カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

協会共同訳と新共同訳はどこが違うのか(2)

2019-05-04 21:36:06 | 教会


Ⅰ 新共同訳と協会共同訳の共通点と違い

1 共同訳の原則

 聖書の共同訳に関する標準原則は第二バチカン公会議で作られたわけだが、どの国でも聖書の改訳は自国の事情に合わせて30年おきくらいに行われているらしい。日本での翻訳は、聖書協会訳は(1)、明治訳(1887)、大正改訳(1917)、口語訳(1955)、[共同訳(1978)]、新共同訳(1987)と続いてきたが、現在の新共同訳が「一般向け」という性格をもつのに対し、今回の協会共同訳はあえていえば「教会向け」という性格づけが強いらしい。新共同訳の時は委員会の構成はカトリックとプロテスタントが「同数ずつ」という原則だったが、今回は同数原則は廃止され、結果的には4:6くらいの割合だったらしい。新共同訳のときはカトリックのほうがより大きな影響力を持っていたようだが、今回は比重は明らかにプロテスタントに傾いていたようだ。とはいえ、エキュメニズムはほぼ定着し、今更、カトリックだプロテスタントだと区別する雰囲気はほとんどなかったという。時代の変化であろう。
 翻訳者の年齢構成では、新共同訳の時は開始時平均34歳なのにたいし、今回は開始時平均53歳だったという。新共同訳は若者の翻訳、今回は熟年者の翻訳とでも言えようか。ちなみに、両方に関わった方は和田神父様お一人だという(検討委員)。
 翻訳者の男女比の違いは明らかで、新共同訳の時は女性はわずか3%、今回は23%だったという。聖書協会は各翻訳参加教派に協力を依頼したとき、「女性は最低25%を」と言っていたという。


2 翻訳組織

 翻訳の主体が異なる。新共同訳では「共同訳聖書実行委員会」で、委員会方式だった。今回は日本聖書協会が主体だ。これは一般財団法人だ。そのためだろうか、今回の聖書の名称は「聖書協会共同訳」となっている。「共同訳」という名称が残っているだけでも幸運で、「標準訳」とする意見が強かったようだが、カトリック側からの強い申し入れで「共同訳」という表現が名称に残ったという。「聖書協会」が頭に着くのは何か落ち着きがないが、委員会方式をとらなかったので「新新共同訳」とは呼べなかったのだろう。委員会では3案が議論されたがどれも日の目をみなかったという。それにしてもこの名称はしっくりこないし、ましてや略称が作れない。わたしは「協会共同訳」と略称しているが、発音すると「協会」が「教会」と区別できず、困ってしまう。聖書協会は特に略称の提案はしていないようだし、聖書学者や専門家たちはなんと呼んでいるのだろうか。なにかよい知恵が欲しいところである。

3 翻訳原則

 「翻訳方針全文」は今回の協会共同訳聖書の「序文」に明記されている。序文では、「スコポス(目的)理論」の採用が、最大の特徴だとしている。スコポス理論とはオランダのL・デ・ヴリース氏の理論という。新共同訳が、いわゆる「動的等価理論」(dynamic-equivalence Bible translation theory)をとっていた、つまり、「意訳」重視だったのに対し、今回は「逐語訳」(formal correspondence)重視に変更となった。スコポスとは、翻訳方針の違いは、翻訳聖書が「誰のために」(聴衆)、「何のために使われるか」(機能)の違いによって生じると考える理論らしい。
 たとえば、マタイ5:3は、共同訳(1978)では、「ただ神により頼む人々は、幸いだ」となっているが、新共同訳では「心の貧しい人々は、幸いである」となっている。今回も同じである。
「礼拝での朗読にふさわしい、格調高く美しい日本語訳を目指す」ことが基本方針だったという。

4 固有名詞、各書書名、続編の扱い方

 固有名詞については、原音忠実派と慣用重視派の対立は消えることはない。共同訳の時、「イエズス」が「イエス」に変わってわれわれは驚いたが、今回は変更されたのは15語にすぎないという(2)。
 各書の書名も慣用重視というか、基本的に新共同訳が踏襲されているようだ。例えば、「使徒言行録」はそのままで、バルバロ訳以来の「使徒行録」は使われていない。
 続編の扱いも大問題だろうが、結局は新共同訳を踏襲して、旧約と新約の間に挟まっている(3)。

5 用字・振り仮名(ルビ)

 この聖書は、中卒以上の学力を想定しているので(4)、用字は基本的に「常用漢字表」に従うようだが、実際にはNHKのいくつかの辞典も用いているようだ(5)。
 「交ぜ書き」は神学用語に多いが、文化庁が勧めないので、常用漢字表にない漢字を用いる場合が多かったという。
 振り仮名(ルビ)で今回の大きな特徴は、すべての「数詞」にルビが振られていることだ。漢字にはすべてルビが振られているが、数字にもふるのは画期的なことらしい。とはいえ、数詞(数字)の読み方も色々あるらしいので、基本はNHKの『ハンドブック』に従っているようだ。

6 注のつけかた

 注は重要だ。直訳、別訳、異読などの注が豊富だ。特に「言葉遊び」は注がないと分からないことが多い。これらは、新共同訳では括弧つきで説明されていたが、今回はすべて注で説明されているという。逆に言えば、「注付き」でない聖書だと、読んでいてなんのことだか分からなくなるケースが多くなりそうだ。


1 他にも、フランシスコ会訳とか岩波書店訳とか、重要な翻訳はたくさんあるようだ。
2 例えば、メディアンがミデヤンに、シケムがシシェケムに、アレキサンドロスがアレクサンドロスに、など。
3 例えば、知恵の書、シラ書(集会の書)は、雅歌の後ろには来ない。
4 「翻訳方針全文」には「義務教育を終了した日本語能力を持つ人を対象とする」とある。
5 例えば、「解る」とか「判る」ではなく、「分かる」を使うなど。

 

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