怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

記憶の封印が解かれる時

2017-01-16 21:54:17 | Weblog
私は大学2年の時に高校時代の友人と一緒に三重県の新鹿海岸というところへキャンプに行き、友人が溺死(正確には心臓まひという病名はないのですが当時はそういわれていた)した経験がある。
一緒にキャンプに行くぐらいなので親しい友人でその日のことは今でも克明に覚えている。友人は一人息子で両親の嘆きと悲しみはいかばかりであったか。そのことについて一生私は背負っていると思っているし、友人のことも忘れないと思いつつ生きてきた。
ところで先日高校時代の友人というか、還暦過ぎるとこういう会が結構増えるんですが、生徒会の執行部の同窓会があって、私も会計を務めていた(もっとも立候補ではなくて誰もやる人がなくて代議員会でババ抜きのようにお鉢が回ってきたのでやむなく受けたのですが)ので、何十年ぶりに再会する人もいて参加しました。
今となっては恥ずかしくなるような高校時代の馬鹿話をしていたのですが、実は亡くなった友人も同じ時に書記をしていました。
ところが私はそのことを全く覚えていなかったのです。友人とはクラスも一緒で結構気が合って生徒会の時期を含めて高校3年間を通じて青春の濃密な時間を過ごしていたはずなのですが、彼とキャンプに行く前のことはほとんど覚えていなかったのです。
これはどういうことなんだ!
あんな悲しいことがあって、だからこそ悲しい記憶以外は覚えていてはいけないとばかりに、その前の彼との濃密な時間を過ごした記憶を封印してしまったのか。
もともと記憶というものは脳の中にハードディスクがある訳でもなく、細胞レベルでは脳細胞は絶えず新しいものに入れ替わっている中で、神経細胞の回路としてあるもの。容易に書き換えられるし不都合なものは封印もできる。
意識としては忘れないと思っていても、意識の奥にある「心」が彼との楽しい記憶を封印したんだろう。でも河合隼雄流に言えば意識のさらに奥には「魂」があって魂に触れる何かの鍵で封印が説かれてしまうことがあるのかも。
その場は馬鹿話で終わってしまったのですが、家に帰って布団に入ると説かれた封印から解放された記憶が頭の中に渦巻いていた。
結局横になっても眠れない夜を過ごし、夢うつつの中で何度も目が覚めてしまった。心がざわざわと騒いでいた。
でも封印してはいけないと思う。
もう一度彼との親しかった濃密の時間をしっかり記憶に刻んでいこう。
「死者を死者と思うなかれ。生者あらん限り死者は生きん」ゴッホの手紙より
彼は心の中でちゃんとまだ生きている。
コメント
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