひとつが、このドビュッシーである。私は、これほどにカラフルなドビュッシーを他に知らない。決して極彩色のカラフルさではなく、淡い色調が重なり合う世界なのだが、その色合いは深く、繊細で、そしてほのかな匂いが漂う。ドビュッシーの音楽の内側にあるものを、ここまで広げて聴かせてくれるのがジャノーリのピアノなのだ。
 だが、このジャノーリのドビュッシーが発売された1950年代の終わりころは、もうひとつの問題が、レコードという厄介な世界に横たわっていた。再生装置の能力という問題である。当時、ドビュッシーにはジャノーリのほか、コルトー、ギーゼキング、カサドジュらのレコードがあったはずだが、ジャノーリの特質に注目する人は少なかった。じつは私自身も、ジャノーリの魅力に気付いたのはその10年後くらいなのだ。たまたま、当時まだ健在だった名曲喫茶のかなり高級な再生装置を通して聴いた音によってだった。
 だが、今なら通常の再生装置で、たとえば「第1巻」第11曲「パックの踊り」を聴いただけでも、即座に納得できると思う。今回のCD化に伴う音質の改善の成果は感動的と言っていいもので、ジャノーリの美質が、とてもよく伝わってくる。だが、LPレコード発売当時の一般的な再生装置では、ピアノの音のニュアンスは、「音色」ではなく「テンポ」と「強弱」が中心だった。ジャノーリの「音」を手軽に聴くには、1950年代は、まだ早すぎたのだ。最近の解析的とされるドビュッシー演奏と比較することで、ジャノーリに対する正当な評価を、むしろこれからの課題としなければならないと思う。(2010. 8. 19. 執筆)






ロジンスキー その2

2008年11月30日 02時25分00秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 前回に引き続いて、MCAビクターから発売されたウエストミンスター盤のCD復刻シリーズ発売時のライナーノートの再録です。執筆は、1997年5月28日と記載されています。私の手元に残っていたフロッピーデータが、CD制作担当者の、MCAビクター/洋楽部 石川英子さん宛の通信文も一緒になっていました。
 楽屋おちですが、私個人としては、「そんなことを考えていた時期なのか」とちょっと懐かしかったので、以下に掲載します。

 MVCW-18011のライナー・ノートをファックスします。枚数制限いっぱいに収めましたが「ペールギュント」には触れられませんでした。けれど、原稿内容は、私なりに気に入っています。御感想など、お聴かせいただければ幸いです。シェルヘンのラインナップ、どうなりそうですか。気にしています。  

 ファックスで原稿を送っているところが、時代を表しています。まだ、メールを使っている人は周辺にあまり居ませんでした。私も、このころから、恐る恐る使いはじめたように記憶しています。


●時代に抗した〈多弁な音楽〉の充実を聴く
 ロジンスキーのウェストミンスターへの録音の全貌が、次第に明らかになりつつある。今回の新しい復刻によって、細部までクリアな音質が達成され、ロジンスキーの個性を支えていたものの〈ありか〉が、より鮮明に伝わるようになったが、これらは、音質の改善というよりも、むしろ、初めて聴きとれるようになった部分さえあるものと言ってよい。
 ロジンスキーはきびしい練習で有名だった指揮者のひとりで、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生み、ポストを失うことになったと、しばしば言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロイヤル・フィルは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。録音セッションで、どれほどの手間をかけることが許されていたかはわからないが、それでも、細かな指示の痕跡がいたるところで聞こえ、喰い付きの良いオーケストラの良質なアンサンブルが味わえる。それは、レコーディング・データにも表われている。「新世界」の録音に4日間もかけているとすれば、それだけでも、かなりの〈労作〉だ。
 「新世界」の第1楽章の序奏部の丁寧な進行からは、底光りのする音が聞こえてくる。かなり意識的なアゴーギクが、ティンパニの強烈な打撃を準備する。主部に突入し、第1主題がホルンによって高らかに描かれる。木管群の応答が細部までよく聞こえて続き、テンポが微妙に早まっていくが、アンサンブルの強靱さは保ち続けられる。フルートとオーボエによる第2主題は、第1主題の木管の動きを受継いで、表情を押さえて開始される。
 第2楽章でも、イングリッシュ・ホルンの独奏に至るまで、その節まわしに指揮者の意図の強さを感じる。通り一遍では済まさないといった感じで、考えぬかれた進行による緊張が全編を覆っている。これらが、音楽の根源的な力を失うことなく行われていることに、改めて、ロジンスキーの音楽の凄味を感じる。
 第3楽章から終楽章にかけての盛り上がりも見事で、実にタフな音楽のほとばしりが矢継ぎ早に繰り出される。しばしば、バランスを欠いたように突出する管のフレーズに戸惑うが、このあたりも、弦楽主体に重厚長大な音楽が主流だった時代にあっての、ロジンスキーなりの抵抗だったのだろう。
 音楽は、もっと多弁であるべきだというふてぶてしさこそ、ロジンスキーが、同時代の聴衆に向けたメッセージだった。今日では、これほどにムキになる必要はなくなったが、彼の時代には、自身の芸術家としての全てを賭けるほど、大切なことだったのだと思う。エネルギッシュに内燃する「新世界」だが、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。細部の検討を積み重ねた末の、的確なペース配分と充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが、ロジンスキーの信条だ。音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、傾聴したい。


