砂浜でちょっと一休み
オアフ島を歩いていると、本当に様々な人種の人とすれ違います。フレンドリーにすべてを受け入れるアロハ・スピリットを持つ島の人々の人柄がそうさせたのかもしれませんが、もはやネイティブ・ハワイアンを含むポリネシア系の人は全体の1割ほどしかいないのだそうです。しかし、ハワイ諸島に外国人が最初に足を踏み入れたのは、今からほんの200年ほど前のこと。この200年の間にハワイでどんなことが起こったのか、ホノルルを歩いている時に見つけた4人の人物像から、その歴史について少し触れてみたいと思います
King Kamehameha
童謡にも登場するかの有名なカメハメハ1世(大王)は、最初にハワイを統一した人物です。1778年にイギリスの探検家ジェームス・クック(通称キャプテン・クック)がハワイ諸島に上陸し、彼と面会したカメハメハ1世は、1782年にハワイ島の支配者となったあと、イギリス人の軍事顧問と最新武器を導入し、1810年にハワイ諸島全土を統一します。その後アメリカの宣教師達がキリスト教の布教を始め、カメハメハ2世の時代にはキリスト教がハワイの国教となり、次第に原住民の伝統文化や儀式が排除されていきました
King David Kalakaua
日系人が多いのもハワイの特徴の一つですが、その立役者がこちらの第7代ハワイ国王カラカウア1世。1874年に国王となり、1881年には移民問題について学び、また外交関係を改善するために、サンフランシスコを経由して、日本・中国からスペイン・ポルトガルまで、様々な国を歴訪します。初の外国元首の訪問となった日本では、明治天皇と直接面会して移民を要請し、1885年に第1回のハワイ官約移民として944人もの日本人が初めてハワイへ渡り、1894年第27回までに2万9000人もの人が移住したのだそうです。驚いたことに、その多くが山口・広島を初めとする西日本の出身だったのだとか。特に私が大学時代を過ごした山口県の出身者は全体の4割を越え、周防大島は「ハワイ移民の島」とまで呼ばれていたんですって。知らなかったなぁ~ カラカウア王はまた、キリスト教宣教師によって禁止されていたフラを正式に復活させたりするなど、当時すっかり廃れてしまったハワイの伝統文化を守ろうともしていたようですが、この頃すでにハワイ人の人口は激減し、独自の文化もかなり衰退していたようです
Queen Lili Uokalani
カラカウア王が留守の間、摂政として統治にあたったのが、カラカウア王の妹リリ・ウオカラニ女王。1890年にカラカウア王が亡くなった後、女王として即位するのですが、1895年にハワイ王国は滅亡し、彼女が最後のハワイ国王となってしまいます。聡明で音楽を愛していたことでも知られていて、ハワイ民謡として有名な『アロハ・オエ』を作ったのも彼女なのだそうです
Father Damien
ハワイ州庁舎のまん前に立っていたのはダミアン神父。どう見てもポリネシア系には見えないし、この人は一体何者なのだろうと思って調べてみたら、ダミアン神父はベルギー人で、1864年にホノルルに渡り、同年にカトリック司祭となった人なのだそうです。1873年からは同じハワイ州にあるモロカイ島に単身で渡り、当時そこに隔離されていたハンセン病患者たちのケアに生涯を捧げ、自らもハンセン病で命を落とした方なのだそうです。このことを知った時、まるでマザー・テレサのよう人だなぁと思いました。他人のために自分の一生を捧げるなんて、なかなかできることではありませんよね。ここにあるダミアン神父の像はかなりデフォルメされていて、ちょっとコワイお顔になっていますが、モロカイ島の聖ヨセフ教会にある像はもっと本物に近い姿をしているようです。ダミアン神父のことを知って、一度モロカイ島にも渡ってみたくなりました
私がホノルルで出会った人物はこのくらい。この4人のことについて調べただけでもハワイに外国人が入ってきてから現在の姿に至るまでの歴史がだいたい掴めたような気がします。もう少し勉強してから行けばよかったのですが、まぁ今回はこれでよしとしましょう!なにはともあれ、仕事でなにかと忙しい旦那さんもリフレッシュできたようですし、本来の目的は達成された(と思われる)有意義な旅でした
うーん、やっぱり旅はいいな。さて、次はどこに行けるかな?いや、しばらくはこの福江島でおとなしくしておくことにしますか!この冬ちょっと太ってしまったので、これからは体力づくりも兼ねて体を絞ることに専念したいと思いまーす 頑張るぞ~
のんびりオアフ島の旅(完)! …ちょっとのんびりしすぎました、ハイ
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