北海道の友人が「道の舗装が見えると、春を感じる」とブログに書いていた。
その「春」の写真を拝借して掲載。
ボクも雪国育ちだから、共感できる。
なるほど、これは気持ちを明るくしてくれる写真である。
現代では死語に近いが、「春泥」という言葉を思い出した。
舗装の無かった昔の道は、根雪が溶ければ、たちまち泥濘になった。
ぬかるんだ道は、雪道よりもずっと歩きにくいのだが、それでも雪国の人々は春のシルシを歓迎した。
冬の生活が厳しかった時代だから、「春泥」という言葉には、春を迎える喜びが込められている。
今時の「春泥」は、誰の眼にもうっとうしい眺めでしかない。
その「春」の写真を拝借して掲載。
ボクも雪国育ちだから、共感できる。
なるほど、これは気持ちを明るくしてくれる写真である。
現代では死語に近いが、「春泥」という言葉を思い出した。
舗装の無かった昔の道は、根雪が溶ければ、たちまち泥濘になった。
ぬかるんだ道は、雪道よりもずっと歩きにくいのだが、それでも雪国の人々は春のシルシを歓迎した。
冬の生活が厳しかった時代だから、「春泥」という言葉には、春を迎える喜びが込められている。
今時の「春泥」は、誰の眼にもうっとうしい眺めでしかない。
それに冬場の、日本海側の雨季と関東平野の乾季は、劇的なほどに対照的です。
頭では理解できても、経験の無いことを「共感」するのは難しいことですね。
日本は縦に長い国ですから、気候風土はバラエテイー豊かですね。
今、沖縄と北海道の気温差はどれくらいですかね。
地域の気温の差、それぞれの地域の自然・動物・植物、そこに根づいた歴史・文化などなど、本当に千差万別ですね。
そして、春を感じる春泥は、そこの地域を表す言葉なんですね。
春泥の情緒云々は、文人の仮想世界の話でしょうかね。
このサイト見て下さい。
http://www.uchinome.jp/archives/archives5_1.html
こんな状況で情緒はまったくありませんでした。
さくら温泉にp泊してガンを見物に行ったことがあります。
クルマがハマるようでは情緒がありませんね~
小学生の頃、山から切り出した丸太を一杯積んだトラックが道路のあちこちでハマっていました。
これも「春泥」と言うのでしょうか。
今は舗装していない道路は林道位しかありません。