怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

橋本治「性のタブーのない日本」

2024-06-21 11:41:17 | 
今年の大河ドラマは「光る君へ」紫式部が主人公です。
どうも平安時代の権力闘争というのは藤原家の中で誰が娘を天皇に嫁がせ寵愛を獲させるかの闘い。
武士の世界と違い力の勝負と言うか最後は戦って決着をつけると言うことではなく,とにかく娘を無事育てて天皇と結びつけ、子どもを産んで次期天皇とし、外祖父として実際の権力を掌握する。こうなると色気の勝負?ドラマを見る身としては齢70ともなると色恋沙汰はもう辟易としてしまい興味なし。
たまに見るとこんなのはあり得ないだろうと突っ込みところ満載で、文句ばかりとなっている。
では実際の平安時代の貴族社会での恋愛・婚姻事情はどうなっているのか。
橋本治さんがそこらあたりの事情を詳しく書いていて、少し古い(2015年初版)ですが最適の本になっています。

もちろん書いてあることは,神話の時代から明治以前まで網羅してあり、平安時代だけのことではありませんが、ここは平安時代の貴族の恋愛事情を中心に紹介します。興味を持ったら本を買うなりして全部読んでください。
平安時代の結婚は、女のもとへ男が3晩連続通うと言うステップを前提にしています。男は夜遅くやってきて夜が明ける前に帰って行き、家に帰ると女のもとに手紙を送る。随分面倒ですが、一日だけでやめやめたとか2日で手紙を出さずに来ないとか乗り逃げ男もいたはず。
当時は男と女が「逢う」と言うことは、夜、女のいる簾の中に入って逢う。簾の中は寝室と同じなので「こと」に及ぶと言うことです。百人一首の中で「逢う」という言葉が出てきたら、しかるべき実行行為を表している。う~ん、今ではそんなこと書いているとは思えないけど、当時の表現ではそんなことを書いていたのです。ちょっと歌の読み方が違ってきます。
夜、女の部屋へ入ってしまえばもはや着物をはぎ取ったも同然、侵入されたら終わりなのです。もちろん門前払いにすることはあるのですが、側につかえる女房が男に言い含められて手引きすることもあるとか。源氏物語の光源氏などは今の時代で考えればコンプライアンス上問題行動ばかり。セクハラなどと言う生易しいものではなく強姦で訴追されそうなことを平気でやっています。
当時の身分の高い女は男に顔を見せないことが原則で、部屋の周りに簾を下ろし、側に几帳を建てると言う密室状態にしてそこから出ません。顔を見せると言うことは裸を見せると同じで身を許していること?外部との接触を果たすのは女房ですが、その女房達も素顔を見せる訳でなく大きな袖で顔を隠しての対応。ドラマのように面と向かって話すなどと言うのはなかったはず。もちろん身分の下の労働者階級は女も顔丸出しですが、そういう女は貴族にとっては女とみなされていません。女房達も身分の低い相手に対しては石ころ同然なので顔をさらしてもいいみたいです。
当然ながら顔を見せないので、男は噂とかで勝手に恋をして夜に通う。男女とも判断の大きなポイントは和歌みたいですが、あまり美人とかどうかとかは自分で確かめられないみたいで、妄想を募らせ通って、ことに及んだ後、期待はずれだったこともあったようです。今のように照明がある訳でもなく、せいぜいが月明かり。夜暗くなってから忍んでいき夜が明ける前に帰るのですから、性交は可能でも顔を見ることが出来ないと言う変な世界ですが、そういうルールになっていたのです。
因みに当時は相続は娘に相続されるのが普通。貴族の息子には相続がないので女の家に通って家屋敷を自分のものにしたいし、女は財産はあっても自活できる生活能力がないので、生活を管理してくれる夫が必要になる。男も女も打算を腹に二股も三股状態になるのもムベなるかな。
そんなことを読んでいると今の大河ドラマ「光る君へ」はあり得ないとなります。でも真っ暗の中でうわさだけでくっついたり離れたり、お互いに顔を見せないでは映像化できないし、ドラマが成り立ちませんけどね。まあ、歴史ではなくて今の時代に合うように現代に移し替えた物語なんで仕方ない…
この本でもう一つそうだったんだと感心させられたのは藤原頼通について。道長の息子で宇治の平等院を作った人です。あの道長の全盛期から頼通の時代になると院政の時代へと変わっていきます。
頼通は30を過ぎても子どもがいなく、子作りに励もうといないので父からも母からもプレッシャーを受けます。娘がいなければ天皇の后にすることが出来ず外祖父としての権力基盤を作れません。最終的には母に使える女房との間に娘をなしているのですが、姉からも弟からもプレッシャーを受け大変なストレスだったと思います。そのせいか頼通はあまり女に興味がなかったみたいで寵愛する若者がいたとか。結果、摂関家の主流に属する后を持たない天皇や摂関家主流に属さない女性から生まれた天皇が誕生し、主導権が摂関家から天皇自身へ移行してしまった。天皇が譲位して上皇になると天皇の父として朝廷を動かすシステムを作れることになり、摂関家は人事権を失ってしまいました。
院政の時代は男色の時代の始まりとなる時代で、武士の時代へとつながっていきます。権力闘争の中心に戦いがあり男たちはこれを前提に存在し、女の地位は低くなって子どもを産むものになっていきます。
明治時代前の日本は、キリスト教的な倫理観とは無縁で性についてタブーはない私の知らない世界でした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6月16日木が崎公園テニス... | トップ | 百田尚樹「橋下徹の研究」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事