   

ウエストミンスター盤のロジンスキー

2008年11月24日 13時27分49秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

【ブログへの転載に際しての付記】
当該CDの表紙の画像を挿入してみました。まだ、操作法がよくわかっていないので、位置を決められませんが、とりあえず試してみます。



 以下は、MCAビクターから1997年6月21日に発売されたウエストミンスター・レコードのCD復刻盤のために書かれた「ライナー・ノート」です。ロジンスキー指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団によるフランク『交響曲 ニ短調』『交響詩《呪われた狩人》』の2曲を収録したものです。執筆は1997年4月30日となっています。


●確固とした造形に支えられた熱気を聴く
 ロジンスキーは、第2次世界大戦後まもなくアメリカでの職を失ってしまい、1950年代の終わりには世を去ってしまったため、比較的忘れられがちな指揮者の一人だ。だが、その実力は生前から高く評価されており、当時のアメリカの新興レコード会社ウェストミンスターは、アメリカを追われたロジンスキーの録音を、ロンドンとウィーンのオーケストラとの共演でいくつか残している。今回のフランクも、その中の1枚だ。ウェストミンスターの他には英EMIに数枚の録音がステレオ録音で残されている程度だから、ウェストミンスターへの一連の録音が、ロジンスキーの芸風を幅広く聴くには最もまとまったシリーズと言ってよいだろう。いずれも、音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、気迫のこもった演奏ばかりだ。
 ロジンスキーはきびしい練習で有名だったが、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生んだと言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロンドンのオーケストラは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。底光りのする音が聞こえていた。それは、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。私たちは、そうした指揮者の音楽がしばしば空回りしてしまうイギリスのオーケストラの特質を、いくつか聴いている。だが、ロジンスキーの演奏からは、細部の検討を積み重ねた末の、充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが聞こえていた。
 そのことは、ウィーンのオーケストラとのフランク「交響曲」にも言えることだ。序奏部を聴いただけで、表情の変化のきめこまかな動きの見事さに驚かされる。主部に突入してからは、ロジンスキーの独壇場だ。個性的なテンポのうねりやアクセントが、その場の即興ではなく、各セクションがピタリと揃って、グサリと打込まれるのは、ロジンスキーの演奏の大きな特徴だ。内にある〈音楽〉の根源的な生命力を、オーケストラが、技術とのバランスで保っている時の独特の緊張を、しばしば感じることができる。これは、優美さに安住していない時のウィーンのオーケストラの、独特の魅力を引き出した演奏だ。
 最近でこそ、こうした〈ていねいな〉演奏はあたり前になり、むしろ、時として、ていねいさばかりが耳について、全体を大きく流れる音楽の勢いが失せてしまった演奏さえ表れるようになった。ロジンスキーの残した演奏は、そうした演奏スタイルが、どこから発信されなければ、私たちの心に届く音楽になり得ないかを考えるよい機会となるだろう。
 「呪われた狩人」は、冒頭の金管の響きですぐ気付くが、フランスの多くの指揮者が演奏するようなラテン的な響きとずいぶん異なる。とかくフランス系の音楽と見られがちなフランクの作品に横たわるドイツ・オーストリア圏の音楽美学が、「交響曲」以上に顕著に表現された演奏だ。




