古市憲寿という人はテレビの「ワイドナショー」のコメンテーターで見るぐらいなんですが、その話していることと言い生活習慣(運動は嫌いで体育の授業などは出たことがないとかいつも食べているのはチョコレートで、それだけがあればいいとか)まったく共感できない部分が多々あり、それは他の出演者も一緒なのか「喧嘩うっているのか」というようなことになりがちです。先日も小沢一郎に怒られていましたよね。
まあ、これも世間に売り出すためのキャラと思えばそうなんでしょう。
そうは言ってもテレビではなくて本ではどんなことを書いているのか興味もあってこの本を読んでみました。最も彼の出世作は「絶望の国の幸福な若者たち」みたいですけどね。

意外にも読んでみて面白かったのですし、その着眼点はさすがにマスコミがほかっておかないだけの鋭さがありました。
今の日本は閉塞感に満ちていて強いリーダーを待望する声が強いが、リーダに必要な条件と資質は巷間いろいろ言われているが相矛盾するものも多く、その場その場の条件によっていろいろ変わってくるとしか言いようがない。リーダーとは何かといえば本質は「ついてくる人がいる」ことなんだろう。カリスマはカリスマを求める人によって生まれてくる。それは問題が生じたとき自分が動こうとせずに「強いリーダー」に快刀乱麻に解決してもらいたいといういたって他人任せの心情がもたらしている。だからこの人なら大丈夫だろうなどと空気で期待を募らせ、そうは言ってもなかなか現実にはうまく解決できないと次は別の新しい人に期待する…一人のリーダーが問題をすべて解決できるわけもなく、どうしても解決したことがあれば、まずは自分でできる範囲で動き出さないと。ワイドナショーのコメンテーターの時と違ってちょっとまともすぎる議論です。
因みにスポーツには全く興味がないと公言しているので、オリンピックについても炎上するのは必至というくらいすごくシニカルです。クールジャパン戦略にも何が言いたいのかよくわからないし、相手が喜んでもいない日本文化を押し付けようとしているだけ。そこには相手が喜ぶような最上のおもてなしを行うことによって日本文化を認めてもらうというマーケティングの視点が欠落している。これって同じようなことをアトキンソンさんも行っていましたね。でも日本人の学者、それもまだまだ若い人に言われると腹が立つ人も多いんでしょうけど。
日本のガラパゴス化した家電への批判も強烈です。家電のコモディティ化に対抗するために差別化しようと誰も欲しがっていない新製品を開発しても売れないでしょう。本質的な価値からどんどん離れて行ってしまいます。マイナンバー制度についても監視社会化すること自体については便利になって魅力的な監視社会になることも可能なんだろうけど、国家の体質が変わらない限りもくろみ通りの運用ができるまでには莫大な費用と途方もない年月がかかる。テクノロジーだけで、それも不完全なことの多い技術で、社会の在り方を変えるのは難しい。う~ん、確かに住基ネットは成果が出る前に空中分解したね。
アラブの春の影響か、最近はやたらとSNSがもてはやされ、選挙でも大きな力を出して言われている。現実に参議院選挙でSNSの活動で当選はしなかったけど30万票集めたという候補もいた。しかし、ちょっと意外だったのですが、その評価について橋下徹はテレビ番組で国政選挙ではほとんど効果がないと言っていた。杉村太蔵がでは何故あんたは結構頻繁にやっているのかと突っ込んだのですが、発信したことをマスコミが取り上げそれがニュースになると影響力が出てくるとの意見。これはなるほどでした。ソーシャルメディアは今のところせいぜい数千から数万の限られた人にしか影響力がなく、世間一般に影響力があるのはマスメディアです。
古市が言っているようにソーシャルメディアの共感というのは冷めやすい。現実の行動のガス抜き装置となっている面があって過度に怯える必要はまったくない。炎上が起こった時の解決策としては、賛同者や擁護者が多かったときはしばらく黙っていればいい。賛同者が現れなかったときはすぐに謝罪するなり発言を撤回する。炎上を支配するのは「正しさ」ではなくて「もっともらしさ」。法廷でも学会でもないので要は相手からどう見られているかがすべてなのです。相手によって話し方を変えるというビジネスの基本に則ればだれでも見ることができるテレビとかネットでは慎重に、限られている読者の雑誌では過激なことも行ってみるとか…でも限られているはずのところにあら捜しに来る人もいるんです。世間の注目を集めている人は無味乾燥なことしか言えなくなってしまうんですかね。
就活についていえば、人気企業のヒエラルキーはあるのですが、50年前からの変遷を見てみると今や名前が残っていない企業も多くてその時のムードで決めているのがよくわかる。自分を売り込む営業なので楽しまなければと言われるとたぶん就職活動をしたことのない古市に言われたくないという人で炎上する?
ところで晴れて就職すると新社会人となって活躍してほしいと言われるのだけども、仕事というのは所属するコミュニティとか業界のルールをいかに多く取得できているかということに依存しているので最初は出来ないで当たり前。使えないとか出来が悪いとか言っている前に企業が教育していき長く勤めれる制度にしていくことが大切なのであって、それが持続可能性を担保していく、年だけ重ね偉そうなことを言っている身としては心せねばいけないことです。
このほか「学歴」とか「ノマド」についてとか論じてありますが、あとは読んでください。
2040年の日本の姿はディストピアですが否定できないところがつらいですね。
結論ではないのですが、社会は劇的には変わらず、そのためカリスマ的人物の耐用期間も意外に短くて、社会を変えようと思うのなら静かな変革者として日本の役に立つことを自分でできること範囲で明日からでも始めたらいい。「今、ここ」にいる「僕たち」を充実することから始まる。ガーディアンですよね。ところで古市は何を始めているんですかね?
