カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

クリミア半島は誰のものか ー ロシアのメンタリティ(2)

2023-10-26 10:23:34 | 教会


 ウクライナに侵攻するロシアの主張の背景として4点指摘されていた。少し見ておこう(1)。

①ロシアの被害者意識

 ロシアの歴史は9世紀のキエフ公国建設に始まり、モスクワ公国に繋がるが、高い山脈や大河のような天然の要害のない大平原に生まれた弱小国で、常に外敵(モンゴル・ポーランド・リトアニア・スウェーデンなど)の侵略と支配を受け、弱小国の被害者意識がロシアのDNAとなった・・・要するに、ロシアは世界最大の領土を有しても常に外敵に襲われるという被害者意識を捨てられないのである(2)。

②ウクライナの独立性の問題

 要はウクライナは独立国だったのかロシアの一部だったのか、と言う話しだ。
ウクライナはロシアと同じスラブ民族で、言語も同一ではないが近い関係にある。歴史的にはキエフ公国が先行したとはいえ、ウクライナは長い期間ロシアの支配を受けてきた。17世紀のロシア帝国時代以降300年にわたってウクライナはロシアの一部であった。これをもってプーチンはウクライナはロシアと一体でロシアの一部であると主張する。

 ウクライナから見れば、ウクライナはロシアの支配に満足していたわけではなく、ロシアからの独立がウクライナ人の念願であった。1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊した機会を捉えてウクライナは独立を宣言するが、わずか2年間でボルシェビキ軍によって潰された。ウクライナが独立国となったのは1991年のソ連邦崩壊によってである(3)。
 つまり、ロシアから見ればウクライナはロシアの一部であり、ウクライナから見れば別の国である、ということになる。

③NATOの東進の問題

 1990年代から2000年代にかけて東欧諸国は続々とNATOに加盟した(4)。プーチンがウクライナに侵攻したのは、NATOは1ミリも東に進ませないと約束したのに、その約束が反故にされて激怒したからだと言われる。

 1989・11・9 ベルリンの壁 崩壊
 1990・1・3 ドイツのゲイシャー外相がNATOの不拡大を表明
 1990・2・9 アメリカのベーカー国務長官がNATOの不拡大を表明
 1990・2・16  ドイツのコール首相はモスクワ訪問中にゴルバチョフにNATO不拡大を約束し、ドイツ統一の承認を得る
 1990・2・24 米独首脳会談でブッシュ大統領とコール首相はNATO不拡大方針を撤回

 このあと東欧諸国は続々と自発的にNATOに加盟していく。1990年の独首相の約束は口頭の約束で文書化されていなかった。プーチンはこれもアメリカの陰謀であると主張しているようだ。こうしてソ連邦は解体し、米ソ冷戦は米国の勝利に終わったとされる。

④マイダン革命によるロシアのウクライナ政策の大転換

 ウクライナが独立したのは1991年のソ連邦崩壊の時であるから、今日まですでに32年を経ている。だが当初ウクライナは親ロ政権が23年間続き、事実上ロシアの勢力圏のなかにあった。ロシアは黒海艦隊の母港であるクリミア半島のセバストポリ軍港(ウクライナ領)を安心して利用することが出来た(5)。
 そもそもクリミア半島はオスマントルコ領であり、それをロシアが奪い取ってずっとロシア領であった(6)。1954年にフルシチョフはこれをウクライナに与えたが、当時はウクライナもソ連邦の一部であったからなんら問題はなかった。

 2014年に親ロシア政権に不満を募らせたウクライナ国民は大規模な反政府デモによって政権を倒し、大統領はロシアに亡命し、親西欧政権が誕生した。いわゆるマイダン革命である(7)。これはロシアにとっては大きな衝撃であり、セバストポリ軍港が西側の手に落ちると考えたプーチンは国家存亡の危機と捉え、直ちにクリミアに侵攻、ウクライナは全く抵抗せずにロシアは数日で侵攻に成功した。以来両国でこの半島をめぐる争いが続いている。

 2022年2月24日にプーチンはウクライナ全領土の掌握を目指して改めてウクライナに侵攻した。前回の経験から侵攻はたやすく成功するだろうという目論見はウクライナ側の意外な抵抗によって裏切られた。この8年間でウクライナはかなり軍備を増強充実していたのである。つまり、2014年を境にロシアの対クリミア政策は大転換したと言える。

結び

 西側がロシアを攻撃しようという意図を持っているとは言えない。同じようにウクライナがロシアの一部であるという主張には無理がある。歴史上はともかく、現在ウクライナは国際的に認められた独立国である。
 よってロシアの立場を斟酌したとしても、ロシアのウクライナ侵略は到底正当化されるものではない。プーチンはロシア皇帝あるいはスターリンの後継者を自負し、大いなるソ連の再現を夢見ているようであるが、今年4月のフィンランドや昨日のスウェーデンのNATO加盟(8)に見られるとおり、現実は逆方向に向かっているのではないだろうか。

懇談
 以上がS氏の報告の概略である。このあと参加者からの質問があり、活発な意見交換がおこなわれた。特にクリミア半島についての意見が多かった。結論的には、ロシアは意外にも弱い国なのではないか、核で脅すプーチンはなにかに怯えているのではないか、というのが皆さんに共通の認識のように聞こえた。


【ヤルタ クリミア半島】



1 表題は「ロシアのメンタリティ」となっており、このメンタリティとは何を意味しているのか。当初から聞き慣れない言葉だったのでずっと考えていた。S氏の話の後からの印象ではどうもロシアの「被害者意識」などのことを指しているようだ。わたしはロシア(人)の国民性のことかと想像していたがそうでもないらしい。メンタリティという言葉はどうも社会科学の用語ではないらしく、岩波の哲学思想事典にもキリスト教辞典にも載っていない。広辞苑には「精神構造・心的傾向」とあるだけで説明になっていない。新明解にはやっと「言動や態度に反映される・・・気持ちの持ち方やものの考え方」とある。ハビトゥスのような社会意識ではなく、個人の行動様式や意識形態を指す言葉のようだ。
なお、前稿の注4で「①の立場をとる論者」は「②の立場をとる論者」のタイポである。
2 被害者意識説はロシアの国民性論でよく言及されるが、同時に「大国意識」説も根強い。この両意識の併存はどうしてもロシア正教の特徴を論じないとうまく説明できないようだが、今回は十分には触れられなかった。
3 1991年までのソビエト連邦の構成国はウクライナ以下10カ国と中央アジア5カ国をあわせて15カ国だった。
4 NATOはNorth Atlantic Treaty Organizationの略で、北大西洋条約機構と訳されている。1949年に設立され、加盟国はトルコを含め現在31カ国。本部はベルギーのブリュッセルにある。旧ソ連を敵国と想定して設立された軍事同盟である。EUは経済連携で別組織と言われるが、重複国が多い。
5 ロシア海軍の主要な艦隊は黒海艦隊、バルチック艦隊、太平洋艦隊、北方艦隊と言われるようだ。
6 第一次ロシア・トルコ戦争は1768年。クリミア戦争は1853~56年。
7 マイダン革命 Maidan Revolution (ユーロ・マイダン革命、尊厳の革命とも)は2004年のオレンジ革命(ウクライナの民主化運動)に続く革命と言われる。革命が広場や公園から始まったのでマイダン(ウクライナ語で広場を意味するようだ)革命といわれるという。
8 「トルコ大統領府は(10月)23日、エルドアン大統領がスウェーデンのNATO加盟を認める議定書に署名し、トルコ議会に提出したと明らかにしました」(テレビ朝日)。

 

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