 


ウェストミンスター盤のウィーン・コンツェルトハウス四重奏団

2008年11月18日 11時09分47秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

 先々週、先週に続いて、ウェストミンスターの弦楽四重奏団の3回目です。3つを合わせてお読みいただければ幸いです。文末記載の通り、私の執筆は1996年8月5日です。今回、久しぶりに読み直してみましたが、ここで語っている思いは、今でも少しも変わっていません。録音特性がRIAAカーブではない仕様の古いLPや、もこもこした再々プレスの鈍い音のLPレコードでしか聴いていない方には、特に、お読みいただきたいと思っています。私はまだ、クラシック音楽演奏の未来に希望を失ってはいません。なお、文中で触れている「カンパーのワンマンショーのようになっていて誤解されている」という、その後の、メンバーの異なる演奏は日本コロムビアの国内録音で、これは復刻CDが出ていたと思います。


■確かな造形と、リズムの冴えこそが真髄
 このCDは、1950年代に発売されて以来、高く評価されてきたウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるハイドンの一連の弦楽四重奏曲録音から復刻された1枚だ。録音はいずれも1954年で、それだけで古い録音の復刻盤特有のくすんだ音を想像するひとが多いだろうが、これは実にクリアな音だ。アメリカ資本の新興レーベルだったウェストミンスターは、当時、最新のハイファイ技術を売り物にしていた。そのサウンド・ポリシーは、分離の良さと、目のさめるような抜けの良さにあった。今回の一連のCD復刻の音質は、オリジナルの録音が、かなりな高水準であったことを再認識することともなっている。
 ところで、このアメリカの新興会社は、戦後のウィーンの音楽家たちの演奏を次々に世に出していったが、それは、戦前から世界のレコード市場に登場していた人々とは違う、戦後の新しいウィーンのローカリズムを引き出す結果ともなった。例えば、このCDのウィーン・コンツェルトハウスSQの演奏は、戦前のSPレコード時代の演奏家、レナーSQや、あるいはクライスラーのヴァイオリンのような優雅で甘美な情緒にあふれたスタイルとは明らかに異なっている。むしろ、みずみずしい清新な気迫にあふれた造形と、引き締まったリズムの冴えに驚かされる。安定したテンポと抑制されたレガートが、軽やかな音楽の流れを保証していて心地よい。これが、ロマンティックな精神主義からの音楽の開放を求めた大指揮者ワインガルトナー以降のウィーンの音楽家の真髄なのだ。彼らの演奏は〈古き佳き時代を伝える懐かしい演奏〉ではなく、〈新しい時代の出発点となった演奏〉と考えた方がふさわしい。
 この四重奏団は、その末期には第1ヴァイオリンのカンパー以外がすべて入れ替わって若い奏者となったため、カンパーのワンマン・ショーのようになってしまった。そのため、かなり持ち味が誤解されているが、このCDの彼らの演奏は、お互いの音を聴き合いながら進行する緊密なアンサンブルの有機的な結び付きが見事だ。このあたりも、個性をぶつけあう行き方を採らない今日に連なる彼らの特質だった。 彼らの演奏と現代の演奏に違いがあるとすれば、それは緊密なアンサンブルが、彼らの生活そのものの反映であることをうかがわせるような、日常性を感じさせることかも知れない。最近の室内楽演奏からは、こうした日常性が薄れて、アンサンブルが機能目的化しているような貧しさを感じることが多い。それが〈新しさ〉だというのは、淋しいことではないか。今の時代が彼らから直接学ぶことは、まだ多い。 コンツェルトハウスSQの演奏は、今からでも私たちの時代の室内楽が、室内楽らしい愉悦を取り戻せるかも知れないということに、気付かせてくれる。彼らの音楽のスタイルは、まだ〈過去の美しい思い出〉として遠くに置かれるものにはなっていないのだ。(1996.8.5)