まあ、これも世間に売り出すためのキャラと思えばそうなんでしょう。
そうは言ってもテレビではなくて本ではどんなことを書いているのか興味もあってこの本を読んでみました。最も彼の出世作は「絶望の国の幸福な若者たち」みたいですけどね。

意外にも読んでみて面白かったのですし、その着眼点はさすがにマスコミがほかっておかないだけの鋭さがありました。
今の日本は閉塞感に満ちていて強いリーダーを待望する声が強いが、リーダに必要な条件と資質は巷間いろいろ言われているが相矛盾するものも多く、その場その場の条件によっていろいろ変わってくるとしか言いようがない。リーダーとは何かといえば本質は「ついてくる人がいる」ことなんだろう。カリスマはカリスマを求める人によって生まれてくる。それは問題が生じたとき自分が動こうとせずに「強いリーダー」に快刀乱麻に解決してもらいたいといういたって他人任せの心情がもたらしている。だからこの人なら大丈夫だろうなどと空気で期待を募らせ、そうは言ってもなかなか現実にはうまく解決できないと次は別の新しい人に期待する…一人のリーダーが問題をすべて解決できるわけもなく、どうしても解決したことがあれば、まずは自分でできる範囲で動き出さないと。ワイドナショーのコメンテーターの時と違ってちょっとまともすぎる議論です。
因みにスポーツには全く興味がないと公言しているので、オリンピックについても炎上するのは必至というくらいすごくシニカルです。クールジャパン戦略にも何が言いたいのかよくわからないし、相手が喜んでもいない日本文化を押し付けようとしているだけ。そこには相手が喜ぶような最上のおもてなしを行うことによって日本文化を認めてもらうというマーケティングの視点が欠落している。これって同じようなことをアトキンソンさんも行っていましたね。でも日本人の学者、それもまだまだ若い人に言われると腹が立つ人も多いんでしょうけど。
日本のガラパゴス化した家電への批判も強烈です。家電のコモディティ化に対抗するために差別化しようと誰も欲しがっていない新製品を開発しても売れないでしょう。本質的な価値からどんどん離れて行ってしまいます。マイナンバー制度についても監視社会化すること自体については便利になって魅力的な監視社会になることも可能なんだろうけど、国家の体質が変わらない限りもくろみ通りの運用ができるまでには莫大な費用と途方もない年月がかかる。テクノロジーだけで、それも不完全なことの多い技術で、社会の在り方を変えるのは難しい。う~ん、確かに住基ネットは成果が出る前に空中分解したね。
アラブの春の影響か、最近はやたらとSNSがもてはやされ、選挙でも大きな力を出して言われている。現実に参議院選挙でSNSの活動で当選はしなかったけど30万票集めたという候補もいた。しかし、ちょっと意外だったのですが、その評価について橋下徹はテレビ番組で国政選挙ではほとんど効果がないと言っていた。杉村太蔵がでは何故あんたは結構頻繁にやっているのかと突っ込んだのですが、発信したことをマスコミが取り上げそれがニュースになると影響力が出てくるとの意見。これはなるほどでした。ソーシャルメディアは今のところせいぜい数千から数万の限られた人にしか影響力がなく、世間一般に影響力があるのはマスメディアです。
古市が言っているようにソーシャルメディアの共感というのは冷めやすい。現実の行動のガス抜き装置となっている面があって過度に怯える必要はまったくない。炎上が起こった時の解決策としては、賛同者や擁護者が多かったときはしばらく黙っていればいい。賛同者が現れなかったときはすぐに謝罪するなり発言を撤回する。炎上を支配するのは「正しさ」ではなくて「もっともらしさ」。法廷でも学会でもないので要は相手からどう見られているかがすべてなのです。相手によって話し方を変えるというビジネスの基本に則ればだれでも見ることができるテレビとかネットでは慎重に、限られている読者の雑誌では過激なことも行ってみるとか…でも限られているはずのところにあら捜しに来る人もいるんです。世間の注目を集めている人は無味乾燥なことしか言えなくなってしまうんですかね。
就活についていえば、人気企業のヒエラルキーはあるのですが、50年前からの変遷を見てみると今や名前が残っていない企業も多くてその時のムードで決めているのがよくわかる。自分を売り込む営業なので楽しまなければと言われるとたぶん就職活動をしたことのない古市に言われたくないという人で炎上する?
ところで晴れて就職すると新社会人となって活躍してほしいと言われるのだけども、仕事というのは所属するコミュニティとか業界のルールをいかに多く取得できているかということに依存しているので最初は出来ないで当たり前。使えないとか出来が悪いとか言っている前に企業が教育していき長く勤めれる制度にしていくことが大切なのであって、それが持続可能性を担保していく、年だけ重ね偉そうなことを言っている身としては心せねばいけないことです。
このほか「学歴」とか「ノマド」についてとか論じてありますが、あとは読んでください。
2040年の日本の姿はディストピアですが否定できないところがつらいですね。
結論ではないのですが、社会は劇的には変わらず、そのためカリスマ的人物の耐用期間も意外に短くて、社会を変えようと思うのなら静かな変革者として日本の役に立つことを自分でできること範囲で明日からでも始めたらいい。「今、ここ」にいる「僕たち」を充実することから始まる。ガーディアンですよね。ところで古市は何を始めているんですかね?
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