【たぶん100年近く前から育てられているアッサム種(紅茶)の畑】
年月が経って、一つ一つの株(紅茶)が大きくなっているために不規則に植わっています。
日月潭(魚池郷)から埔里へかけての山合いの何ヶ所かで紅茶の栽培が盛んに行われています。
日本統治時代に新井耕吉郎と言う方が台湾総督府中央研究所平鎮茶業試験支所に助手として赴任。
各地の茶畑の土壌や気候の調査などに参画する中で中部南投県にある日月潭湖畔の水社村貓囒山の
中腹・海抜800m付近一帯が紅茶の一大産地になることを確信し、1936年、魚池紅茶試験支所(現在
の茶業改良場魚池分場)を開設して、紅茶の栽培を開始した事が発端らしいです。
新井耕吉郎氏は、「台湾紅茶の父」または「台湾紅茶の祖」と呼ばれているらしいです。
≪Wikipediaより引用≫。
遠くに埔里の町が見えます。
ここ数日、ずっと雨続きの天気でしたが、昨日は久しぶりに太陽が顔を出したので埔里を囲んでいる山合い
へ散歩(私の場合はバイク)に行って来ました。
普段この場所は外国人労働者たちが、可哀相に泥とかを運ばされてコキ使われているのですが、昨日は休業の様でした。
【山を下るとマコモダケがたくさん栽培されていました。】
埔里 / 水尾
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