バリリ四重奏団とウェストミンスター盤

2008年11月12日 20時43分39秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 先週のブログへの掲載に続いての、「ウエストミンスター」盤における弦楽四重奏録音へのコメントの2回目です。前回掲載分と同じく、大量に復刻CDが発売された当時、発売元のMCAビクターのディレクター石川英子氏から依頼されて執筆したライナーノートです。執筆は「1996年11月4日」です。なお、私の手元に残っていたフロッピーデータの末尾に、100字ほどの文章が残っていました。おそらく、ライナーノートの原稿として渡す際に、字数オーバーでカットしたものではないかと思われますが、記憶がはっきりしません。今読み返すと、ちょっと言わずもがなの感もありますが、一応そのまま、付け足しておきます。
 次回は、「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団」について、です。

■ウィーン・フィルを背景にしたバリリ四重奏団のアンサンブル
 第2次世界大戦が終結し、長いナチス・ドイツの脅威からウィーンが開放された直後の1945年に結成されたバリリ四重奏団は、ウィーンの音楽家たちの世代交替と呼応するかのように、ウィーン・フィルの若きコンサート・マスター、ワルター・バリリを第1ヴァイオリンに、ウィーン・フィルのトップ奏者たちによる伝統ある弦楽四重奏団として1951年に再編成された。その後55年にチェロがリヒャルト・クロチャックからエマヌエル・ブラベッツに交替し、1959年まで活動した彼らは、正に新時代の幕開けのウィーン・フィルのミニチュア版と言ってよい四重奏団だった。
 彼らの音楽が、明瞭な旋律の輪郭を大切にして一音一音をくっきりと聴かせるのは、やはり戦後世代の一員であるからに違いないが、それと同時に伸びやかで自在な音楽の魅力に溢れているのは、ウィーン・フィルの音楽家の伝統でもある。おそらく、バリリ四重奏団を今日に至っても聴き続ける喜びは、この2点にかかっている。
 彼らの演奏が決して古めかしさを感じさせないのは、情緒纏綿とした中に迷い込まない均衡感を保ち得ているからだ。そして、どこかしら私たちをほっとさせる穏やかさと優しさを持っているのは、彼らのアンサンブルが緊密な厳しさよりも、柔和な語らいを大切にしているからだ。「ラズモフスキー第2番」の第1楽章を聴いてみよう。冒頭の和音から主題提示に至るプロセスがなだらかな起伏に終始していて、例えば50年代を代表する録音と言われるブダペスト四重奏団と聴き比べると、バリリ四重奏団の大らかさが際立っていることが理解できる。展開部でも、ブダペストのようなテンポの緩急の大きな変化を持ち込まず、あくまでも一定したテンポを基調に、旋律を慈しむように進行していくのがバリリ四重奏団の演奏だ。その音楽の充実感は、誤解されると困るのだが敢えて言えば、決して個性的とは言えない指揮者のもとでウィーン・フィルが得意のレパートリーを演奏している時に聴かせる自発性に通じる世界と言ってもよい。
 音楽演奏に於ける〈個性〉というものは、戦後世代に特有のものではなく、もちろん戦前からあったわけだが、それが個人の〈癖〉や〈体臭〉の独裁的発露から、相対的な〈自己主張〉の民主的闘争の様相を持つようになったのが、戦後の演奏の傾向ではないかと私は思っている。それが、室内楽の演奏も大きく変質させた。70年代にウィーンに現われたアルバン・ベルク四重奏団や、80年代のジュリアード四重奏団で同じ「ラズモフスキー第2番」を聴くと、その強く前面にせり出してくる音楽の鋭さに圧倒される。だが、バリリ四重奏団の、音楽の自然な流れを乗りこなしている彼らの音楽に触れると、室内楽の分野が〈自己主張〉という怪物によって獲得したものと引換えに失ったものが、ここでは豊かに息づいているのが聞こえてくる。

                    *

 音楽に対するこのような接し方は決して、まだ過去のものとはなっていないはずだが、なかなかCDという商品として私たちの前に登場しないのは、聴き手の方で、刺激的な個性ばかりを求め過ぎてきたためなのかも知れない。



アマデウス弦楽四重奏団とウエストミンスター・レーベル

2008年11月06日 11時34分31秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
 先週に引き続き「ウエストミンスター盤」の話題です。以下は、1996年に、ウエストミンスターのCD復刻がMCAビクターから順次リリースされた際に依頼されて執筆した「ライナー・ノート」のひとつです。弦楽四重奏団の録音が大量に発売された中から、この「アマデウス四重奏団」のほか、「バリリ四重奏団」「ウイーン・コンツェルトハウス四重奏団」についても書いています。私としては、ウエストミンスターの室内楽をめぐる3部作といったものです。次回以降、これらを掲載します。なお、以下のライナーノートの執筆時期は「1996年10月3日」です。この段階ではまだ発売されていませんでしたが、後になってDGから、アマデウスSQのモノラル録音がまとめてCD化されています。ボックス入り分売不可の輸入盤でしたが、ウエストミンスター録音も含んだものでした。

■アマデウスSQに戦後室内楽のルーツを聴く
 アマデウス四重奏団はチェロのマーティン・ロヴェット以外の3人がウィーン出身で、しかも〈ウィーンの室内楽〉をキャッチ・フレーズにしたウェストミンスター・レーベルから、かなりの録音がモノラルLP期に発売されているから、〈ウィーンの流れを汲む団体〉という見方が古くからの音楽ファンにはあるようだ。一方、60年代以降のドイツ・グラモフォンから発売のステレオLPを中心に聴いてきた人々は、彼らをイギリスのカルテットとみなしがちで、その演奏スタイルに節度とバランスの美しさを見出すようだ。
 しかし、この間のアマデウス四重奏団にスタイルの変貌があると仮定しても、それはほんとうにウィーン―→ロンドンという図式で語られるものなのだろうか? モーツァルトの弦楽四重奏曲では、アマデウス四重奏団の演奏は、「第14番」が新星堂=東芝エンジェルの復刻CDで1950年のEMI録音が聴け、「第17番《狩》」は、51年録音の当CDの録音の後、63年のグラモフォン録音と、同じくグラモフォンによる80年代のデジタル録音を聴き比べることができる。50年のEMI録音はもちろんロンドンに於ける録音だが、当CDもウェストミンスター盤とはいえ、英ニクサ・レコードとの提携によるロンドン録音だ。だから、というわけではないが、同じウェストミンスター盤のモーツァルトでも、例えばバリリ四重奏団のようなウィーン・フィル的な演奏様式とはかなり肌合いが異なる姿を聴かせる。もちろん、戦前派の第1ヴァイオリン主導型の四重奏団に比べると、バリリもアマデウスも、いわゆるアンサンブル重視型では共通しているが、端正でみずみずしいながらも抑制された旋律の歌わせ方に、今世紀前半にヨーロッパに現われたザハリッヒカイトの影響を感じ取ることができる。アマデウス四重奏団の演奏は、彼らが、ウィーン・フィルの系統とは違うところから登場したこと、むしろ、ウィーンにも脈々と受け継がれていたザハリッヒな音楽の洗礼を受けていたことを想起させる。彼らは、戦後ウィーンの復興機運の只中から距離を置いて、ロンドンに渡ることで、新時代のスタイルの確立を容易なものにしていったようだ。
 アマデウス四重奏団は、室内楽がほのぼのとした味わいを宿していた最後の世代だが、同時に緊密なアンサンブルの構成力を前面に押し出して次世代への橋渡しの役割も果した。そして、その後の室内楽の有り様の変化が急激に襲ってきた時代を長く歩んだ彼らは、自らの音楽も時代とともに洗われてきた。3種の「狩」はその好例だ。当CDの演奏が陰影の濃い深々とした音楽で、全体が大きな塊りに凝縮されているのに比べて、次第に細部が先鋭化され、ソロの集合体のような表現力への切り込みを聴かせる現代の室内楽の傾向に近づいてくるのは、彼らもまた、〈室内楽の解体〉という今日の時代をともに歩んできたからに他ならない。このCDはそうした彼らの出発点であり、戦後の室内楽のあり方のルーツを聴く1枚なのだと思う。